第184話:『荒野の死線と、年下の先輩』
第184話:『荒野の死線と、年下の先輩』
荒涼とした廃港を抜け、私たちは月明かりすら届かない瓦礫の山を無言で進んでいた。
海風が吹き荒れる日本の冬も過酷だが、大陸の乾燥した夜風は次元が違う。まるで細かい氷の刃で直接肌を削られているかのように、呼吸をするたびに肺の奥がチクチクと痛んだ。
先頭を歩く案内人のジンは、魔力を一切持たない無能力者だ。しかし、その足運びは闇に溶け込むように洗練されており、不安定な鉄骨やガラス片が散乱する道を選んで歩いているにもかかわらず、一切の衣擦れの音すら立てない。
私たちは光学迷彩マントの出力を最小限に絞り、彼の足跡を正確にトレースしながら歩き続けていた。
「……おい」
崩れかけたビルの陰で小休止を取った際、ジンがふと立ち止まり、背後の光輝を振り返った。
「さっきから気になってたんだが。お前、その女の指示にやけに素直に従ってるな」
ジンの冷ややかな視線が、私と光輝を交互に値踏みする。
「どう見てもお前と同い年か、下手すりゃその女の方が年下だろ。日本じゃ、実戦の最中におままごとみたいな階級ごっこでもやってんのか?」
十九か二十歳を迎えている光輝や悠斗に比べ、私の外見にはまだ十代特有の幼さが少しだけ残っている。過酷な環境で生き抜き、実力と暴力だけが絶対的な基準であるようなジンにとって、年上であるはずの光輝が私を「先輩」と呼び、素直に背中を預けている光景が、ひどく滑稽で危ういものに映ったのだろう。
だが、光輝は怒ることもなく、鼻でフッと笑って瓦礫の上に腰を下ろした。
「……年齢なんて、地獄じゃクソの役にも立たねぇよ」
光輝は右手のガントレットを軽く撫で、ジンを見据えた。
「この人は、俺が一番ダサくて、過去のトラウマに押し潰されて死にたかった時に、……一緒に泥まみれになって、俺の腕を引っ張り上げてくれた『先輩』だ。歳が下だろうが関係ねぇ。俺の命の預け先は、俺が自分で決めている」
その言葉には、虚勢や建前の一切ない、確かな重みがあった。
ジンは微かに眉をひそめ、何かを言い返そうと口を開きかけた。
しかし、次の瞬間。
「伏せろッ!!」
ジンの顔色が劇的に変わり、彼は音もなく地面に身を投げ出した。
私たちも即座に反応し、瓦礫の陰へと身を潜める。
ウィィィィィン……という低い駆動音が、遠くの暗闇から近づいてきた。
廃墟の通りを滑るように進んできたのは、三機の多脚型無人巡回ドローンだった。それぞれが周囲に赤いレーザーの網の目を張り巡らせ、生命反応を探しているようだ。
「チッ……ドローンの巡回ルートが昨日と変わってやがる」
ジンが瓦礫の隙間から舌打ちをした。
「あいつらはAIのネットワークと常時接続されてる。一体でも破壊すれば、一瞬で現在地がプラント全体に送信されて、増援のスウォーム(群れ)が押し寄せてくるぞ。……最悪だ、大きく迂回するしかねぇ」
「迂回したら、プラントの入り口に着く前に夜が明けちまうだろ」
悠斗が大剣の柄に手を置き、低く唸った。
「ならどうする!? 見つかれば全員ハチの巣だぞ! お前らのお遊びの魔法でどうにかなる相手じゃ……」
「咲ちゃん。ドローンの視覚センサーの死角と、通信モジュールの位置は抜ける?」
私はジンの言葉を遮り、インカム越しに後ろへ指示を飛ばした。
「うん、視えてる! レーザーの死角は機体の真上、半径三十センチだけ。通信モジュールは、三機とも背面の装甲の下です!」
「ソラくん、ドローンの移動速度を割り出して」
「了解。……対象の巡回速度、秒速二メートルです!」
ソラくんの計測は魔法だろう。うまく使いこなしている。私たちの連携は、息をするように自然で、そして完璧だった。
「……おい、お前ら正気か!? 何をする気だ!」
ジンが青ざめた顔で私たちを止めようとする。彼にとっての最適解は「逃げる」一択なのだ。
だが、私たちが箱庭で学んだ最適解は違う。
「光輝くん、悠斗! ドローンの通信を絶って、同時に三機を、音を立てずに無力化できる?」
「もちろん。……俺たちを誰だと思ってんだ、梨花」
「余裕っすよ」
悠斗と光輝が、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。
「なら作戦はこうよ、……」
私はみんなに説明する。
「咲ちゃん」
「はい、……来てます。」
「よし、行くわよ! 『絶対真空、サイレントフィールド』!!」
私はステッキを振り抜き、巡回ドローン三機の周囲の空気を瞬時に奪い去り、音の伝達を物理的に不可能にする真空の球体を作り出した。
光学迷彩を纏っている悠斗と光輝は、遥か上空をドローンと同じ速度で移動している。
私の大型ロボットアームの魔法だ。
咲ちゃんの割り出した、半径三十センチの完全な死角と追従するように、二人はナビゲーションの魔法で、寸分の狂いもなくドローンの真上へとじわじわと近づいている。
まもなくドローンに手の届く距離まで近づくだろう。
「電磁掌握ッ!!」
光輝が両手と右足から同時に精密な電磁パルスを放ち、二機のドローンの背中側の装甲の下にある通信モジュールだけをピンポイントで攻撃した。
残る一機は、悠斗が大剣の重みを利用して上から強引に串刺し、内部の基盤を粉砕した。
制圧完了。
私は息を吐いてから、真空魔法を解除した。
悠斗と光輝は捕まえた三機と共に、地上に戻ってくるところだ。
真空の結界の中で行われた破壊劇は、警報を鳴らすどころか、金属の砕ける音一つ立てずに完遂された。
そこには、機能を完全に停止し、ただの鉄クズとなった三機のドローンの姿だけがあった。
「……ウソ、だろ」
ジンは瓦礫に隠れたまま、信じられないものを見る目でその光景を凝視していた。
彼の知る異能者とは、ただ力任せに炎や雷を放ち、暴れ回るだけの存在だったはずだ。これほどまでに精密で、物理法則を計算し尽くし、互いの命を完全に預け合うような洗練された連携など、見たことがなかったのだろう。
「言ったでしょ、ジン」
私はステッキを下ろし、立ちすくむ彼に向かって静かに微笑んだ。
「私たちは、遊びでここに来たわけじゃないの。彼らは誰一人、足手まといになんかならないわ」
「……」
ジンはゆっくりと立ち上がり、油断なく周囲を警戒しながら戻ってきた悠斗と光輝を、これまでとは違う、明確な畏怖の入り交じった目で見つめていた。
「……俺の認識が甘かった。お前ら、ただのガキじゃないな」
ジンは深くフードを被り直し、初めて私たちに向かって微かに顎を引いた。
「プラントの地下搬入口は、この廃墟の地下鉄跡の奥だ。……ついてこい、化け物ども」
その声から、先ほどまでの刺々しい軽蔑は完全に消え去っていた。
見知らぬ大地での、最初の死線。
年齢も、国籍も、価値観も違う。それでも、私たちが地獄で証明してきた覚悟は、言葉を交わさずとも、この冷たい案内人の心に確かな風穴を開けたようだった。
「わたしなにもしてない……」
メイは小さくつぶやいていた。
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