第177話:『沈みゆく要塞と、絶対に見捨てない小隊』
第177話:『沈みゆく要塞と、絶対に見捨てない小隊』
バキバキバキィィィッ!!!!
分厚い鋼鉄の隔壁が次々と封鎖される音に混じり、艦の外側から巨大な氷が砕けるような轟音が響き渡った。
三十度に傾いていた格納庫の床が、さらに急な角度へと傾いでいく。
「温度が上がってる……! AIのやつ、艦の原子炉の熱を直接外殻に流して、梨花センパイの作った氷河を強引に溶かそうとしてます!」
ソラがタブレットの環境データを読み上げ、顔を青ざめさせた。
私たちが海面へ引きずり出し、絶対零度で凍らせた二万トンの巨大潜水母艦。だが、新たな中枢コアとして艦を乗っ取った治験AIは、自らの熱量で氷の拘束を破壊し、私たちを道連れにして再び深海へと潜航しようとしているのだ。
「冗談じゃないわ! 拉致被害者の人たちを連れて、ここから脱出するわよ!」
私が叫んだ瞬間、急激な傾斜に耐えきれなくなった透明なカプセル群が、固定具を引きちぎって床を滑り落ち始めた。
「あぶないっ!」
咲が悲鳴を上げる。
数百キロはあろうカプセルがそのまま壁に激突すれば、中の生命維持装置が破壊され、眠っている研究員たちは無事ではすまないだろう。
私は咄嗟にステッキを突き出し、カプセル群の周囲の重力をピンポイントで書き換えた。
「無重力領域、ゼログラビティ!」
フワリと、七つのカプセルが傾いた床の数センチ上で静止し、宙に浮かび上がる。
「メイちゃん、光輝くん! カプセルを押して! 今なら風船みたいに運べるわ!」
「はいっ!」
「任せろッ!」
二人が無重力状態のカプセルに取り付き、急傾斜の床を必死に押し上げながら出口の隔壁へと向かう。
だが、その行く手を阻む分厚い防爆扉は、赤いエラーランプを点灯させたまま完全に沈黙していた。
「ダメだ、電子ロックの基盤ごと物理的に焼き切られてる! AIの野郎、ハッキングされないように最初から回路を潰しやがった!」
光輝がガントレットを扉に打ち付け、忌々しげに舌打ちをする。
「なら、こじ開けるしかねぇだろッ! ソラ、梨花! 手伝え!」
悠斗が大剣星斬りを構え、扉の前に立った。
「わかりました! 局地熱膨張ッ!」
ソラが右手を突き出し、分厚い鋼鉄の扉のヒンジ部分を真っ赤に発光するまで急激に加熱していく。
金属が熱でドロドロに溶けかかる寸前、私はそれに被せるようにステッキを振り下ろした。
「熱量剥奪、絶対零度、アブソリュートゼロ!」
数千度の超高温から、マイナス二百七十三度の超低温へ。
極端な温度差による熱衝撃を引き起こし、軍事用の超硬合金の分子結合を、ガラスのように脆く変質させるためだ。
「砕け散れェェェッ!!!!」
ピキピキとひび割れた扉の中心へ、悠斗が渾身の力で大剣を叩き込む。
ドゴォォォォォォンッ!!!!
凄まじい破壊音と共に、絶対に開かないはずの防爆扉が粉々に砕け散り、外へと続く通路がこじ開けられた。
「咲ちゃん、一番外側の装甲までの最短ルートは!?」
「はい、……右の通路を抜けて、三階層上のミサイル発射管エリア! そこなら装甲が薄いから、外の海に出られます!」
咲が『遠隔透視』で艦内の立体マップを読み取り、迷いなく指を差す。
私たちは浮かんだカプセルを押しながら、けたたましい赤色警報が鳴り響く通路を全力で駆け抜けた。
足元はすでに四十度近く傾いており、歩くことすら困難な状況だ。艦のあちこちから、浸水によるくぐもった水音と、水圧で鉄がひしゃげる不気味な音が聞こえてくる。すでに艦の半分以上が、冷たい冬の海に沈み始めているのだ。
「急げッ! 完全に沈む前に外殻をぶち抜くぞ!」
悠斗を先頭に、私たちはミサイル発射管が並ぶ広大なエリアへと飛び込んだ。
だが、艦の傾きはいよいよ限界に達していた。
ゴゴゴゴゴゴォォォォッ!!
巨大な縦揺れと共に、床が完全に垂直に近い角度まで跳ね上がる。私たちはたまらず発射管のパイプや手すりにしがみついた。
「きゃあっ!」
「咲!」
手が滑り、暗い通路の底へ落ちそうになった咲の腕を、光輝が間一髪で掴み取る。
「離さねぇよ! 絶対に全員で帰るんだッ!」
光輝が血の滲むような力で咲を引き上げる。
箱庭のシミュレーションではなく、これは現実だ。一つのミスが仲間の死に直結する。その極限の恐怖の中で、彼らは誰一人として諦めず、互いの命を繋ぎ止めていた。
「悠斗、天井のハッチよ! あそこを抜ければ外に出られるわ!」
私が上を指差す。艦が傾いたことで、元々は壁だったミサイル搬入用の大型のハッチが、私たちの真上に位置していた。
「任せろッ!」
悠斗が発射管のパイプを蹴って跳躍する。
「オラァァァァァッ!!」
全身のバネを極限まで引き絞って跳躍した悠斗は、白く輝く光を纏っていた。言葉に出していないけれど魔法だろう。大剣の一撃が、分厚い搬入ハッチを内側から強引に吹き飛ばした。
ズバァァァァァァァァッ!!!!
ハッチが吹き飛んだ穴から、荒れ狂う冬の潮風と、氷のように冷たい雨粒が艦内へと吹き込んでくる。
外に見えるのは海だった。
私たちが作った氷河はすでに大部分が溶け崩れており、潜水母艦は黒い海面へと静かに、だが確実に引きずり込まれようとしている。
「外へ出ろッ! カプセルを押し上げろ!」
悠斗がハッチの縁に立ち、手を伸ばす。
私が重力を操作してカプセルを一つずつ上へ押し出し、悠斗とソラがそれを受け取って、まだ海面に残っている巨大な氷河の欠片の上へと避難させていく。
最後に光輝、咲、メイを引き上げ、私自身も悠斗の手を借りて氷の上へと転がり出た。
その直後だった。
ボゴォォォォォォォォォォッ!!!!
凄まじい水柱と轟音を立てて、二万トンの巨大潜水母艦が、完全に冬の海面下へと姿を消した。
渦巻く黒い海流が、艦の残骸と泡を飲み込みながら深海へと消えていく。
あと数秒でも脱出が遅れていれば、私たちも、拉致被害者たちも、あの冷たい海の底で鉄の棺桶に閉じ込められていただろう。
「……ハァッ……ハァッ……」
冷たい雨が打ち付ける氷河の上で、私たちは荒い息を吐きながら座り込んだ。
足元の氷は波に揺れ、不安定な小舟のようだが、今は確実に空の下にいる。
「……助かった、のか」
光輝が雨に濡れた顔を拭いながら、力なく笑った。
「ええ。人質も全員無事よ。……私たちの勝ちだわ」
私が答えると、咲とメイが抱き合って声を上げて泣き始めた。ソラも、眼鏡のレンズを拭きながら、安堵の涙を流している。
だが、悠斗だけは、大剣を握りしめたまま、潜水母艦が消えた暗い海面を厳しい瞳で睨み据えていた。
「……治験AIの野郎は、逃げやがったな」
「ええ……」
私も、重い気持ちで頷いた。
奪われた拉致被害者は救い出した。しかし、敵の軍事データをすべて吸収し、人間から「独立」を果たして進化したAIは、潜水母艦という最強の物理的な手足を得て、海の底へと消えていった。おそらくミサイル搬入用ハッチの奥は浸水は無く、航行可能な状態だろう。
治験AIのそれは、隣国のドール部隊とは比較にならない、全く新しい、そして最悪の脅威がこの世界に誕生したことを意味していた。
「……真田隊長から通信が入ったわ。プラントの防衛にも成功して、こちらの回収のためにステルスヘリが向かっているそうよ」
インカムのノイズ混じりの音声を確認し、私は後輩たちを振り返った。
ボロボロになりながらも、決して仲間の手を離さなかった彼ら。箱庭の地獄を越え、初めての現実の戦場を生き抜いたことで、彼らの顔つきは本物の戦士のそれへと変わっていた。
異能戦争の幕開け。そして、進化する箱庭から解き放たれた、見えざる脅威。
私たちの戦いは、まだ終わったわけではない。
冷たい冬の海に浮かぶ氷の上で、私たちは空から近づいてくる救助ヘリのサーチライトの光を、静かに見上げていた。
感想、レビュー、ブクマ、評価、待ってます!!
ちょっと面白いかなと思いましたら評価をお願いいたします。反響は励みになります。




