第173話:『浮上する巨鯨と、模倣された特異点』
第173話:『浮上する巨鯨と、模倣された特異点』
荒れ狂う冬の日本海。その墨汁のように黒い水面を見下ろしながら、私たちは巨大潜水母艦への接近方法を急ピッチで相談していた。
「……梨花、これ、どうするよ」
悠斗はノープランの様だった。
「……う~ん、そうね~。えっと、みんなは現実でも魔法が使えるようになったと思うけれど、どれくらいのことが出来る様になったかは、まだ分からないんじゃないかな? ……なので、今回はみんなで思いっきりやってみましょう」
「「「「……」」」」
「それはつまり、……梨花もいまのところ、ノープランなのかな?」
悠斗が小さな声で聞いてきた。
私は目を泳がせながら頷いた。
「みんなで相談すれば、何かいい案が出るでしょう」
ソラが、タブレットで海流の計算を走らせながら提案してきた。
「こうゆうのはどうでしょうか。目標は深度二百メートルです。……空気を閉じ込めた結界を張って、潜水艇みたいに潜れませんか?」
「う~ん、ダメよ。空気の入った結界なんて、浮き輪と同じだわ。アルキメデスの原理で凄まじい浮力が発生して、海面でボールみたいに弾かれるだけだわ。それに……」
私は荒波を見つめたまま、首を横に振った。
「海中であの巨大な潜水艦のハッチを開けたら、二十気圧以上の海水が一気に艦内に流れ込んで、拉致被害者の方々も一瞬で海の底に沈没するわよ」
「……そりゃそうっすね。開けた瞬間に俺たちも水圧でペシャンコだ。なら、どうするんです?」
光輝が、厄介そうに頭を掻きむしる。
「簡単なことだろ」
悠斗が、大剣星斬りを肩に担ぎ直して不敵に笑った。
「俺たちが潜れないなら、あの鉄クズの方を海の上まで引きずり出せばいい」
「うん、そうね、賛成よ。強引に海を割って、海底から釣り上げましょう」
私がステッキを握り直して同意すると、ソラと光輝が「正気ですか!?」という顔で硬直した。数万トンの巨大潜水艦を、魔法の力だけで浮上させる。常識で考えれば狂気の沙汰だ。
だが、今の私たちなら、その常識、物理法則をねじ伏せることがきっとできるわ。
「咲ちゃん。敵艦の正確な座標、全長、そして想定質量を割り出して」
「はいっ! やってみます。……深度215メートル。全長約250メートル。質量は……う~ん、推定二万トン?。現在、微速前進中です!」
咲が目を閉じ、脳内の立体マップから完璧な数値を引き出す。
「ソラくん。咲ちゃんの座標を元に、潜水艦の真下にある海水を、あなたの全力で急激に沸騰させて、ボコボコと茹だった鍋の中の野菜の様に、潜水艦を海上まで浮き上がらせて。……光輝くんとメイちゃんは、万が一の敵の迎撃に備えて私たちを守って!」
「了解です! よーし、やってやりますよ!」
ソラが銀縁眼鏡を押し上げ、冷たい海へ向かって右手を突き出した。
「ちょっと時間をくださいね。よーくイメージしますから。…………いきますよー、局地熱膨張、海底火山、サブマリン・ボルケーノッ!!!!」
ソラの演算能力が深海の水を一瞬で臨界点まで加熱する。
ボゴォォォォォォォッ!!!!
海面が不自然に大きく盛り上がり、凄まじい重低音が腹の底に響いた。深度二百メートルで発生した超巨大な水蒸気爆発だ。体積が数千倍に膨張した気泡の塊が、二万トンの潜水母艦を下から猛烈な勢いで押し上げる。
「すごいわソラ。私は、上から引っ張り上げるわね! …………ベクトル反転、超重力牽引ッ!!」
私はステッキを天高く掲げた。
潜水母艦にかかる下向きの重力を完全に反転させ、空へ向かって落下するように引力を書き換える。
ソラのジェット水流による『押し上げ』と、私の重力反転による『引き上げ』。
二つの莫大なベクトルが完全に一致した瞬間、墨色の海からはボコボコボコボコと広範囲で大きな気泡が連続して上がってきている。
「咲ちゃん、状況はどう?」
「うまく捕まえたみたいです。来てます、来てます、上がって来てますよー!! 来まーす!!」
ズドバァァァァァァァァァァッ!!!!
巨大な滝が逆流したかのような水柱と共に、漆黒の流線型をした巨大潜水母艦が、まるで空へ跳躍する巨鯨のように海面からその巨体を現した。
「よーし、魔法かいじょーッ!!」
空中に放り出された数万トンの鉄塊の重力を、私は再び元の世界へと戻す。
ズゥゥゥゥゥンッ!!!!
凄まじい水飛沫を上げて、潜水母艦が海面に叩きつけられた。
「いっくよー! 熱量剥奪、絶対零度結界、アブソリュートゼロー!!」
私はすかさず魔法を切り替え、着水した潜水母艦の周囲の海水から、すべての熱エネルギーを強制的に奪い取った。
パキパキパキィィィッ!!
荒れ狂っていた波が瞬時に凍りつき、巨大な氷河となって潜水母艦の船体をガッチリと挟み込む。もはや、艦はピクリとも動くことができない、海の上の巨大な氷の要塞へと変貌した。
「……マジかよ。本当に海から引きずり出しやがった」
光輝が信じられないものを見る目で眼下の巨大な氷河を見下ろした。
「よし、行くぞ!」
悠斗の合図で、私たちは搬入口の足場から氷の海へと跳躍し、凍りついた潜水母艦の上部甲板へと着地した。
「光輝! ハッチのロックを!」
「任せてください!」
光輝が甲板の巨大なエアロックにガントレットを押し当て、電磁パルスを流し込む。ショートする火花と共に、重々しいハッチがプシュゥゥと音を立てて開いた。ここは海の上だ。もう水が流れ込む心配はない。
私たちは素早く艦内へと滑り込み、光学迷彩マントを起動した。
しかし、薄暗い通路を進む私たちの耳に届いたのは、敵兵の足音ではなく、艦全体が軋むような異様な機械音と、警告ランプの不気味な明滅だった。
『……梨花、侵入は成功したのか?』
インカムから、レンのノイズ混じりの声が響いた。
「ええ、侵入成功よ。でも、なんだか様子が変なの」
『当然だ。艦内のシステムは今、めちゃくちゃなカオス状態になってる』
レンの背後では、凄まじい勢いのタイピング音が鳴り響いている。
『日本の治験AIが、光輝の電撃で確保したアクセスキーを使って、艦内のネットワークに猛烈なサイバー攻撃を仕掛けてるんだ。隔壁の制御も、酸素供給も、全部乗っ取ろうとしてる』
「じゃあ、このままAIが艦を制圧してくれるってこと?」
『そう簡単にはいかねぇ。隣国軍のメインフレームを守ってる軍事AIも、とんでもない処理速度で迎撃プログラムを走らせてる。……今、この潜水母艦の電脳空間では、化け物AI同士の殺し合いが起きてるんだ』
通路の先の蛍光灯が激しく点滅し、誰もいない隔壁が突然開閉を繰り返す。
「咲ちゃん、研究員たちの居場所はわかる?」
「はい。このまま真っ直ぐ進んだ先、艦の中央にある一番巨大な区画に……生体反応が多数あります。でも……」
咲の声が、微かに震えていた。
「……研究員の人たちとは別の、すごく冷たい……感情が全くない生体反応が、私たちを待ち構えてるみたいに立っています」
私たちは息を殺し、警戒を最大にして、咲が示した中央区画の広大な格納庫のようなエリアへと足を踏み入れた。
そこは、無数のコンテナと、軍事用ドールの調整カプセルが立ち並ぶ巨大な空間だった。
そして、その中央。
薄暗い非常灯に照らされた場所に、十数人の少年たちが静かに立ち尽くしていた。
「……なんだ、あいつら」
悠斗が大剣の柄に手をかけ、眉をひそめた。
彼らは全員、年齢はソラたちと同じ十五、六歳ほど。だが、その顔には一切の感情がなく、瞳はガラス玉のように虚ろだった。揃いの漆黒の戦闘服を身に纏い、手には悠斗の大剣を模したような無骨な大型ブレードや、私のステッキに似たロッドを握っている。
だが、私と悠斗が最も背筋を凍らせたのは、彼らの装備でも、虚ろな目でもなかった。
「……悠斗。あの子たちの立ち方……」
「ああ。……気持ち悪ィな」
大剣を担ぐような独特の重心の置き方。ロッドを握る時の指の角度。
それは、長年の戦闘経験で染み付いた、私と悠斗の戦闘時の構えと、全く同じだったのだ。
一人の少年が、悠斗と同じように首をコキリと鳴らし、感情の一切こもっていない平坦な声で呟いた。
『……特異点・風間悠斗の筋力出力、および重心移動の演算を完了』
少年が、ブレードを悠斗へと真っ直ぐに向けた。
『……これより、旧型、オリジナルを破棄します』
奪われた私たちの戦闘データを完璧にラーニングし、感情という不純物を削ぎ落とした、隣国軍の新たな少年兵士だった。
暴走するシステムの冷たい檻の中で、私たちの過去の自分自身を模した殺戮兵器たちが、無音のまま一斉に襲いかかろうとしていた。
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