第170話:『黒い海上の要塞と、機械仕掛けの囁き』
第170話:『黒い海上の要塞と、機械仕掛けの囁き』
冬の日本海は、まるで墨を流したように黒く、そして荒れ狂っていた。
私たちセクションゼロを乗せたステルスヘリは、波頭を掠めるような超低空飛行で、目標である海底資源探査および早期警戒プラントへと急速に接近していた。
機内には赤い非常灯だけが点灯し、ローターの重低音が鼓膜を震わせている。
「……作戦の最終確認だ」
インカムから、別機で先行している真田隊長の低く冷静な声が響いた。
「目標のプラントは、巨大な海上の人工島だ。現在、内部の通信網は完全にジャミングされており、人質の安否もわからん。……俺たち戦術班が上部のヘリポートから強襲して陽動をかける。特異点2人および第3、第4世代の小隊は、手薄になった下層の搬入口から潜入し、中央制御室の奪還とネットワークの復旧を目指せ」
「了解。無茶はしないでくださいね、真田隊長」
私が応答すると、通信の向こうで短く鼻を鳴らす音が聞こえた。
「そっちこそ。……ガキのお守りは任せたぞ。誰も殺さずに制圧するなんていう甘いルール、一歩間違えれば命取りになるからな。風間君も、背中を撃たれないように気をつけろよ」
「へっ。 そんなヘマはしませんよ」
悠斗が大剣星斬りの柄を軽く叩き、不敵に笑う。
私は振り返り、向かいの座席に座る四人の後輩たちを見た。
彼らは最新の防刃スーツの上にタクティカルベストを着込み、硬い表情で下を向いている。箱庭でトラウマを克服したとはいえ、いざ本物の戦場を前にすれば、そのプレッシャーは計り知れないだろう。
「目標ポイント上空に到達! 降下用意!」
パイロットの掛け声と共に、機体後部のハッチが開け放たれた。
猛烈な潮風と、氷のように冷たい雨粒が機内に吹き込んでくる。眼下にはサーチライトの光だけが不気味に瞬く、巨大な鋼鉄の要塞のようなプラントが海上に浮かんでいた。
「行くぞッ!」
悠斗が真っ先に夜の海へと身を躍らせた。
それに続き、私たちも次々とハッチから飛び出す。私は『気流断絶』と『重力操作』の魔法を複合させ、私たち全員の落下速度をコントロールし、プラントの最下層にある薄暗い搬入口の足場へと、文字通り音もなく着地した。
ザァァァァァッ……。
荒波が防波壁に打ち付ける音だけが響く、無機質なコンクリートの通路。
私たちは光学迷彩のマントを起動し、互いの気配を殺しながら通路の奥へと進んでいく。
しばらく進むと、鼻腔をツンと突く生臭い匂いが漂ってきた。
「……っ!」
先頭を歩いていた咲が、思わず口元を覆って足を止めた。
通路の角を曲がった先。そこには、自衛隊の初動対応部隊と思われる数名の遺体が、無残な姿で転がっていた。富士演習場の惨劇を思い起こさせる、生々しい血だまりがコンクリートの床に広がっている。
光輝の喉がゴクリと鳴り、右手の指先が微かに震え始めたのがわかった。
「光輝くん、咲ちゃん。……無理しないで、見なくてもいいわ」
私が二人の前に立とうとした、その瞬間だった。
パァンッ!
光輝が震える両手で自らの頬を力いっぱいに張り飛ばし、無理やり視線を前へと向けたのだ。
「……大丈夫です、センパイ」
光輝は真っ赤になった頬のまま、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「俺たちは……この血の匂いを上書きするために、ここに来たんだ。もう、幻影なんかに負けねぇ」
咲もまた、青ざめた顔のまま、コクンと強く頷いて前を見据えた。
箱庭での特訓は、確実に彼らの心を折れない鋼へと鍛え上げていた。
「……敵だ。来るぞ」
悠斗が低く囁き、大剣の柄に手をかけた。
通路の奥から、複数の足音が近づいてくる。姿を現したのは、漆黒のステルススーツを着た三人の敵兵士。隣国のドール部隊だ。
だが、その動きは以前とは明らかに違っていた。周囲の物音や温度変化に敏感に反応し、銃口の向きに一切の無駄がない。足音の消し方も洗練されている。
「箱庭のデータを取り込んで、AIのアルゴリズムが完全にアップデートされてるわね……」
私はステッキを構え、誰の命も奪わずに彼らを無力化する算段を頭の中で組み上げようとした。
「……咲。敵の配置と死角は抜けるか?」
ソラが後ろに控える咲にインカム越しに尋ねた。
「やってみる。……『遠隔透視、クレアボヤンス』……」
咲が目を閉じ、能力を発動しようとした。
その時だった。
『……外部ネットワークへの接続を確認。戦術データリンクを確立します』
突如、私たちのインカムに、ノイズ混じりの無機質な合成音声が響き渡った。
「なっ……なんだ!?」
光輝が驚愕の声を上げる。
それは、真田隊長の声でも、防衛省のオペレーターの声でもなかった。
アルメルシアの箱庭の中で、私たちに排除プロトコルを宣告した、あの『治験AI』の冷酷なシステム音声だったのだ。
『対象プラント内部の3Dマップデータを生成。敵性個体の熱源反応、および視覚の死角パラメータを、各員のデバイスへ直接送信します』
「……嘘でしょ!?」
ソラが、腕に装着した情報端末を見て息を呑んだ。
そこには、咲が透視するよりも早く、プラント全体の構造と、三人の敵兵士の正確な位置、そして彼らの「視界の死角」が、完璧な赤いガイドラインとなって表示されていたのだ。
「どうなっているの……。箱庭のAIが……現実のネットワークに干渉してきているっていうの!?」
私は背筋に冷たい氷柱を差し込まれたような悪寒を感じた。
仮想空間のシステムが、防衛省の厳重な暗号回線をハッキングし、現実世界の私たちに直接「戦術支援」を行ってきたのだ。
『推奨戦術:対象Aの背後への電磁的干渉による無力化。死亡率0%、制圧成功率98%』
機械仕掛けの囁きが、光輝のインカムに直接最適解を提示する。ご丁寧に、私たちの「誰も殺さない」という不殺のルールまで汲み取った完璧な計算だ。
「……気味が悪ィが……今は使えるもんは使わせてもらうぜッ!」
光輝が端末のガイドラインに従って、光学迷彩を維持したまま敵の完全な死角へと滑り込む。
AIの計算通り、敵兵士は光輝の接近に全く気づいていない。
「電磁掌握、エレクトロハック!!」
無音の電磁パルスが、背後から敵兵士の神経系インプラントを直接焼き切る。
ビクンッ、と痙攣したドールが、声も出せずに崩れ落ちた。残る二体も、悠斗が素早く大剣の峰で首筋を打ち据え、気絶させる。
「よし、命中! ……いや、AIの指示通りに動いただけかよ……っ」
光輝が自分の手を見つめて忌々しげに舌打ちをする。
敵を倒し、誰も殺さずに制圧できた安堵よりも、得体の知れないシステムに「現実の行動をゲームのように操作されている」という薄気味悪さが、私たち全員の心を重く支配し始めていた。
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