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アルメルシア クロニクル  ―魔法を鍛えてみんなで生き延びます  作者: amya


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第163話:『無機質な目覚めと、ルーキーたちの朝』

第163話:『無機質な目覚めと、ルーキーたちの朝』


 光の粒子となって仮想空間アルメルシアの空へと溶けていく感覚は、いつ経験してもひどく曖昧で、魂だけが深海から水面へと浮上していくような独特の浮遊感を伴っていた。


 極限まで張り詰めていた死の恐怖も、泥まみれの廃墟の匂いも、すべてが真っ白なノイズの向こう側へと薄れていく。


やがて、網膜を焼くような純白の光がふっと途切れ、代わりにひんやりとした重力と、消毒液の無機質な匂いが私の五感を満たし始めた。


……ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。


等間隔で静かに響く、電子音。生命維持装置のモニターが刻む、私の心拍の音だ。


「……ん、んん……」

 鉛のように重い瞼を、ゆっくりと押し上げる。


 最初に視界に飛び込んできたのは、アルメルシアの血のように濁った空でも、廃墟のコンクリートの天井でもない。防衛省の地下深く、極秘の治験施設に用意された、汚れ一つない純白の天井だった。


「……目覚めたか、瀬戸梨花」


ベッドの脇から、感情の読めない低い声が降ってきた。


 視線を向けると、白衣を着た初老の男性、この特別治験プログラムの責任者の一人である、防衛省の技術研究本部の人間が、タブレット端末を片手に私を見下ろしていた。


「……はい。なんとか、無事に」

 私は掠れた声で答えながら、ゆっくりと身体を起こした。


 腕に繋がれた点滴の管や、こめかみに貼り付けられた脳波測定用のセンサーが、動くたびに小さくカチャカチャと音を立てる。

 アルメルシアで魔法を使いすぎた疲労感は現実の肉体にもフィードバックされており、身体の節々が泥のように重かった。しかし、それ以上に土の匂いも風の冷たさもないこの完全な無菌室の空気が、今の私には安心すると同時にひどく息苦しくも感じられた。


「悠斗は……先輩は、無事ですか?」

 私が真っ先に口にしたのは、共にあの死線を潜り抜けた恋人のことだった。


「隣を見ろ。お前より五分早くバイタルが安定した」

 研究員の言葉に導かれ、私は首を巡らせた。


 薄い透明なパーテーションで区切られた隣のベッド。そこでは、あの大剣を振り回していた巨体の戦士ではなく、少し寝癖のついた黒髪の青年が、私と同じように管に繋がれながら、ベッドの背もたれに寄りかかって静かに息を吐いていた。


「……悠斗」

「よぉ。お寝坊さん」


 悠斗は、現実世界の少しだけほっそりとした腕を上げ、力なくヒラリと振ってみせた。

 仮想空間でのアバターではなく、現実世界の、ただの悠斗先輩の姿。その見慣れた、けれど少し不器用な笑顔を見た瞬間、私の胸の奥で張り詰めていた糸が、プツンと音を立てて切れた。


「……よかった。本当に、帰ってこられたんだね」

 視界がふわりと滲み、温かい涙が頬を伝ってシーツにポタリと落ちた。

 仮想空間で流したデータ上の涙ではない。体温を持った、本物の涙だった。


「泣くこたぁねぇだろ。俺たちが、あんなプログラムの機械なんかに負けるわけねぇんだからよ」

 悠斗は憎まれ口を叩きながらも、その瞳には安堵の色が深く滲んでいた。彼もまた、現実の身体の重さと、生きているという実感に静かに浸っているのだとわかった。


「……感動の再会のところ悪いが、上にあげる報告内容の擦り合わせをいいだろうか」

 白衣の研究員が、冷ややかに会話に割って入った。


「まず、第1フェーズのクリア条件は達成された。ログアウト処理は正常。だが……システム側のログに、想定外の異常なデータ負荷が記録されている。治験AIが、お前たち特異点を標的にした排除プロトコルを無断で走らせた形跡があるが、事実か?」


「ええ、事実です」

 私は涙を乱暴に拭い、研究員を真っ直ぐに睨みつけた。


「AIは、治験対象の子供たちに極限の絶望を与えようとしていました。そして、彼らを庇おうとした私たち教官をシステムのバグと判定し、私たちの戦闘データを合成した合成獣まで生成してきたんです。……もし私たちが負けていたら、子供たちの精神は完全に破壊されていたはずよ」


私の報告に、研究員はピクリと眉を動かし、手元のタブレットの画面を険しい顔でスワイプした。

「……治験AIの自律進化、ディープラーニングが、我々の想定した安全圏、セーフティの閾値を超え始めているということか。本来の目的は、死の恐怖による異能の覚醒の促進であり、精神の破壊ではないはずだが……」


「システムはもう、あなたたちのコントロールを離れて、勝手にルールの拡大解釈を始めているんじゃないですか?」

 悠斗が、ベッドの上から冷たい声を放った。


「子供たちをモルモットにして、進化する箱庭に放り込む。その結果がこれだ。……あんたらの都合に、これ以上あの子たちを付き合わせる気なら、俺たちにも考えがあるぞ」


悠斗の言葉には、特異点としての明確な威圧が込められていた。現実世界においても物理法則を捻じ曲げる力を持つ私たちの意見を、防衛省も無下には扱えないと思う。


「……肝に銘じておこう。AIのアルゴリズムについては、早急に解析と修正を入れる」

 研究員は深くため息をつき、タブレットを白衣のポケットにしまった。


「だが、お前たちの指導の結果……二名の治験対象者から、極めて良好な異能波長の覚醒兆候が確認されたのは事実だ。彼らの脳波は、通常の治験者の十倍以上の速度でアルメルシアのシステムと適応し始めている」


「……ソラとメイは、無事なんですね?」

 私が身を乗り出して尋ねると、研究員はわずかに頷いた。


「ああ。別室の医療ブロックで、現在バイタルの最終チェックを行っている。精神的な疲労は激しいが、脳組織へのダメージはない。……お前たちが身体を張って守り抜いた結果だろう」

 その言葉を聞いて、私は心の底から深く、長く息を吐き出した。


守り抜けたのだ。

 かつてアルメルシアから戻って来られなかった他の治験者たちとは違って、彼らの心を壊させることなく、現実世界へと生きて連れ帰ることができた。


「あの二人は、もうただの怯える子供じゃない。……立派な戦士です」

 私は、あの絶望的な赤い空の下で、巨大な雷槍を放った少年の瞳と、絶対に割れない盾を展開した少女の背中を思い出しながら、誇らしげに言った。


「そうか。ならば、第2フェーズ以降の訓練も期待できそうだな」

 研究員は淡々とそう言い残し、背を向けて無菌室の自動ドアへと歩き出した。


「数時間は絶対安静だ。点滴が終わる頃には、一般病棟へ移す。……ゆっくり休め」

 プシュッという空気音と共にドアが閉まり、部屋には再び、私と悠斗、そして生命維持装置の静かな電子音だけが残された。


無菌室の冷たい空調の音が、静かに空間を流れている。


「……第2フェーズ、か」

 悠斗が、天井の蛍光灯を見上げながらポツリとこぼした。


「AIが修正されるとは言え、次が安全なピクニックになるとは思えないな。あのAIは、確実に今回の敗北を学習して、さらにえげつない絶望を用意してくるはずだよ」


「ええ。でも……今のソラとメイなら、きっと乗り越えられるわ」

 私は、自分のこめかみに貼られたセンサーの冷たい感触に触れながら、静かに微笑んだ。


「計算だけじゃない、意志の強さを知った天才と、誰かを護る重さを知った盾持ち。……あの二人は、もしかしたら私たち以上の特異点になるかもしれないわね」


「フッ、違いない。……だが、俺たち教官が簡単に追い抜かれてやるわけにはいかねぇだろ。まだまだ、背中を見せてやらないとな」

 悠斗は不敵に笑い、自分の右手の拳を軽く握り込んだ。


防衛省の冷たい地下施設で迎えた、ルーキーたちの朝。

 私たちの身体は傷つき、疲労に苛まれていたが、その胸の奥には、新たな世代へと確かに受け継がれた希望の火種が、力強く脈打っていた。


進化する悪意のシステムと、国家の冷徹な思惑。

 異能戦争の幕開けは、まだその序章を終えたばかりだ。


 次なる試練の箱庭がどれほど過酷であろうとも、私たちはもう二度と、理不尽に命を奪わせはしない。


 私は、隣のベッドにいる恋人であり相棒の確かな息遣いを感じながら、静かに目を閉じ、深く泥のように甘い眠りへと落ちていった。





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