呪いのビデオ 1
さてさて皆様、お立ち会い!
人の世の欲望というものは尽きないものでございますが、それと同じくらいに尽きないのが、口から口へと伝わる噂の恐ろしさ。
右を見りゃあスマホの画面でバズる最新の怪談、左を見りゃあ古びた物置の奥に眠る薄汚れたビデオテープ。
たかが噂、されど噂。
人が畏れ、人が語り、その不気味な影を脳裏に思い描くたびに、実体のなかったはずの影法師は、みるみるうちに本物の 質量を得て、人の命を啜る化け物へと成り上がるのでございます。
トントントン、と時が過ぎまして。
ところ変わってこちらは都内、中央区の片隅に建つビルの二階、森繁便利事務所。
「……ふむ。このブルーチーズのコクと、タバスコの刺激的な辛み。それがスイカの持つ果汁の甘みと絶妙なマリアージュを奏でて、脳みそがサンバを踊り出すほどにエキゾチックだぜ」
身長百九十センチのスタイリッシュな巨漢、森繁龍。
この男、タイトな黒いジャケットを着崩したまま、ソファーにこれでもかと長い手足を投げ出し、スプーンを片手に、スイカのコンポートにブルーチーズ、それにタバスコのジュレを添えた怪しげな珍味を、実に美味そうに口へと運んでおりました。
「えっ……森繁さん、それ、本当に美味しいんですか……?」
キッチンのほうから、ハタキを片手にして、エプロン姿の天羽莉紗がひょっこりと顔を出しました。
フードを外したその頭には月の光を溶かし込んだような美しい銀髪、そしてその奥でくるくると表情豊かに動く深紅の瞳。
今やこの事務所の完璧な日常のオアシスとなった少女が、怪しげな泥のような物体を、心底嫌そうに覗き込んでおります。
「おいおいお嬢ちゃん、科学の進歩を信じるのは結構だが、たまには自分の舌を野生のジャングルに解き放ってやるこった。この一皿は、三ツ星シェフだって嫉妬のあまり自分のコック帽を茹でて食べるレベルの傑作だぜ。どうだい、お前も一口、食べてみるかい?」
龍は不敵に笑い、スプーンですくい上げた怪しいジュレを莉紗の鼻先へと突き出しました。
「う……。そこまで言うなら、ちょっとだけ……」
莉紗は恐る恐る、スプーンの上の物体を、小さな舌先でパクリと一口、口へと含みました。 そして皆様、その瞬間でございます!
「――――ッ!?」
莉紗の身体が、まるで落雷に打たれたかのように激しく直立不動で硬直いたしました!
口内に広がったのは、ブルーチーズの強烈な足の裏のような発酵臭と、タバスコの燃えるような激痛、そしてスイカの生温かい甘みが、最悪の不協和音を奏でながら胃袋を直撃する、まさに味覚のバイオハザード!
「う、うわああああ! な、何ですかこれ! 脳みそがサンバを踊るんじゃなくて、三途の川の向こう岸でお母さんが手招きして踊ってます!」
莉紗は一瞬にして顔面を土気色に染め上げると、喉をかきむしるようにして、トイレへと猛ダッシュで駆け込んでしまいました!
「ガラガラ、ペッ! げほっ、ごほっ! 水! 水をください!」
奥のトイレから、魂を吐き出すかのような激しいうがいの音が、悲痛に響き渡ってまいります。
「ハッ、お行儀の悪いお嬢ちゃんだ。せっかくの極上のディナーをドブに捨てるなんてねえ」
龍は他愛もないジョークでも話すように肩をすくめ、再びスプーンを口に運びました。
その時、コツコツと小気味よい革靴の音を響かせ、部屋の入り口に佇んだのは、上等なスーツを乱れなく着こなしたインテリ。
公認会計士にして、裏では厄介なオカルト案件を捌く情報通の仲介屋、虎徹博光でございます。
「やれやれ、相棒。昼間から事務所で生物兵器の実験かい? 莉紗ちゃんの悲鳴が階段の下まで丸聞こえだったよ」
虎徹は呆れたように首を振りながら、書類カバンをテーブルの上に置きました。
「うるさいぜ、大将。俺の胃袋はいつでも、地獄の荒野を爆走する野生のハンターだからな。で、お前のその磨き上げられた靴音が我が城の敷居をまたぐってことは、また退屈しのぎにちょうどいいサンドバッグを見つけてくれたってわけかい?」
「フッ、お前のその鋭い嗅覚にはいつも感心するよ、相棒」
虎徹はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、書類カバンから、一通の分厚い茶封筒……ではなく、何やら黒くて不気味なプラスチックの塊を取り出しました。
それは、ラベルの剥がれた、不自然に薄汚れた一本の古いVHSのビデオテープでございました。
「おいおい大将、随分と懐かしいお弁当箱を持ってきたじゃないか。俺への差し入れがただのプラスチックの塊だとしたら、地獄の配給所もお前のケチさに頭を抱えるぜ」
「ボケるんじゃないよ、龍。これはある資産家が終活、まぁ、人生の整理整頓をしていた際、若い頃に手に入れた曰く付きのビデオテープさ。どうしても処分できずに困り果てて、うちに泣きついてきたんだ」
虎徹は眼鏡の位置をすっと直すと、その表情を少しだけ真面目なものへと戻しました。
「こいつは、呪いのビデオだ」
その言葉が響いた瞬間、窓の外を通り過ぎる風の音が、一瞬だけ不穏に冷たく、重くなったようでございました。
「一度再生してその中身を見たら、七日後の同時刻に確実に死ぬ。どれほど足掻こうと、呪いのプログラムは絶対に対象の脳を焼き切って殺す。……ネットや映画でバズりにバズった、いわば貞子さ」
「ほう、見つめ合うだけで七日後に脳みそをシェイクしてくれるなんて、ずいぶんとお熱いお嬢様じゃないか。だが、俺のスケジュール帳は向こう一週間、昼寝の予定でパンパンに埋まっててね。デートのお相手をしちゃあ、ちと時間が足りないぜ」
龍は全く怯む様子もなく、不敵に笑ってガムをクチャリと噛みました。
そこへ、喉を押さえ、涙目でトイレから這い戻ってきた天羽莉紗が、テーブルの上の黒い不気味なプラスチックの塊を見て、不思議そうに質問を投げかけました。
「げほっ、ごほっ……。もう、森繁さんの舌は絶対に麻痺してます……。って、何ですか、その黒いお弁当箱みたいなのは? 新しいお仕置きの道具ですか?」
「おいおいお嬢ちゃん、こいつは傑作だぜ」
龍は呆れたように鼻で笑い、つまようじをくわえ直しました。
「今どきのドパガキは、この高価なブラックボックスの正体も知らないのかい? 画面をタップすれば何でも動くと思っている令和のガキどもにゃあ、ちと刺激が強すぎる骨董品ってわけさ」
「ドパガキって言わないでください! そもそも、これ、何なんですか?」
莉紗はぷんぷんと怒りながら、古いビデオテープを指差しました。
虎徹はジェネレーションギャップに苦笑しつつ、莉紗に向けて、優しく、丁寧に講義を始めました。
「いいかい莉紗ちゃん。これはね、昔、映画や番組を磁気テープに記録して再生するための魔法の箱さ。再生するにはビデオデッキという、このテープをガチャンと飲み込む専用の巨大な機械が必要でね……」
「えっ、再生するだけで機械が必要なんですか? スマホで動画を見るのとは訳が違うんですね……」
莉紗は、信じられないものを見る目で、黒いビデオテープを見つめました。
虎徹は丁寧に、ビデオデッキへのテープの挿入方法や、ガチャリと押し込んで再生ボタンを押す、かつての昭和や平成の当たり前だった手順を教え込みます。
「安心しな、お嬢ちゃん。うちの事務所には、俺が昔、深夜アニメの録画に使っていた、骨董品の古いビデオデッキがまだ現役で眠ってるからな。まあ、もっとも、今日の俺はそれを引っ張り出すエネルギーすら惜しいがね」
龍はそう言ってソファに寝そべろうとしましたが、虎徹がふと、部屋の奥にポツンと置かれた、あの巨大で重厚なブラウン管テレビと古いビデオデッキを眺め、龍に素朴な疑問を投げかけました。
「……しかし龍、毎回思うんだが、なぜお前は未だにこんな骨董品を事務所に置いているんだ? ゆとり世代も、ブラウン管の時代は子供の頃で終わったはずだろう。今や家電量販店に行けば、薄くて便利な液晶テレビが安く手に入るんだぜ」
虎徹のその質問に対し、龍はソファの上でふっと体を起こし、ジャケットの襟を軽く整えて、最高にキザな笑みを浮かべました。
「おいおい大将、お前は本当にロマンってやつを地獄のゴミ箱に捨ててきやがったな。この重厚な手応え、画面の主電源を切った瞬間に、画面中央へと光がスッと吸い込まれて消え去る、あの刹那の美学。そして、磁気テープが絡まるあのビデオテープの、どこか哀愁漂うローファイなヴィンテージ感。このノイズ混じりの不完全さこそが、大人の男にふさわしい最高にスタイリッシュな夜を演出するのさ」
龍は熱く、ブラウン管テレビとビデオデッキの美学を語り倒しました。
虎徹は呆れたように首を振りました。
「はは、そいつは傑作だ。お前がただ最新の薄型テレビを買う金がないのを、もっともらしい美学でデコレーションしているだけじゃないのかい、相棒?」
「いや、絶対にそうですよ! ただの金欠の言い訳を、かっこいい風に語らないでください! そもそもただの粗大ゴミじゃないですか!」
莉紗が間髪入れずに、キレ味抜群のツッコミを炸裂させました!
「おっとお嬢ちゃん、人聞きの悪いことを言うなよ。俺のサイフは確かに北極の万年雪より冷え切っているが、俺の感性はいつだって最先端のランウェイを歩いてるのさ。で、大将。その呪いのビデオとやらが、なんでうちの事務所に持ち込まれたんだい?」
龍は気だるげに話題を戻しました。
虎徹はニヤリと笑い、ビデオテープを指先で叩きました。
「ああ、本題はそこさ。依頼人が一番悩んでいるのは、このビデオが絶対に壊れないということなんだ。燃やそうとしても火がつかず、ハンマーで叩いても傷一つ入らない。呪いのバリアに守られた、ルール無用の不滅の呪物さ。だから、お前のその規格外のフィジカルで、どうにか処分してほしいという依頼なんだよ」
「はは! どんな道具を使っても壊せないだって? 大将、地獄の解体業者もお前のその大袈裟なハッタリには耳を塞いで、お気に入りのハンマーを川に投げ捨てるだろうよ」
龍は不敵に笑うと、テーブルの上のビデオテープをヒョイと、片手だけでつまみ上げました。
「そんなお行儀の悪いプラスチック、俺の指先にかかりゃあ、赤子の手をひねるより簡単だぜ。おい大将、さっさとその資産家から大金をむしり取って、一勝負しに行こう。……ほらよ!」
龍が、両手でビデオテープの左右の端を掴み、ほんの少しだけ、その指先に力を込めた、その瞬間!
バキィィィィン!!!
なんということでしょう!
あらゆる炎やハンマーの直撃にも傷一つ負わなかったはずの、呪いによって守られた不滅のビデオテープが、龍の圧倒的な物理破壊の前に、いとも簡単に、真ん中から真っ二つに叩き割られてしまったのでございます!
「ええええええ!? 壊れない呪いのビデオを、素手で、一瞬で半分に割ったぁ!?」
莉紗は喉の痛みを忘れて、事務所に響き渡るほどの驚愕の悲鳴を上げ、その場に飛び上がりました!
「ハッ、お行儀の悪いプラスチックだったな。ゴミ箱にでも放り込んでおくこった」
龍は真っ二つになったビデオの破片を、テーブルの上にポイと無造作に投げ捨て、満足げに笑いました。
ですが皆様!
不滅の呪いが、ただの物理的な破壊だけで、そう簡単に大人しく引き下がるものでございましょうか?
パラパラと、割れたプラスチックの隙間から、真っ黒く千切れた磁気テープの死骸がテーブルの上にこぼれ落ちた、まさにその瞬間。
キィィィィン……。
静まり返った事務所の空気を切り裂いて、突如として、耳鳴りのような、不快極まりない電子ノイズが鳴り響き始めたのでございます。
「きゃっ……何、この音……?」
莉紗が両耳を塞ぎ、顔を歪めました。
しかし、そのおぞましきノイズは、じわり、じわりと、さらにその不快な音圧を増していくのでございます。
物理的に破壊された衝撃により、怪異が、今まさに動き出そうとしていることに、まだ誰も気づいてはなかったのでございます……。
お次は、一体どんな恐怖が待ち受けているのやら……。
それは次回のお楽しみ!




