呪いのビデオ 2
さてさて皆様、お立ち会い!
叩き割られた不滅のビデオテープ、その破片から放たれたおぞましきノイズ。
ですがおやおや、なんということでございましょう!
耳を塞ぎ、あまりの不快さに顔を歪める天羽莉紗に対し、そこに佇む大男とインテリの二人は、まるで春のうららかな陽気の中で昼寝でもしているかのように、実にとぼけた顔で首を傾げていたのでございます。
「おいおいお嬢ちゃん、どうしたんだい? そんなに両耳を塞いで、地獄のヘビメタバンドの爆音でも脳内でライブ中だっていうのかい?」
森繁龍が、不思議そうに莉紗を覗き込みました。
「え……? だって、森繁さん、今のキィィィィンって嫌な電子音が聞こえないんですか!? 事務所全体が震えるくらいに響いてるじゃないですか!」
「おやおや、莉紗ちゃん。僕には何も聞こえなかったけれどね。相棒の気だるげな生あくびの音と、エアコンの古いファンが回る頼りない金属音くらいしか、この耳には届いていないよ」
虎徹博光が、紳士的な口調ながらもその瞳に鋭い観察の光を宿しました。
「嘘……! 虎徹さんまで……!? じゃあ、本当に、私にしか聞こえてなかったって言うんですか……?」
莉紗の顔から、みるみるうちに血の気が引いていきます。
虎徹は困ったようにため息をつきました。
「いいかい、莉紗ちゃん。単純に、ちょっと疲れが出たんじゃないのかな。龍の奇妙な食べ物を食べたせいで、脳に多大なる負担があって、幻聴でも聞こえただけさ。少し休むといい」
「そ、そうなんですかね……。でも、私の耳には鼓膜が破裂するくらいにはっきり聞こえてたんですよ!」
「ハッ、お行儀の悪いお嬢様だ。幻聴だろうが本物の呪いだろうが、とにかくこの不気味なプラスチックの破片どもを何とか処分しちまうのが先決だな。俺のハンサムな顔に泥がつく前に、さっさとその資産家に引き渡して一仕事終えようぜ」
「ああ、そうだね。このまま事務所に放置しておくのも、莉紗ちゃんの健康に悪い。龍、このテープの磁気部分の死骸を拾い集めなさい。一度、依頼人のところへ行って、この絶対に壊れなかったはずのビデオが森繁便利事務所の男に簡単に真っ二つにされたという事実を報告し、報酬を受け取ろう」
二人はそう言うと、テーブルの上に散らばった黒い破片と、千切れた磁気テープの束をゴミ袋へと放り込みました。
「莉紗ちゃん、君は事務所で大人しく留守番をしているんだよ。鍵は内側からちゃんとかけて、僕たちが戻るまで誰も中に入れないようにね」
「は、はい……。気をつけてくださいね、二人とも」
トントントン、と時が過ぎまして。
コツコツと重厚な二人の靴音が廊下の奥へと消え去り、事務所には完璧な静寂が引き戻されました。
窓の外を見ると、いつの間にかどんよりとした鉛色の雲が広がり、のどかな秋の夕暮れを、急速に濁った夜の闇が塗り潰そうとしております。
莉紗は一人、綺麗に片付いた事務所で、静まり返ったソファーにちょこんと腰掛けておりました。
しん……。
耳が痛くなるほどの異様な無音。
それは、まるで世界全体が冷たい真空パックに閉じ込められたかのような、息が詰まるほどの沈黙でございます。
「……何、この静けさ」
莉紗はごくりと唾を飲み込み、自分のドクドクと高鳴る心臓の音だけが、やけに大きく部屋に反響しているのを感じました。
何気なく、部屋の隅の暗がりにポツンと置かれた、あの巨大で重厚なブラウン管テレビとビデオデッキへと目を向けた、その瞬間。
「あれ……?」
そこには、信じられない光景がございました。
さっきまで動いていなかった古いビデオデッキ。
その黒い筐体のフロントパネルで、不気味に真っ赤な主電源のランプが、チカチカと怪しく明滅しているではありませんか!
ガチャン。
莉紗が引き寄せられるようにゆっくりと近づいたその時、誰も触れていないビデオデッキのトレイが、まるで生き物のように勝手に開き、そして再び、吸い込まれるように閉まりました。
恐怖が、津波のように彼女の脳裏を激しくノックいたします。
人間の好奇心、あるいはオカルトに魅入られた心というものは、時に恐怖を上回る愚かな行動を取らせるものでございます。
「何が、入ってるの……?」
莉紗はガタガタと震える右手の指先を、ゆっくりと、その古いデッキの再生ボタンへと伸ばし、カチリと押し込んでしまったのでございます!
ザァァァァァァァァァァァァァ……!
その瞬間、電源の入っていないはずのブラウン管テレビの画面が、爆発的な輝きで起動し、部屋全体を青白い、おぞましき砂嵐の光で包み込みました。
耳障りな電子のノイズが、静寂を無惨に引き裂きます。
明滅するノイズの向こう側に映し出されたのは、鬱蒼と茂る不気味な森の奥、静かに佇む一本の古い井戸。
そして、その井戸の底から、ぬうっと、長い黒髪で完全に顔を覆った、
おぞましき白い服の女が、関節をあり得ない角度にギチ、ギチとねじ曲げながら、画面の手前へと這いずり寄ってくるではありませんか!
「ひっ、あ、ああ……!」
莉紗は腰を抜かし、尻餅をついて後ずさりいたしました。
這い寄る女の動きは急速に速度を増し、次の瞬間、テレビのガラス画面を、内側から激しくガタガタと引っ掻き始めました。
そして、信じられないことに!
おぞましく濡れた長い黒髪の頭が、そして泥に汚れてぶよぶよにふやけた白い腕が、テレビのガラスの境界を物理的に通り抜け、こちらの世界へと飛び出して這い出てきたのでございます!
「嫌あああああああああああああああ!」
莉紗が喉を引き裂かんばかりの悲鳴を上げた、まさにその瞬間!
バガァァァァン!!!
「おいおいお嬢ちゃん! 一体全体、何の悲鳴を上げやがんだ!」
事務所の頑丈なドアが、龍の強力なキックによって豪快に蹴り破られ、二人の男が息を切らせて飛び込んできました!
「森繁さん! 虎徹さん! あれ、あれを見て! 画面から、オバケが、女の人が這い出てきて――!」
莉紗は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、必死にテレビの方向を指差しました。
ですが、どうしたことでしょう。
龍と虎徹が鋭い視線を向けたその先には、ただ消灯したままの冷たいブラウン管の画面が、静かに佇んでいるだけでございました。
「おいおいお嬢ちゃん。いくら俺の極上の昼寝プランに嫉妬したからって、そんな手の込んだ幻覚でお化け屋敷の仕掛けをアピールするのは、ちと趣味が悪いぜ」
龍はだらしなく肩をすくめました。
「違うの! 本当にいたの! 画面から這い出て、手がここまで届きそうに……!」
莉紗が必死に訴えかけた、その瞬間。
ピリリリリリ、ピリリリリリ!!!
莉紗の制服のポケットの中で、スマートフォンがけたたましく、耳障りな音を立てて鳴り響きました。
びくりと莉紗の身体が跳ね上がります。
液晶画面を見れば、発信者番号は非通知。
震える指先で通話ボタンを押し、恐る恐る耳元へと当てた莉紗の、その耳の奥へと直接。
キチ、キチキチ、ギギギギギギギギ!!!
あの、おぞましく濡れた爪で黒板を狂ったように引っ掻き回すような、脳髄を中から直接かきむしる精神汚染の不快なノイズが響き渡りました!
そして、そのノイズの隙間を縫うように、湿り気を帯びた掠れた声が、低く囁いたのでございます。
「あと……七日……」
ツ、ツ、ツ……。
電話は一方的に切れ、莉紗のスマートフォンは圏外の文字へと切り替わりました。
「あ……あう、うう……」
莉紗は顔面を土気色に染め、糸の切れた人形のように、その場へへなへなと崩れ落ちてしまいました。
「……なるほど。これは少し不味いね」
状況を察した虎徹が、瞳を冷徹で真面目なものへと変え、莉紗を抱き起こしながら静かに語りかけました。
「莉紗ちゃん、君をこのまま一人で帰すわけにはいかない。相手は世界中が畏怖した呪いのビデオの怪物だ。ルール通り、七日後の同時刻に、君を呪い殺しに来る。……今日から七日間、君はこの事務所で過ごすんだ」
「おいおい大将、待ってくれよ!」
龍が心底嫌そうに、大声を上げました。
「俺の神聖な独房にこのお騒がせなお嬢ちゃんを同居させるなんて、地獄の説教部屋よりもプライバシーがねえぜ。俺のデリケートなプライベート空間が、女子高生の生活音でデコレーションされるなんて、まっぴらごめんだね!」
「お前のだらしのない生活を改善するには、ちょうどいいお目付け役さ」
「ちっ……この腹黒インテリめ」
龍はガリガリと頭を掻くと、ソファの隅で小さくなってカタカタと震え、今にも消え入りそうに涙をこぼす莉紗の姿をじっと見つめました。
そして、ふぅと深く、ため息をついたのでございます。
「やれやれ……勝手にしろ。ただし俺の昼寝の邪魔をしたら、そのお洒落な銀髪を天井のファンに巻きつけてヘリコプターみたいに回してやるからな」
「……あ、ありがとうございます、森繁さん。ご迷惑をかけて、すみません……」
莉紗は涙を拭いながら、不器用な龍の優しさに、胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じるのでございました。
トントントン、と時が過ぎまして。
一日、また一日と、莉紗の命の砂時計が非情に音を立てて削られてまいります。
それからの七日間、莉紗にとってそれは、まさに底なしの黒い檻に閉じ込められたかのような、悪夢の侵蝕の日々でございました。
毎夜、眠りに落ちるたびに、莉紗はあの暗い井戸の底へと引きずり込まれる夢を見ました。
どこまでも続く暗闇、見上げれば丸い井戸の口だけが遠く光り、足元からは、ぬらぬらとした黒い髪の毛がうねるように莉紗の足を絡め取って這い上がってくる。
そして、おぞましき白い服の女が、すぐ目の前でその顔の隙間から、血走った巨大な一つ目をギラリと見開いて莉紗の喉元へと手を伸ばし、その脳みそを恐怖で直接かき回そうとする、極限の絶望。
「う、うわあああああああ!」
莉紗が夢の中で恐怖の絶叫を上げ、精神が焼き切られる寸前の、まさにその瞬間。
バサァァァン!
「おいおい、いつまで寝ぼけてるんだい、お寝坊なお嬢ちゃん。俺の朝食の特製フィッシュ&チップスは、いつになったらテーブルに並ぶんだい?」
無作法に布団を揺すり起こす、不敵で、ひどく面倒くさそうな男の声。
莉紗がハッと目を覚ますと、そこにはいつもと変わらない森繁龍が、お腹を空かせて立っていたのでございます。
「あ……森繁、さん……」
窓から差し込む、いつも通りのまばゆい朝の光。
「もう! 森繁さん、起こし方が乱暴すぎます! それに朝からフィッシュ&チップスなんて、胃もたれしちゃいますよ!」
「フン、俺の野生の胃袋を舐めるんじゃないぜ、お嬢ちゃん」
莉紗はぷんぷんと怒りながらも、その頼もしい背中の影に、魂の底からの絶対的な信頼と、言葉を超えた安心感を感じずにはいられなかったのでございます。
そして、ついに訪れました。
運命の第七日目、タイムリミットの深夜。
事務所の古いブラウン管テレビの前で、龍と莉紗の二人は、約束の時刻を今か今かと待ち構えておりました。
しんとした重苦しい静寂が、部屋全体をじわじわと侵蝕していきます。
しかし、龍は相変わらずソファーにこれでもかと手足を投げ出し、気だるげに生あくびを噛み殺しておりました。
「やれやれ、退屈な夜だ。お化けの女王様は、遅刻の言い訳でも考えてるのかい?それとも、俺のハンサムなツラにビビって、井戸の底でポップコーン片手に深夜のトークショーでも楽しんでるのかねえ 」
龍が大きくあくびをし、その顎が完全に緩んだ、まさに無防備なその一瞬!
ドゴォォォォォン!!!
「――ッ!?」
なんということでしょう!
何もない虚空から、突如として炸裂した、凄まじい不可視の念動力!
大型トラックに真正面から撥ね飛ばされたかのような凄まじいオカルトパワーが龍の巨体を直撃し、龍は背中で事務所の頑丈な壁を激しくブチ破りながら、廊下の奥へと激しく吹き飛ばされてしまったのでございます!
「森繁さん!?」
莉紗が悲鳴を上げてとっさに立ち上がり、吹き飛ばされた龍のほうへ駆け寄ろうとした、その瞬間。
ゾクゾクとするような絶対的な冷気と、脳髄を直接かきむしるほどの、凄まじい死の気配が、莉紗の背中にピタリと張り付きました。
空気が凍りつき、莉紗の呼吸が白く凍りつきます。
莉紗は恐怖に耐えかねて、ギギギ……と、首をロボットのように後ろへと恐る恐る振り返りました。
そこには、いつの間に忍び寄ったのか。
莉紗のすぐ真後ろ、鼻先が触れ合うほどの至近距離に、長い黒髪で顔を覆ったあの怨霊が、すっくと立ち塞がっていたのでございます!
「キエエエエエエエエエエエエ!」
おぞましき絶叫とともに、怪異が莉紗へと襲いかかりました!
自動的に起動したブラウン管テレビの砂嵐から、黒い触手のような磁気テープが無数にうねり出て、莉紗の身体を、テレビの奥のおぞましき井戸の底へと強引に引きずり込もうと引っ張ります。
「嫌っ、助けて、森繁さん……!」
莉紗の銀髪が液晶の光に照らされ、その身体がまさに画面の境界へと引きずり込まれ、魂を喰われようとした、その絶体絶命の瞬間!
ガシィィィィン!!!
不気味に響く、肉と肉が激突する重厚な音。
莉紗を掴んで引きずり込もうとしていた怨霊の、あの細くてぶよぶよとした白い手首を。 吹き飛ばされていたはずの森繁龍の、あの鋼鉄の如き五指が、コンクリートの粉塵を薙ぎ払いながら、ガッチリと、鉄万力のように掴み取ったのでございます!
「おっと、お行儀が悪いぜ、お嬢ちゃん」
立ち上る煙の向こうから、冷たい、獰猛な肉食獣の光を宿した龍の双眸が、怪異を正面から睨み据えていました。
その節々には、不意打ちで壁の漆喰を背中で削られたことに対する、静かな、そして極限の苛立ちのオーラが、ピキピキと張り詰めて立ち上っておりました。
「俺の大切なお目付け役を、そんな薄汚れた井戸の底へ連れ去ろうなんて……ちと、紳士協定違反だぜ。……お前のそのお行儀の悪い手を、今から根元からデコレーションしてやるから、覚悟しな」
掴まれた怨霊が、生まれて初めて体験する空前絶後の怪力に、敵意を剥きだしたのであります。
お次のお話は、一体どんなことが待ち受けているのやら……。
それは次回のお楽しみ!




