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くねくね 2

 さてさて皆様、お立ち会い!

 のどかな田舎のあぜ道で、突如として始まった悪夢の精神汚染。 見るだけで脳髄を焼き切り、正気を奪い去るという怪異くねくねを前に、一人の銀髪の美少女が、まさにその脳の許容量をオーバーフローさせて崩れ落ちようとしておりました。

 右を見りゃあ狂ったようにうねる白いノイズ、左を見りゃあ白目を剥きかけた少女の絶望。

 ですが皆様!

 物語がここで悲劇として幕を閉じることはございません!

 地獄の静寂をこれでもかと無神経に踏み荒らす、あのだらしなくも重厚な男の靴音が響き渡り、本日の真打ちがスッとその巨体を割り込ませたのでございます。



「おいおいお嬢ちゃん。そんなところで白目を剥いてダンスの練習をするには、ちと時間が早すぎるぜ」

 冷たく凍りついていた空気を、何の躊躇もなく、お気楽にぶち壊す男の声。

「も、森繁……さん……?」

 莉紗が涙に濡れた赤い瞳をかろうじて見開き、焦点の合わない視線で、目の前に立ちはだかる背中を見上げました。

 身長百九十センチ、筋肉の装甲を黒いジャケットで覆った大男、森繁龍。

 この男、見るだけで精神を破壊するというおぞましき怪異を眼前にして、まるで日曜の朝にベランダで歯を磨いているかのように、気だるげに欠伸を噛み殺しておりました。

「ギギギ、ギチチチ、キエエエエエ!」

 三十メートルの至近距離で、白い異形が激しい咆哮を上げました。 自慢の、見るだけで発狂させるという精神汚染の絶対ルールが、この男にはまるで蚊の羽音ほども効いていないのですから、化け物のほうこそ脳のバグを起こしてパニックになるというもの!

「やれやれ、そんな白いリボンを激しく踊らせて、俺に大歓迎のハグでも求めてるのかい? だが残念ながら、俺の掌はもっとマシなものを掴むためにあるんでね。あんな安っぽい盆踊り、一瞬にしてデリートしてやるさ」

 龍は全く怯む様子もなく、不敵な笑みを浮かべて、懐から何かを取り出しました。

 それはなんと、別荘の玄関先にぽつんと置かれていた、ただの野球の硬式ボールでございました!

 相手は見るだけで脳を焼き切る怪物だというのに、取り出したのは遊び道具の野球ボール! これ以上ないほどの、絶対的な無関心と侮蔑でございます!

 龍はボールを右手の中で軽く弄びながら、隣に立つスーツ姿のインテリへと、何気ない世間話を振り始めました。

「おい大将。昔、俺たちが子供のころに夢中になって遊んだ野球ゲームを覚えてるかい? 誰もがピッチャーの投げる球速百六十五キロに憧れたもんだ」

「ああ、よく覚えているとも、相棒。あの時代の能力値のカンストだったからな。インターネットで公開されている、165キロAAのパスワード選手を見たときは子供心がときめいたな」

 虎徹博光が、全く緊張感のないトーンで上品に答えを返しました。

「おまけに、ジャイロボールだ! あれの習得のため、攻略サイトを何回見たことか」

「はは、あったな、そんな能力。それにムービングジャイロに、ソニックライジングジャイロっていうのも憧れたな」

「どうだい、大将。今日は久しぶりに、あのカンスト値を叩き出してやろうか?」

 二人の不敵な笑みが重なり、空間を包んでいた不快なノイズを、楽しげな雑談が力づくで塗りつぶしてまいります。

「おっと、そいつは傑作だ。じゃあ、ちょっとばかり感傷に浸らしてもらおうか」

 龍はくるりと半身をずらし、蠢く怪異の方向を鋭く見据えました。 そのダウナーだった双眸に、ギラリと獰猛な肉食獣の光が宿ります。

 龍がグッと腰を落とし、その長い右腕を大きく後ろへ引いた、その瞬間。

 ピキ、ピキピキ……!

 なんということでしょう!

 龍が右足で大地を踏みしめただけで、頑丈なアスファルトのあぜ道に、クモの巣状の深い亀裂が走り始めたではありませんか!

 自慢の超絶フィジカル、ハンドボール投げ左右二百メートル、砲丸投げ百五十メートルを誇る、世界規格外のデカいエンジンが、今、フル回転で咆哮を上げようとしております!

「地獄のキャッチャーミットを用意しな、お嬢ちゃん。……俺の超高速ストレートは、ちと痛いぜ!」

 龍の全身の筋肉が一瞬にしてバネのごとくしなり、右腕が光速の回転を描いて振り抜かれました。

 ドゴォォォォン!!!

 田んぼのど真ん中に、まるで超音速戦闘機が目の前を突破したかのような、鼓膜を破らんばかりの凄まじい衝撃波が轟き渡りました!

 放たれた硬式ボールは、もはやボールなどという生易しいものではございません。

 凄まじい摩擦熱で赤黒く燃え上がり、空気を物理的にねじ曲げ、ジャイロボールとなって、真空の軌跡を描きながら一直線に怪異へと突っ込んでいったのでございます!

「ギ、キエ――ッ!?」

 三十メートル先で蠢いていた影が、悲鳴を上げる間さえございませんでした。

 超高速の質量兵器となったボールは、化け物の脳天、いや、そのおぞましき白い胴体のど真ん中を、寸分の狂いもなく完璧に撃ち抜いたのでございます!

 ドガシャァァァン!!!

 凄まじい風圧と衝撃波により、田んぼの泥水が十メートル近くもドーム状に吹き上がり、周囲の稲穂が台風に遭ったかのように一斉にひれ伏しました。

「ギ、 ギエエエエエエエ!」

 悲鳴とともに、白い異形の肉体が、内部から木っ端微塵に爆発いたしました!

 その不気味な皮膚は一瞬にしてサラサラと崩れ、温かみのある綺麗な、光を帯びた白い籾殻のような灰へと姿を変え、のどかな秋の田園の風に吹かれて消え去っていったのでございます。

 空間を歪めていた精神汚染も完全に霧散し、莉紗の視界を覆っていた赤黒いノイズも嘘のように晴れ渡り、窓の外には、いつもののどかで平和な田舎の青い空が引き戻されてまいりました。

「ふぅ……。いい肩慣らしになったぜ。これで俺のピッチングフォームも、少しはメジャーリーガーに近づいたんじゃないかい、大将?」

 龍は煙を吹く右腕を気だるげに回し、不敵に親指を立ててみせました。

「ふっ、大谷翔平、藤浪晋太郎、いやあの世で金田さんによろしく、って伝えてくれよ」

「ははは、あのじいさんなら、ワシの方が速いっていうな」

「なるほど。あのじいさんは現役引退してからもボールが加速するからな。あっちの方があの世のバッターも青ざめるレベルだな」

「ははは! ま、俺が投げたらバッターどころか、キャッチャーごとバックネットまで突き抜けて消滅するのがオチさ」

 二人が楽しそうに軽妙なやり取りを繰り広げている中、ハッと正気を取り戻した天羽莉紗は、一瞬だけ呆然と田んぼを見つめていましたが、すぐに立ち上がると、お盆の代わりにパーカーの裾をギュッと握りしめて、キレ味抜群のツッコミを炸裂させました!


「いや、おかしいでしょ! なんで離れているオバケを、野球ボールで粉々に爆殺できるんですか! 除霊じゃなくて、ただの超常的な暴力ですよ! 皆さんに、今すぐ全力で謝ってください!」

「おいおいお嬢ちゃん、人聞きの悪いことを言うなよ。俺はただ、あぜ道のゴミ拾いをお手伝いしてやっただけさ。それに、金田のドロップだって、三途の川を割るくらいのキレはあるはずだぜ」

「あるわけないでしょ! 言い訳のスケールが大きすぎて全然ついていけません!」

「ははは! 莉紗ちゃん、こいつの脳みそは筋肉のプロテインでデコレーションされているからね、何を言っても無駄さ。さあ、別荘の主が大感謝の涙を流して待っている。約束のケーキ屋の特製タルトを平らげに行くとするかねえ」

「あ、タルト! ……じゃなくて、森繁さん、もう本当に無茶苦茶なんですからね!」

 莉紗はぷんぷんと怒りながらも、どこか嬉しそうに龍の背中の影を追いかけるのでございました。



 トントントン、と時が過ぎまして。

 ところ変わって数日後、中央区の片隅に建つ森繁便利事務所。

「おいおい、信じられるかい! 三番のあの黄金の駿馬め、まるで背中にロケットでも背負ってるかのような爆走を見せやがった! 最後の直線なんて、他の馬たちがカタツムリに見えるほどの神速だったぜ。おかげで俺のサイフは今や、カリブ海の太陽よりもギラギラに熱く燃え上がって、札束でパンパンに膨らんでるってわけさ!」

 ガラリとご機嫌に扉を開けて入ってきたのは、競馬で見事大勝ちを収め、鼻歌交じりの森繁龍。

 ジャケットをだらしなく片肩に引っ掛け、いつになく不敵な笑みを浮かべる筋肉巨漢の鼻が、キッチンのほうから漂う、甘辛く出汁の効いたなんとも美味そうな匂いにピクリと反応いたしました。

「あ、おかえりなさい、森繁さん! ちょうど肉じゃがを温め直したところですよ」

 エプロン姿の天羽莉紗が、キッチンからお玉を片手にして、ひょっこりと顔を出しました。

「おっとお嬢ちゃん、今日ばかりは俺のサイフにお世辞を言うこった。約束通り、あの街で一番お洒落なケーキ屋の特製タルトを丸ごと三個、いや、お前の細いお腹が破裂するまで奢ってやるぜ。今の俺は、ちょっとした大富豪の金庫番をスカウトできるくらいに潤ってるからな!」

 龍はパンパンに膨らんだサイフをテーブルにドンと置き、自慢げに胸を張りました。

「それは嬉しいですけど……。あ、そういえば森繁さん、さっき虎徹さんから封筒が届いてましたよ。机の上に置いておきましたけど」

 莉紗は出来立ての肉じゃがをお皿に盛り付けながら、お盆を片手に、テーブルの上の白い封筒を顎で指し示しました。

「ほう、大将のやつ、さっそく今回の別荘地のボーナスを届けてくれたってわけかい。全く、地獄のサンタクロースもお前の気の利きようには脱帽して、ソリの特等席を譲るに違いないぜ」

 ご機嫌の龍は、テーブルの上の封筒を荒々しく引き裂き、中身を取り出しました。

 不敵な笑みを浮かべて封筒を覗き込んだ龍の顔が、一瞬にして、まるで氷河期の氷に閉じ込められたマンモスのように凍りついたのでございます!

 カサリ、と力なく指先から零れ落ちたのは、分厚い札束ではなく……何やら細かく数字の並んだ、極めて厳格な書面の数々。

「……なんてこった。大将、これは一体何のジョークだい?」

 龍の額から、嫌な冷たい汗がタラリと伝い落ちました。

 それを見た莉紗が、不思議そうに横からその書面を覗き込みます。

「えーっと……別荘地における物置の全壊および敷地内破損に伴う、緊急修繕費用ならびにガラス等の総取替請求書。総額、金二百三十万円……えっ、二百三十万!? し、修理代!?」

 莉紗は驚きのあまり、赤い瞳を真ん丸に見開いて絶句いたしました!

 そう、なんと!

 龍が怪異を爆殺するために放った、あの百六十五キロ超えの超音速ジャイロボール。

 放たれたボールの凄まじい衝撃波の風圧は、化け物を粉砕したのみならず、背後にあった頑丈な物置を建物ごと木っ端微塵に崩壊させ、庭全体のガラスをことごとく粉砕していたのでございます。

 その凄まじい請求額は、先ほど龍が競馬で大勝ちした配当金を、跡形もなく、綺麗さっぱりと彼方の地平線まで吹き飛ばすほどの破壊力!

 ハッと我に返った莉紗は、お玉をギュッと握りしめ、キレ味抜群の常識人ツッコミを炸裂させました!

「いや、おかしいでしょ! なんで野球ボール一個投げただけで、二百万を超える物置の修繕費が請求されるんですか! 除霊にかこつけて、ただの破壊活動をしてるからこうなるんですよ! 競馬の大勝ち、全部どころか足が出るレベルで大赤字じゃないですか!」

「お、おいおい、お嬢ちゃん、落ち着きな。あの物置は、俺の投球フォームの美しさに嫉妬して、自ら崩壊への階段を駆け下りたってわけさ。それに、藤浪や大谷のストレートだって、時にはバックネットの支柱くらいはへし折るはずだぜ」

「折るわけないでしょ! いいから今すぐそのパンパンのサイフを持って、銀行に全額振り込みに行ってください! 虎徹さんの名前で、龍の取り分から一括で引き落とす、って裏面に赤字で書いてありますよ!」

「……あの大黒柱をへし折るような腹黒インテリめ。地獄の税務署のほうが、お前のその非情な取り立てよりはマシな数字を提示しやがるぜ……」

 龍は心底嫌そうにサイフを掴むと、がっくりと肩を落としてソファに深く沈み込みました。 競馬の大勝ちという極上の天国から、一瞬にして物置の崩壊という理不尽な地獄の底へと叩き落とされた筋肉巨漢。

 ですが、龍はため息を深くつきながらも、莉紗が作ったホカホカの肉じゃがを無作法に口に放り込み、そのあまりの美味さに内心で舌を巻くのでございました。

 莉紗はそんな龍の自業自得な姿に、呆れ半分、ぷんぷんと怒りながらも、嬉しそうに事務所の窓を開け、のどかな秋の風を迎え入れるのでございました。

 さてさて皆様、本件は、これにてめでたく大団円、一件落着でございます!

 お次のお話は、一体どんな恐怖が待ち受けているのやら……。

 それは次回のお楽しみ!


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