深夜のアルバイト 壱
さてさて皆様、お立ち会い!
綺麗に片付いた事務所に流れるは、のどかな秋の夜風。
されど、そこに暮らす大男と少女の間には、今宵、お金をめぐるなんとも奇妙な価値観の火花が、ちりちりと音を立てて散らばっておりました。
事の起こりは、事務所の特等席に鎮座する、あのピカピカとまばゆい光を放つ最新型の大型液晶テレビでございます。
「おいおいお嬢ちゃん、こいつは実に大したブラックボックスだぜ。画質が良すぎて、競馬のジョッキーの鼻毛の本数から、走っている駄馬のケツにたかるハエの羽の模様まで、おそろしく鮮明に見えちまう。これじゃあ深夜映画のキザなセリフも、少しばかりお行儀が良すぎて耳が痒くなるってもんさ」
森繁龍が、ソファーにこれでもかと巨体を深く沈め、手元に置いたグラスを軽く揺らしながら、不敵な薄笑いを浮かべて画面を見つめておりました。
「ちょっと! 競馬ばかり見て! 少しは感動の余韻とか、私への感謝とか、そういう紳士的な態度を見せたらどうなんですか!」
天羽莉紗が、キッチンからお盆に載せたホカホカの紅茶を運びながら、その綺麗な銀髪を揺らしてぷんぷんと怒り出しました。
「フン、感謝なら毎朝のオムライスの上にケチャップでお前のハンサムなツラを描いて表現してやってるはずだぜ」
そこへ、同じテーブルを囲んでピカピカの液晶画面を、まじまじと見つめていた仲介屋の虎徹博光が、感心したように上品な声を漏らしました。
「おやおや、莉紗ちゃん。改めて見ても実に見事な薄型液晶テレビだね。僕の事務所の応接室にあるものより、遥かに視野角が広くて鮮やかだ。……ところで、これ、一体いくらしたんだい?」
莉紗は紅茶をテーブルに置きながら、何でもないことのようにサラリと答えました。
「え? ……まあ、これでも安くしてもらったんですよ。私のお小遣いをコツコツとはたいて、数十万程度ですよ。いつも命がけで私を守ってくれる、森繁さんへのお礼ですから、これくらい当然です」
「……数十万、ねえ」
ソファに寝そべったままの龍がだらしなく口笛を吹くと、呆れたように天井を仰ぎました。
「お嬢さんはお金の価値観が違うな。数十万という大金を、お小遣いはたいての一言で片付けちまうとは。おいおいお嬢ちゃん、お前、高校の規則もあるだろうが、アルバイトなんかしたことないだろ。汗水垂らして地獄の底から一ドル紙幣を這いずり回って掴み取る、あの極上のカタルシスを知らないなんて、実にお行儀の良い温室の薔薇さ」
「校則もありますし、私の家ではそういうのは……。ええ、したことがないです。それが何か? まるで森繁さんが、昔は汗水垂らしてまっとうに働いていたみたいな言い方ですね。どうせ、今と変わらずだらしなく競馬の赤ペンを耳に挟んで、誰かを脅したり、怪しい裏稼業で日銭を稼いでいたんでしょ」
莉紗がツンと鼻を鳴らしてソファーに腰掛けると、龍はフンと鼻で笑って、キザに人差し指をチチチと横に振りました。
「おいおいお嬢ちゃん、人聞きの悪いことを言うなよ。これでも俺と大将は高校時代、地元の労働市場で引く手あまたの超エリートコンビだったのさ。汗水垂らすどころか、海のなかに隠れている密猟者をな、俺の震脚で一瞬だけ海の水をすべて吹き飛ばしてなくし、その間に大将が安全な陸地からハント対象をスマートに指さし確認する。俺はむき出しになった海底でバタバタと困惑している密猟者どもを一網打尽にし、一人引き渡すごとに警察や漁業組合からきっかり一万五千円の報酬をもらう、割のいいバイトを二人でやっていたんだぜ」
「は?」
莉紗が、紅茶のカップを口元へ運ぶ手をピタリと止め、おかしなものでも見るかのように目を丸くしました。
「ちょっと待ってください、虎徹さんも一緒だったんですか!?」
莉紗が驚愕の声を上げると、テーブルの対面に座る虎徹は、お茶のカップを手にスマートに肩をすくめて微笑みました。
「ホラ話どころか、事実さ。僕が陸からあの不審船とあの男たちが対象だと双眼鏡でスマートに指示を出し、龍がコンクリートの岸壁からドンと一歩、強烈な震脚を繰り出す。その瞬間、まるで旧約聖書の海割りのように、湾内の潮水がドゴォォォンと数百メートルにわたって左右に吹き飛んでねえ。水の消えた海底で、密猟船ごと砂まみれになって這いずり回っている男たちを、龍が一人ずつハントしていく姿は、僕たちの輝かしい青春の一ページさ。密猟船は陸に打ち上げられていたからね。おかげで夏と冬の計二回やっただけで、その県の海域からは不審船が絶滅したのさ」
「いや、ちょっと待ってください!」
莉紗がソファーから立ち上がり、キレ味抜群のツッコミを炸裂させました!
「青春の一ページにしちゃあ、おぞましすぎますよ! あと海の水を震脚でなくすのはアルバイトじゃなくてただの天変地異です! 怖すぎて密猟者が絶滅したじゃないですか! どんな高校生コンビなんですか!」
「ははは。それにしても、今のアルバイトの話を聞いて思い出したよ」
虎徹は、テーブルの上に置いたままだった書類ファイルへと手を伸ばし、眼鏡を押し上げながら不敵に微笑みました。
「実はね、お前にぴったりの、深夜のアルバイトが舞い込んでいるんだがね」
「ほう。俺のハンサムな肉体を夜勤でデコレーションしようってのかい。大金を積む奴なら、どんな無茶な注文でも歓迎するぜ」
龍がニヤリと笑うと、虎徹はファイルをテーブルの中央に広げ、中から数枚の古いカラー写真を莉紗と龍の前に滑らせました。
そこに映し出されていたのは、昭和の終わりから平成の初期にかけて、全国の子供たちに愛され、そして数年前に不気味な噂と共に突如として閉鎖された、とある郊外の巨大ファミリーレストラン兼ハンバーガーショップの廃墟。
看板には、色褪せ、ペイントの剥がれ落ちた不気味なマスコットキャラクターたちのイラストとともに、フォレストファミリーバーガーという店名が薄気味悪く残っておりました。
「聞いたことがある。確か、昔、店内で子供が突然行方不明になるっていう、おぞましい都市伝説のあったファミレスよね……?」
莉紗が背筋を凍らせながら、写真を覗き込みました。
「都市伝説、ねえ」
龍は、写真に映る、異様に巨大なクマ、ウサギ、チキンの金属骨格を覆う不気味な着ぐるみ人形の姿を見つめ、あくびを漏らしました。
「依頼人はこのレストランの創設者の息子たちさ。夜中、何者かが店内に侵入して、荒らしているらしい。何人か警備員を雇ったが、すべて仏さんで見つかっている。警察も犯人がわからずお手上げ状態、だから、こちらに泣きついてきたのさ」
「ほう、それはそそるね」
「ああ、報酬は文句なしの破格、金三百万円だ」
トントントン、と時が過ぎまして。
夜の帳がどっぷりと降り立ち、都会の喧騒が冷たい闇へと沈み行く、深夜。
本日の舞台は、郊外の深い雑木林に囲まれ、ひっそりと佇む、あの朽ち果てたハンバーガーショップ、フォレストファミリーバーガーでございます。
ガガガガ、ギィィィィィ……。
深夜十一時五十五分。
龍が、埃まみれの重厚な自動ドアをこじ開け、一人、薄暗い店舗のフロアへと足を踏み入れました。
店内は、異様なほど静まり返り、鼻を突くのは古い揚げ油の腐った臭いと、カビ、そこで長く眠り続ける錆びついた金属の重苦しい香り。
龍が、店舗の奥に位置する、たった一畳半ほどの狭苦しい警備室へと歩みを進め、ボロいパイプ椅子に腰掛けた、まさにその瞬間!
チリリリリ、コーン。
どこからともなく、おもちゃのネジを巻くような不気味で頼りないチャイムの音が響き渡り、警備室の壁に設置された赤いデジタル時計が、非情に、深夜の十二時を刻み始めました。
「ほう。お行儀の悪い夜警ゲームの、開始ってわけかい」
森繁龍は、落ちていたバールをヒョイと肩に担ぎ、完全な闇と静寂に包まれた廃墟の店の奥を睨み据えながら、どこまでも獰猛に、不敵に笑うのでございました。
お次のお話は、一体どんなことが起こるのやら……。
それは次回のお楽しみ!




