3話
園継先輩とは頻繁に会う仲ではない。高校に入学してすぐ、中林がコンピューターアート部に興味を持って部活見学に同行した時に会った。あれは誰かに会いに行くのも兼ねていたような。
中林が入部してからオレと砂波をしつこく誘ってきた。砂波はなんだかんだ入部して、オレはめんどくさくて断ったけど……あれ、どうしてオレは園継先輩と会うことが多かったんだっけ。学年が違えばなかなか機会はないはずなのに。中林や砂波? そうと言えばそうな気がする。
ぐるぐると解の無い疑問がペダルと一緒に回転する。答えに繋がっていそうなチェーンはカラカラと音を立てて脳内で主張を強めるのに、いくら手繰っても車輪のようには思考を前に進めてくれなかった。
何かあったような、何もなかったような。思い出していたような、思い出せなかったような。脳に穴が開いたような空虚な感じ。箱があるのに、その中に何を入れたか思い出せない感覚。
無意識に寮まで帰って来ていた。行きは寒さに震えてたのに、考えるのに夢中になってまるで感じていなかった。自転車を階段下に停めてスタンドを蹴って下ろす。ガシャンと鳴ったそれは、実際の音よりも強く頭に響いて、それまでの思考もぼんやりとした意識もどこかへ飛ばしてしまった。
階段は上がらずに一階の中林の部屋を訪ねる。軽くノックするとパジャマ姿の中林がすぐに出て来た。お風呂から上がったばかりだろうか、ショートボブの髪はサラサラに乾いているがシャンプーの良い香りが漂っている。
「誰かと思ったよ。どうしたの?」
「砂波のおつかい。これ、オレの分もな」
紅茶を二本手渡す。分かりやすく疑問符の浮かんだ顔をしている中林に説明した。
「ほら、昨日お昼にジュース買ってくれたろ? 砂波がそのお返しにってお代をだしたから、オレのも合わせて二本分だよ」
「ええ……そんなの気にしなくても……」
口ごもりながら、急に悟ったような顔で「あっ……あれでかぁ」と呟いた。オレの知らないところでは何かあったんだな。
「ありがとね。ところで夕飯は食べたのかな?」
夕方に小腹を埋める程度の物を食べただけで、夕飯はレジ袋の中のカップラーメンを食べようとしている。こいつには見られまいとレジ袋を背中に隠そうとした。
「その袋、見せてみなさい」
「はい……」
オレは頭を下げながらレジ袋を差し出した。顔の見えない姿勢でため息を吐かれるのがこんなに怖い事だとは知らなかった。袋の中を確認した中林は「顔を上げなさい」と冷たく告げた。恐る恐る姿勢を戻すと、とてもいい笑顔の中林はオレの手から袋を取り上げた。
「今日は私と食べていってね」
「……マジかよ」
園継先輩が中林に作って貰えと言っていたのがフラッシュバックする。冗談でも苦笑いするしかなかったのに、まさか現実になるとは思いもしなかった。
中林の部屋やオレの部屋は砂波も交えて集合することがよくあるから、今さら女の子の部屋に上がる緊張感というのはあまりない。白い小さなテーブルの前に座椅子とクッションがあり、オレがこの部屋に来るときはよくクッションの上に座らせてもらっている。
「ていうか、なんでオレの分あるの?」
いつものように感触の良いクッションに腰を下ろしてからふと気づいた。
「いつも明日の朝の分も作ってるからだよ。毎日朝ご飯とお昼のお弁当作るのは大変だからね。あ、座ってていいよー」
めんどくさがりからすればちゃんとご飯を手作りしてるだけで尊敬しかない。食器や調理器具を使ったことのないオレのような男は、台所で用意を進める中林を座ったまま眺めて、皿に盛りつけられたのを見てからテーブルまで運ぶくらいしか仕事がない。
「あっ、ありがとねー」
「おう」
ご飯、大根とレンコンの味噌汁、鶏肉とレンコンの炒め物が二皿ずづに分けられ、中林の分、自分の分と並べているだけで食欲がそそられる。一通り用意の終わった中林が居間に来て、対面の位置の座椅子に座った。
「先に食べてても良かったのに」
「いやいや、さすがに待つよ」
手を合わせて「いただきます」と言い、割り箸を割る。こんなに家庭的な料理は何年も食べていないから感動すら覚えた。
「美味い」
単純だが自分の中で一番の言葉だ。中林は言葉を発さずに嬉しそうな笑顔を浮かべている。しばらく黙々と食べ続けると中林はポツリと呟いた。
「人と食べる方が良いな」
一瞬手が止まる。日頃から誰かと食卓を囲みたかったんだろう。毎日料理を手作りしても食べるのが自分しかいないのは寂しいから、きっと食べてほしかったんだ。
「今度は砂波も呼ぶといいよ」
「……えぇ? 来るかな?」
当たり前のように言ってみたけど、そう言われると砂波は来ない気がしてくる。悪い奴じゃないのにどうしても信用の無い男だ。
「呼べば来る……かも。なんだかんだ言って付き合ってくれるよ、あいつは」
二人で笑いながら食べ終わる。「ごちそうさま」と声を合わせて片づける前にリラックスする。中林はオレが買ってきた紅茶を持ってきた。
「この新しいの、ずっと飲みたかったんだよねぇ。もしかして念が通じてた?」
「まさか」オレはかぶりを振った。「買い物に行ったら園継先輩に会ったんだ。それで教えてもらったのさ」
「あ~、なんか話したかも。先輩、よく覚えてるなぁ」
先輩も人の好きな物とか気にしているんだと再認識した。部長だし、理想の上司ポジションとか狙ってる可能性がある。
「イメージと違ったよ。もっとこう……自分中心で、周りを見てないとばかり……」
「いつも我を立てる人だからね。でもあれで視野が広いから、実は些細なことでも覚えてるよ」
嫌な事なら覚えてそうだなっていうのが今までの先輩へのイメージだったけど、それはオレが勝手に印象を押し付けていて、本人は全くそんなことないのに目を向けられていなかった。
「わかんねぇなぁ……」
「先輩が?」
「他人の性格とかかな。見えてないだけなのか、オレの思い込みなだけなのか」
「深いねぇ~」茶化すように笑われた。こういうのはオレのイメージには似合わないのは自覚してる。
「いいんじゃない? 思い込みのない人とかいないよ。思い込みを持っているってことを自分でわかってないと、知らないうちに相手を傷つけるかもしれないけどね」
「そういうもんかな?」
「そういうものじゃない?」
結局はたかが思い込みだろう。それ自体には良いも悪いもなく、最後に悪いことが起きた時だけ槍玉に挙げられるもの。オレたちは中学時代、嫌というほど味わった。
昔の事を思い出しそうになる。気持ちを切り替えるように立ち上がって、空になった食器を流し台に持っていった。
「ありがと。洗っておくからいいよー」
「ああ、わかった」
部屋の隅に置いといたカップラーメンの入ったレジ袋を持って靴を履く。洗い物ついでに中林が見送ってくれた。
「付き合ってくれてありがとね」
「美味いご飯食わせてくれたんだ。文句ないよ」
食器洗いを始めた中林に「じゃあな」と声をかけて部屋を出た。寒空の下、風が吹いて顔をしかめる。中学時代のことも靄がかかったように不明瞭だった。覚えている部分と、それに混じる虫食いみたいな穴がある。その時代の事と、たまに浮かぶ本当に思い出したいことは取っ掛かりもない。お年寄りみたいにアレ、アレだよアレとしか言えないんじゃあ人に相談もできない。
吐いた息が白く立ち昇る。生暖かい呼気が口から出ていくのがなぜか気持ち悪くて、どこから浮かんでくるのかわからない嫌な感覚だった。




