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1話

十二月七日 土曜日


 女がオレに話しかけている。何を話しているのか耳を傾けても声が聞こえない。だけど口は確かに動いていて、何かを伝えようとしている。なんでだろう。顔が見えない。顔がぼやけているような……誰なんだ。


 隙間風がカーテンを揺らして陽の光を閉じた(まぶた)に運んできた。チラチラと眩しさを感じて目が覚める。また変な夢を見た。顔の見えない女がオレに何かを伝えようとする夢。起きるとすぐ、その女の輪郭や髪形もまったく思い出せなくなる。


 毛布をどかして起き上がると、冬だというのに汗が全身にじんわりと滲んでいて気持ち悪い。面倒だけどシャワーを浴びよう。洗面所で鏡を見ると、染めた髪の根本が黒くなっているのが目立つ。そろそろ染め直さないといけないけど、染髪剤も高校生にとっては高い買い物だ。校則でも禁止だし、先生に怒られたらまためんどくさい。


 さてそんなにめんどくさいばかり言っているもんだから、鏡の中の高名上秋までいやーな顔をしてしまっている。さっさとシャワーを浴びてこの気持ちも流してしまおう。





 全身の不快感を洗い流してさっぱりした。気分が良くなり、タイトルも知らない流行りの曲を小声で歌っていると玄関の扉が叩かれた。


「あっきー! 起きてー!」


 中林の大声でハッとしてスマホで時間を見る。ゆっくりしすぎて約束の時間に近づいていた。


「ごめん! ちょっと待って!」


 玄関に向かって大声で返事をして、慌ててスウェットから学生服に着替える。ズボンを穿いてベルトを少し緩めに締めて、シャツと学ランはボタンを閉めないまま外に出た。


「まったくもう。だらしないなぁ」


「オレがお願いしたのに遅刻させたら悪いからな……」


 階段を一歩一歩踏みしめるように慎重に降りながらボタンを閉める。昨日転がり落ちたことを思い出すと、あの痛みが蘇って身震いする。そんな風に集中していると、中林が突然オレの首元のチェーンを後ろから軽く引っ張った。


「ネックレスー? 学校に行くんですよー?」


 休みの日だしいいだろうと着けてみたけど、中林はしっかり見つけてきた。やはり目ざとい。


「ダメかな」


 ネックレスを外してポケットに押し込む。平日でも肌身離さず持っている宝物だ、没収はされたくない。


「私はいいよ」


 にっこりと笑って言った。許可は出てもまた着け直す気はなくて、乱れた襟元を正す。校門を通ると遠くから吹奏楽部の練習をしている音が聞こえてくる。なんの楽器かはわからないが、管楽器の綺麗な音だ。


「でもびっくりだよ。あっきーが部活を見学したいなんて……入るの?」


「入部はしない。中林とか砂波とか、どんなもの作ってたのか気になったんだよ。美術とかは苦手で説明されてもわかんねえけど、作られた物に興味はあるから」


 中林から聞く限りだとそんなにお堅い部活じゃなさそうだし、そもそも部長があの園継先輩だから頼めば見学できるだろうという読みは当たりで、顧問にも話を通さないでオッケーを貰ったのだ。


「ダメとは言われないだろうけど、顧問には言わなくて良かったのか?」


「大丈夫大丈夫。顧問の先生はどうせほとんどいないから。挨拶だけして職員室に引っ込んでいくよ」


 緩い活動とは知っていたけど先生がそれとはな。どうりで名前だけ入部してる砂波が許されてるわけだ。あいつの場合は怒られても気にしないかもしれないけど。


 靴から上履きになり、渡り廊下を通って特別棟二階のコンピューター室に着いた。話しながらだとあっという間で、自分の関係ない部室に入る緊張も忘れて引き戸を開けていた。


 通常授業を受ける教室より一回り広いかという空間は無人に見えたが、ただ一人だけ先に来ていた後輩がパソコンの影から立ち上がった。


「こんにちは中林先輩。高名先輩はなんでいるんです?」


「見学。邪魔はしないよ」


 小柄な後輩、諌野(いさの)(まい)ちゃんはパソコンの向こう側に座ってしまうとモニターの裏にすっぽりと隠れ、遠目ではそこにいると気づかない。


 中林が舞ちゃんとは別のパソコンの前に座ったのに(なら)ってキャスター付のイスを引き出す。体重をかけると小さく軋む背もたれに寄り掛かって座り、慣れた手つきでパソコンを立ち上げる様子を見ていた。


「ええと、皆の作品見たいんだよね。いいよ~待っててね~」


 授業で使ったことがないフォルダを次々開いていく。「これとかかな」開かれた画像は上手なデジタル絵だった。花畑に可愛らしい女の子が笑顔で立っている。見るからに幸せに満ち足りていそうだ。


「中林が描いたやつだな。目のあたりとか、癖が見える」


「えへへ、正解。ペンタブ使うの私だけだしね」


 また別の画像を開く。今度は絵というには少し趣向が違うものだ。特徴のない男性の顔が縦長のデジタルキャンバスを埋め尽くすように均等かつ等間隔にコピーアンドペーストされて並び、その顔の上にまた違う男性の顔が、中心を僅かにずらして重なっている。ずれているので二つの顔が判別できるというわけだ。


「なんだこれ……不気味だな。写真か?」


「惜しいね。これは立体を造形できるコンピューターグラフィックスを使って、AIに出力させた平均的な男性の顔をモデリングしたの。それをこう、ずらっとコピペした後、その平均的な男性の顔に似てるフリー素材の写真を上から重ねて作品にしてるんだ」


「そんな凝ったことをするのって」


「園継先輩だね。普段やる気無いのに凝り性だから」


 これは最近言う現代アートの類になるのだろうか。解説を聞くと深みが出て来た……気がするような、そうでもないような……。


 次はいよいよ動画が流れた。この表現の世界はなんでもありか。


「宇宙から見た地球って感じだな。なんの変哲もないように見えるけど、それで良いのか?」


「この作品のタイトルは『裏側の生活』だよ」


「んん?」


 裏側といえば社会の裏側とか、世界の裏側とかか? でも生活ってどういうことだ。この衛星から中継しているような映像からは人間の生活はとても見えない。


「これは地球がゆっくり自転しているだけに見えるでしょ。でもこの映像は見ている人には地球の裏側がゆっくり現れる。するとさっきまで見えていた面が裏側になる。そうして表面だったところが裏側に回ったとき、この映像に裏側は表示されているでしょうかっていう問いかけだね」


「ややこしいな……表が裏になったら……?」


 中林は突然財布から百円玉を取り出して桜の刻印の面を俺に見せた。


「あっきーは百円の表面を見てるね」


「こっちって表なんだ」


「それは今いいから。では、この裏面はどうなってるかな?」


 一般的な百円玉のデザインを思い出す。日常的すぎて逆に混乱するが、普通のアラビア数字が角ばったフォントで刻印されていたはず。


「100って書いてあるだけだろ? あと、製造年だっけ?」


「そうだね。でもそれはこの硬貨じゃなくて、あっきーが想像して思い込んでいる一般的な百円玉。この硬貨はもしかしたら両方同じ刻印があるかもしれないよ?」


「そんな、ありえないだろ」


「だからそれが思い込み。見えてない部分が存在しているかはわからない。この地球もそう。裏側も、この映像を拡大すれば映っているかもしれない人間の生活だって『ある』という思い込みで見ている。そういう問いかけの作品なんだ」


 うーん。理解できたような、まだ足りないような。


「これは砂波じゃないな。舞ちゃんか」


「あんまり説明されると恥ずかしいです……」


 顔は見えないけど照れていそうだ。そして違うファイルをまた開いたところで中林は席を立った。


「お手洗いに行ってくるね。去年の作品集のスライドショーを流しておくから」


「ああ、ありがとう」


 画面に向き直るとまるで統一感の無い作品群が流れていく。もっとよく見たかったり、逆にまったく理解できなさそうな難解な作品も流れ、巻き戻せないのがとても惜しい。


 チラッと舞ちゃんに目を向ける。あの子は会話が苦手らしく、見た目が不良のオレを少し怖がっている。しかしオレはまだマシな方で、見た目は人畜無害そうな砂波相手には一言も発さない。どうしてか聞いてみようかと思うこともあったけど、正面切って問いただして怖がられたら中林に怒られるだろうし、砂波の方は「嫌われてるだけじゃないか」とあっけらかんとした返答をするしで首を突っ込むのを止めた。


 人付き合いは難しいなと再認識したタイミングで舞ちゃんと目が合い、驚いてつい目を画面に戻してしまった。まずい、とても気まずいことをしてしまった。


「……え?」


 くだらない不安も束の間、それを一瞬で忘れるような作品が画面に映っていた。やたら暗い部屋の写真だ。その部屋の中、画角に収まらないほどの大量の顔写真が貼られている。そして画面中央に立っている少女の姿。この少女は誰だ……知っているような……またフリー素材か?


 突然頭痛がし始めた。脳の奥に亀裂が走るような、顔が歪む程度の僅かな痛み。この少女は、そうだ。今日の夢に出たあの……。


「あっ……」


 画面に意識を向けるともう別の作品になっていた。オレは急いで巻き戻せないか試行錯誤する。マウスカーソルをあちこちに動かしたり、無害そうなキーボードを押してみたりしても、戻らないどころかウインドウごと全て閉じてしまった。


「……」


 舞ちゃんが奇異の目でこっちを見ている。これ以上変な操作はしないでおこう。間違って強制終了でもさせて壊したら大変だ。


「お待たせー。あれ、もう閉じちゃったの?」


 トイレから戻ってきた中林がオレと舞ちゃんを交互に見た。


「もっとお話ししなよー」


「なあ、それより聞きたいことが」


 唇を尖らせた中林にさっきの作品を聞こうとした。だが、妙なことに自分が何を見たのか思い出せない。どんなものを見たのか、そもそも本当に見たのかがまったくわからなくなっていた。


「なぁに?」


 なんとか説明しようとしても言葉が出てこない。もはや自分でも何がなんやらという状況だった。


「なんでも……ない」


「ほんとに?」


「たぶん。思い出したらまた言うよ」


 思い出せる見込みはない。だけど今はこう言うしかなかった。オレの不安は中林にはきっとお見通しで、そのうえで気を遣わずに明るい声色に戻した。


「じゃあいよいよメインディッシュ。さなみんの作品だね」


「ああ、ちゃんとあるんだな」


「もちろん。文化祭用に二日で完成させてくれたやつ。やっつけっぽい作品一つだけね」


 中林はいろんなファイルを開けては閉じてを繰り返す。かなりの数の作品があって苦労しているようだ。


「作ってもらうのが大変だったよ。やる気ないし凝りもしないしで。イメージを聞きだしたり、一緒に付き合ってあげてようやく完成したんだから」


 中林の苦労が想像できる。あいつはあの手この手で提出を避けようとしたはずだからな。しかし二日で完成とは、逆に言えば最も直接的な作品になっていそうだ。


「あったあった。これ」


 画面に映し出されたのは写真と絵の二つを用いた表現だ。どこかの公園で撮った写真に気だるそうな砂波が合成されて、砂波の隣に並んでリアル寄りな描き方をした少女の絵が立っている。これが絵か写真のどちらかだけなら、仲の良い兄妹のツーショットにしか見えない素朴な作品だ。


「この絵は中林が描いたのか」


「うん。さなみんは適当でいいって言ってたけど私が許せなくてね。でも写真の加工とか配置はさなみんの手でやっていただきました」


「これ、説明とかないの?」


「思いついたことしただけだって言われちゃった」


 砂波の深層心理を読み取ることができるかもと期待したのに、なんだか拍子抜けした。いや、オレが勝手に期待していただけなので理不尽な物言いではあるか。


 その後、中林がペンタブを取り出していよいよ今日の作業を始めた。今から新しい絵を描き始めるようで、袖を捲くって張り切っている。


「さあて、あっきーを滅茶苦茶に美化した絵でも描こうかな」


「なんか怖い! やめて!」


 冗談っぽくない冗談だったようで、人気のゲームキャラクターを描き始めた。白紙に線が足されていくさまは見ていて面白い。それが形になって何かがわかると、探していたパズルのピースを見つけたような気持ち良さがある。しかしそのぴったりと嵌る感覚は嵌らなかった記憶のピースを強調するようで、なぜか思い出せないアレは、ギリギリ触れない場所にできたしこりのような気持ち悪さを脳裏に残した。

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