3話
十二月三十日 金曜日
日常から誰かが消えても時間は止まらない。園継先輩が捕まろうとリエルが死のうと、一春が死んだあの夏からそうだ。生きて日常を過ごす学生たちの冬休みは始まる。
中林はもう部屋の片付けを始めていて、夏服などは家に持ち帰り始めているらしい。上秋はここ最近何度か家族と会っている。まだ部屋の片付けをしている様子はないが、顔を合わせる必要があるのだろう。帰って来ては俺に愚痴を漏らしているので仲は良いのだろう。
部活では藤橋先生がいなくなった今、副顧問の先生が顔を出すようになった。今まで様子も見に来なかった副顧問は、最近怒られることが多かったあの中年教師だった。藤橋先生については「事情があって長期間学校に来ない」としか話さず、中年教師は事前に藤橋先生が用意していた冬季課題を部員に渡すだけで活動については口出ししなかった。
クリスマスには家族から帰って来るように半ば強制され、家で前より口数の増えた舞を交えて食事をした。リエルの死から両親は俺を過剰なほど心配していたが、なにも問題はないと伝えてきた。ついでだが、舞は俺を先輩と呼ぶことにしたらしい。これが舞の納得した呼び方なら、俺はちゃんと返事をしてやるだけだ。
そして年越しが迫る今日、中林と上秋は実家に帰っていて寮は俺一人。年末の慌ただしさから隔絶された静けさの中で快眠する暇は無く、早朝から荷物をショルダーバッグに入れていく。
特に忘れてはいけないのが園継先輩から渡された茶封筒だ。USBを取り返したあの日、俺と先輩で一春の部屋を片付け、事前にコピーした枚数と照らし合わせて漏れがないと確認してある。その茶封筒を再度確認してからバッグのポケットにしまい、先輩から受け取った一万円札も財布に入っていることを確認して準備は整った。事前に教えられたお寺に行くために外に出る。
いつもは自転車に鍵をかけずに階段下に放置されているのに、今日は鍵がかけられていた。そういえば冬休みの前に上秋が、母親にしつこく言われて鍵をかけておくようにしたと言っていた。これでは歩くしかないが……仕方ない、歩くか。
白い吐息をくゆらせてひたすら歩く。路地から大通りへ、年末のさらに早朝となれば車通りは極端に少ない。歩道の砂利を踏む音がより響いて聞こえる。これからどれだけ歩くのかを考えたくないので、その乾いた音に集中していた。そんな時だった。前に車が通ってからずいぶん時間を空けて後ろからエンジン音が聞こえた。その車は速度を緩めてから一瞬俺の真横に並び、すぐ通過してコンビニに左折していく。左折前の減速にしては不自然な動きだなと怪しんでいると、コンビニの駐車場から津原が手を振りながら出てきた。
「おーい、何してんだよ!」
向こうから津原が小走りで来て俺に並ぶ。大げさなくらいに厚着して体が重いのか、少しの距離なのに息を切らした。
「行く場所があるんだ」
「だろうけどさ、どこだよ」
「駅向こうのお寺」
「えっ!?」津原は驚いて足を止めた。「歩きで? 何時間かかると思ってるんだよ!」
「二時間以内に着けば早いか」
真横で白煙を口から漂わせて大きな溜息が聞こえた。
「父さんに連れて行ってもらうように言うよ」
コンビニの駐車場に戻ると、津原は白い車の助手席側のドアを開けて運転手と話し始めた。十秒も経たずに津原が手招きしてくれる。「乗って」と言われたので後部座席に乗り込み、運転席の津原の父に挨拶する。
「ありがとうございます。中学からの友人の、砂波季之と言います」
「ああ、知っているよ。冬人とは喧嘩するほど仲が良いというやつだね」
津原は気恥ずかしそうに呻き声を上げた。
「駅向こうの寺というと……ここだろう?」
津原の父がカーナビの画面を指さす。確かにこれから行こうとしているお寺の場所だ。「はい」と返事する。
「どこかへ行く途中だったんじゃないでしょうか。お邪魔になると思いますが」
大丈夫だとは言われても念のため遠慮の姿勢を見せると、津原が苦笑いして答えた。
「いや、実はね。お父さんと釣りに行く予定だったんだけど、提案したお父さんが寝坊した上に釣り具も壊れててね。しょうがないからショッピングモールで埋め合わせされるところだったのさ」
「いや、面目ない……」
早起きの訳がわかった。そしたら俺がここで拾われたのはかなりの幸運に違いない。
「じゃあ行く前に、冬人。コンビニで飲み物買ってきなさい。全員の分だ」
千円札を津原は受け取り、素直に車を出て行った。二人きりになったところで、津原の父は俺の方を向く。黒縁メガネの奥の細い目は、睨んでいるわけではないだろうが威圧的に見える。
「砂波季之君。克己さんの息子だね」
「そうですね。クローンで、今の育ての親は砂波ですが」
確認作業だったみたいで「やっぱりそうか」と漏らした。
「冬人もクローンだ。中学校に上がる前に病気で死んでしまった子だよ。幸い、病気までは再現されなかったようだ」
「……あなたは研究員だったんですか」
「克己さんとはグループセラピーで会って、互いの過去を打ち明けた仲さ。冬人のクローンを造れるように遺伝子情報の提供は行ったが、直接研究に関わったわけではない。どうする、彼らみたいに警察に突き出すかい?」
その必要があれば警察の取り調べの際に克己さんが名を挙げているだろう。この人の周りでなにも起きていないということは、それが答えだ。
「それは俺の仕事じゃありません。気になるなら警察に聞いてみるといいですよ」
津原の父は苦笑いした。
「遠慮しておこう……冬人を残しては行けない。ようやく落ち着いて生活できるところなんだ」
わざわざ口にはしないが、好きに選べばいいことだ。俺が意見を持つことではないので、「そうですか」と簡単に返事する。
「もしかしたら困らせてしまうかもしれないが……どうか、冬人と支え合ってほしい。クローンがどんな悩みを持つのか、恥ずかしながら親という立場でもわからない。同じクローンの仲間として、どうか……」
声が震え、目が潤んでいる。津原の父が自分を無力に感じているのは明らかだった。誰よりも知っている我が子でも、クローンの悩みまで理解できはしないだろう。俺すらその悩みを理解できないのは、不安を煽るだけになりそうなので言わないでおく。
「お願いされるほどではありません。きっと誰に言われなくても仲良くしていくと思います」
俺を嫌うことに津原はもう疲れているだろう。今更関係が険悪になるとは考えられないし、津原の父の望みも自然に叶えられるに違いない。
「ありがとう。よろしく頼む」
津原の父は前を向き目元を拭う。ドリンクホルダーからサングラスを抜き取って掛けたので、津原がもう戻って来たかと店内を見たがまだレジに並んでいた。
「冬人は君に、家族のことを話したかな」
「いいえ、俺にはなにも」
過去の記憶を探るまでもなく、津原は家族の話を俺に聞かせないだろう。
「そうか……いや、気にしないでくれ。少し見ないうちに冬人の雰囲気が良い方に変わってね。もしかしたら君となにかあったのかと思ったんだ」
園継先輩が発端の事件は津原の心境に変化を与えるには十分な衝撃になるはずだ。きっと俺以外の誰かには家族の相談をしたのだろう。中林か上秋か、どちらも穏当な対応ができる。
「あいつには普通の人間に、普通の良い友達がいます。お節介なやつらなので、安心して頼っていいですよ」
「そうか……おっと、戻ってきたな」
コンビニから出てきた津原はビニール袋を提げて助手席に乗り、「うぅ、寒い寒い」とぼやきながら飲み物を配った。
「……なにか話してた?」
訝しむ津原から温かいペットボトルのお茶を受け取って、指を温めながら答える。
「えぇ? 変なこと言ってないだろうね」
ますます怪訝そうにする津原にそれ以上のことは教えない。津原の父はナビの下の収納スペースからガムの容器を取り出して、一粒口の中に入れて車を動かし始めた。
盛んに開発が進む駅周辺とは違い、駅の東口方面(寮や学校がある出口の反対側)の街並みは寂れた光景になっている。朽ちた看板の個人商店と民家が増えてから畑がちらほらと点在する何年も変わらない景色。そんな昔ながらの地域を車で二十分ほど走ると目的のお寺に着いた。青白い砂利が敷かれた駐車場に車が止まって、津原の父は車内で大きく伸びをした。そしてどこからかアイマスクを取り出して「仮眠させてもらうよ」とあくびが混ざった声を出す。
お焚き上げを受け付けてくれる時間まで一時間ほど待つ間、津原はスマートフォンでお寺とお焚き上げについて調べてくれた。最近は法律が厳しくなった影響でお焚き上げを行う神社仏閣はかなり減ったこと。それによって遺品や故人にまつわるものの扱いに困った人から相談を受け、これから行くお寺の住職が焼却炉を導入してお焚き上げを行うようになったという。
津原は続いて法律にまで調べを進めたが、俺は興味ないのでうんうんと返事だけしておく。最後には住職が良い人なんだろうとしか記憶に残っていないが時間は潰せた。運転席で大きないびきをかいて寝ている津原の父を起こさないように車を降りた。
駐車場から一度道路に出て、歩道を歩いてすぐに石柱が二つ並んだ参道の入口がある。境内に進むと年配の方々が数人集まって会話をしていて、若者と呼べそうなのは俺たちだけのようだ。この行事に若者の参加が珍しいのか一人一人と目が合う。津原が律儀に挨拶をすると、軽い会釈だけが返ってくる。
「お焚き上げね。君にしては殊勝だな。」
「先輩に頼まれたからにはな。俺の物だったらゴミ箱に捨ててた」
「……僕からも園継先輩に感謝しよう」
本堂の石段脇に立て看板が置いてある。『焼却供養 御用の方は離れまで』大きな赤い矢印が向いている方を見ると立派な住居の玄関が見える。先に住職に品を渡すようだ。津原の提案で先に参拝を済ませて、バッグから茶封筒を取り出しておく。
「じゃあ、あの家に行ってくる」
「ああ、あそこは庫裏と呼ぶんだよ」
知識自慢は相手にせずに庫裏とやらに向かった。
事前に電話をかけていたこともあって手続きは簡単だった。応対してくれた住職の奥様に電話したことを伝えると、持っていたクリアファイルを顔に近づけたり遠ざけたりしながら費用を伝えてくれる。電話をしたときに千円と聞いていたので、園継先輩から貰った一万円は使わずに千円札を渡した。
茶封筒から写真を抜き取ろうと、中身を滑らせるように軽く振る。五十枚の写真の束を右手で受け取り、落とさないようにしっかりと握る。それを奥様に渡そうとしたとき、茶封筒に残ってしまった一枚が空中を舞った。
拾わないと。そう考えたが、床まで落ちる前に俺のズボンのベルトに挟まった。とりあえず持っている分だけ奥様に渡し、ベルトから写真を抜き取る。
「……ああ、そうか」
その写真は俺が勝手に混ぜた古谷とたっちゃんの写真だった。これでお別れだと考えると、幼い古谷の顔をまじまじと眺めてしまう。
「そちらは、持ち帰りますか?」
ついさっき事務処理をしていたときは違う思いを込めた口調だった。奥様は笑顔にならないくらいに顔の力を緩めた表情をして、俺の顔色をうかがっている。
「いえ……お願いします」
写真を差し出す。奥様は表面に触れないように丁寧に受け取ってくれた。
津原は本堂に設置されている看板を熟読していた。邪魔しないように真後ろに立っていると、振り返った津原が驚いて転びかける。
「うわっ! 驚かせるなよ!」
「立ってただけじゃないか」
津原は胸をなで下ろしてから左腕を胸の前に上げる。袖が捲られると腕時計が巻かれていて、四角いデジタルの画面で時間を確認したようだ。
「供養されるところは見れるのか?」
そういえば、お焚き上げに立ち会えるかどうかはなにも聞いていなかった。神社で行われている印象で、神聖な品が火に包まれる様子を囲んで眺めるものと考えていた。しかし、これがお寺ではどうかと聞かれると自信がない。
「なにも言われなかったな。案内もないから、見れないものかもしれない」
「聞いてみたらどうかな? せっかくなら見届けた方がすっきりするだろ」
「お前のお父さんを待たせることになる」
「それはいいから。僕がなんとでも言っておく」
今日の津原はやけに強引だった。一春を思って俺に言っているだけではなく、まだ帰りたくないから引き止めているように聞こえる。
「わかった。とりあえずここには座る場所もないから、車に戻っていた方がいいんじゃないか」
境内にはベンチがない。少し前に井戸端会議をしていた年配の方も俺が境内に戻るといなくなっていたから、あの人たちも立ち話に疲れたのではないだろうか。
「人に聞かれないようにしたくてさ。園継先輩の事件のこと、いろいろ気になるところがあって」
津原は二人で話せるタイミングを探っていたわけだ。俺が提案したように車に戻って、父に園継先輩が一春を名乗っていると知られてしまうのも良くない。幸いにもここは田舎な方だから歩く人は少ないし、声量に注意すれば周辺を歩きながら会話できるだろう。いったいなにを抱えて来たのか知らないが、気が済むように付き合ってやろう。




