5話
十二月十五日 日曜日
昨晩の食事は暗いニュースを忘れられるほどの盛り上がりで終わった。中林はいつも通り笑顔が増え、機嫌の直った上秋と冗談を言い合う。津原は最初こそ遠慮がちに振る舞っていたが、中林と上秋の人懐っこい雰囲気のおかげですぐに打ち解けた。
今日は中林と上秋の二人が昼に俺の部屋に集まってハンバーガーとポテトを食べている。じゃんけんで負けた上秋が三人分のお昼を買いに、大通りにあるバーガーチェーン店まで自転車を漕いで行ってくれた。俺は自前のパンを食べた直後だったので腹は空いていなかったが、使い走りにできるのに何も頼まないのももったいないのでポテトだけ注文した。
「んで、今日会うリエルって子はどんな人なんだ?」
上秋はハンバーガーを食べ終え、包装紙を丸めて持ち帰りに使ったビニール袋の中に入れた。
「昨日伝えた通り、難病で体が上手く動かない。医者によると先も長くないらしい」
「……そう、お気の毒に」中林は呟いた。
「生まれつきそれで、ほとんど外に出たことがない。学校にも行っていないが、一般教養は身についている。詳しく聞いてないが家で勉強してるんだろうな」
「自分の病気のことは?」中林が小さな一口を飲み込んで言った。
「理解している……先が長くないことも含めて。表向きは悲観的になっていないから、過度に気を遣わなくていい」
おおよそ理解してくれたようで頷いてくれる。考えてみれば俺もリエルがどんな人物なのかをよく知らないのだから、これ以上の説明はできない。中林を前にクローンだとは言えないし、クリスさんにも電話でクローンとは無縁の友人を呼んだと言ってある。
「しかし砂波に外人の知り合いとはな……どこで知り合ったんだよ」
「親の友人だ」
俺には上秋と中林以外の友達がいないというのがここの定説であり、外出もろくにしない俺がどう人と知り合うのかは全員にとって謎になる。諌野の家に行って偶然……と正直に答えても謎が増えるだけなので、あまり深く聞かれないような嘘をついた。俺の親がどう出会った友人かまで気にならないだろう。
高カロリーな昼食を食べてからクリスさんが来るまでの三十分ほど、病気で床に伏せている女の子とどんな会話をするべきなのか、言ってはならないことはないのか、高いコミュニケーション能力を持っている二人の相談に答えきるにはやや短い時間だった。外で大きなエンジン音がして、その車が寮の駐車場の砂利を踏んだ音が響く。
「たぶん、あれだ」
みんなで外に出て一列で階段を下りると、クリスさんの邸宅にあった大型の黒い車が停まっていた。エンジンを切らずに運転席からクリスさんが出てくる。笑顔でこちらに向けて軽く右手を挙げる。その姿を見た上秋が上体を反らして小声で俺に聞いた。
「おい、けっこうな高級車だぞ。ジャケットもブランド品だし、ナニモンだよ」
「金持ちのコネが凄い金持ちのおじさんらしい」
「そりゃただの金持ちだ」
クリスさんの前まで歩き、「こんにちは」と挨拶を交わす。続いて中林と上秋の紹介をしてクリスさんが名乗る。一通り挨拶が終わると上秋が車についてクリスさんに聞き始め、聞かれて嬉しいのかクリスさんも熱が入り、微笑ましくも会話が盛り上がったがそのおかげで五分ほど車外で棒立ちとなった。
学校前の道路は大通りに出るまで決して広いとは言えない幅であり、運転するときは姿勢の良いクリスさんが前のめりになって集中していた。その結果としてトラブルもなく大通りに出ることができたが、「小さい車が恋しいね」とクリスさんも参ってしまっていた。
助手席から後ろの様子を伺うと、中林と上秋は背筋を伸ばして全身を硬直させて、余計に動いて周りに傷など付けたくないように緊張しきっていた。普通に生きていてなかなか味わえない高級そうな革張りのシートに囲まれているのだから、素肌の脂ですら傷や汚れにならないかと恐れている。俺はそれほど気にすることなく、遠慮なく全身をクッションに預けていた。
クリスさんの邸宅に着くと後部座席からため息が漏れた。車が止められると後部座席のドアがクリスさんの操作によって開かれる。観光客ばりに周りを眺める二人にクリスさんは微笑んで、気を悪くすることもなく中へと案内してくれる。
「リエルは二階だ。こっちへ、物が多いが気にしないでくれ」
玄関は以前来たときと同じで雑貨がとても多い。迂闊に触れようとした上秋の手を中林が叩き、土産屋に来たような二人を先導して二階のリエルの部屋の前に集まる。クリスさんがノックして扉を開き、俺たちに中に入るよう手振りをする。
「俺だ、砂波だ」
声を掛けると前に会ったときのように、机の前でイスに座っているリエルが座面を回転させてこちらを向いた。
「こんにちは。元気そうなお友達ね」
上秋と中林がはにかみながら俺の両脇に来たので、一歩引いて前に出させる。その様子を視界に入れているだけで特に内容は自分の頭に入っていなかった。それよりこの後の予定で頭はいっぱいだ。
「そう、上秋に夏海ね。今日は私のおかしな頼みを聞いてくれてありがとう。とても困らせているんじゃないかと思うのだけど、大丈夫だった?」
「大丈夫大丈夫! さなみんはいくらでもこき使っていいからね」
「あいつは顎で使っていいからな」
「……ほどほどにな」
一区切りついたとみて、一度部屋を出るために声を掛ける。
「この二人は俺より外で遊ぶから、気になることはなんでも聞いてやれ。俺はクリスさんと話してくるから」
「初対面だけ残すって、気が利かねえな」
「知ってるだろ」特に上秋は俺のこういうところに付き合い続けている。「少ししたら戻ってくる」
来て早々だが部屋から出る。俺の陰口で盛り上がってくれるなら、それはそれで良い。共通の話題作りには貢献しているはずだ。
廊下に出てもクリスさんの姿はない。一階の自室に戻っているのか、階段を下りて静かな廊下を歩く。五日前の記憶を頼りにクリスさんの部屋の前で呼びかけた。
「砂波です。いいでしょうか」
「ああ、入りなさい」
障子を開いて中に入る。クリスさんは机の上のノートパソコンで作業をしている途中のようだ。月天の仏画の前で机に向かうクリスさんが手で向かい側の座布団を示したので、そこにあぐらをかいて座る。
「リエルは季之君に会うのを楽しみにしていたよ。食事のときも、次はいつ来てくれるのかしらって言っていたんだから」
話しながらお盆に逆さにしていた湯吞みを取り、急須からお茶を注いだ。「ありがとうございます」と言って受け取る。
「そうですか、なら二人を連れて来て正解でした。どちらも俺より話が上手いので」
少し冷えたお茶を口に入れて苦味と渋みを味わう。湯吞みを置くとクリスさんは断言するように強い口調で話した。
「君に会うのを楽しみにしていたんだよ。自覚はないだろうが、季之君といた時間はリエルにとって特別なものだ。リエルがこれから思い出を作っても、最初の記憶は君なのだからね」
一番目が特別だとはいまいち理解に及ばないが、リエルがそう思うのであればそうなのだろう。他人の感覚を俺の尺度で否定するものではない。言う事もなく「そうですか」と簡単に返事をすると、クリスさんは黒目だけをこちらに向けて、またパソコンに向き直った。
「仕事の途中でしたか」
「土曜も日曜もない仕事でね。毎日だから気にしないでいい。それより君がここに来たのは、何か用件があっての事じゃないかね?」
「はい、そうです」ポケットから黒いUSBを取り出してクリスさんによく見えるように掲げる。「これについて聞かせて下さい」
クリスさんは前のめりになり、目を細めてUSBを観察して、五秒ほどの沈黙で目が見開かれた。
「……なんだね、それは」
「二つの印がつけられたテープが巻かれた黒いUSB……本当に知りませんか」
「ああ、私に所縁があるのかね」
「所縁はわかりませんが、これが園継の家から回収されたものであったらどうでしょうか」
またも沈黙。園継の名前には目を伏せて明らかな反応を示した。
「ニュースは見た。園継の、娘の二人はどうしている?」
「一春は夏に死んでいます。ありさ先輩は身を潜めて、警察から逃れています」
「君はそれに加担しているのか。彼女は両親を殺したはずだろう? 殺人犯に協力しているのか? 悪い事は言わない。すぐに警察に連絡して、彼女を引き渡しなさい。後は大人たちが事を収めてくれる」
俺はUSBを持った手を机の上に下ろして楽にする。クリスさんが自分の心配をしてくれていると理解しているし、クリスさんの言う事がまったく正しいとも理解している。それを理解した上で俺は詰め寄る。
「重々承知しています。しかし今聞いているのはこのUSBについてです。お答え頂かないかぎり、話題を避けていると判断するしかありません」
俺は机に上半身を乗り出して、小声で伝える。
「園継ありさは、クローンの存在を告発するつもりです。これを持って警察に出頭し、自分の名前は一春で、クローンとしての生に耐えかねて親を殺したと、クローンは危険な存在であり、二度とこの世に生みだしてはいけないと訴えるつもりです」
「なに……?」
クリスさんの顔が青くなる。冷静になる前にまくしたてておこう。
「このUSBはクローンの製造に携わった園継先輩の親の物、クローンに関わる物でまず間違いありません。であれば、この中にクリスさんとリエルと、俺の名前が載っているかもしれない」
「季之君、自分のことを……」
「ええ、このUSBの中身を早々に確認しなければお互いに都合が悪い……そうでしょう」
「……」
クリスさんは僅かに震える手で、自分の湯吞に急須を傾けたがほとんど空になっていた。苛立たしげに音を立てて机に置いて唸る。自分の反応が、本当になにも知らない人間がするものではないと気づいたのだろう。
「何を聞きたいのかね?」
クリスさんは一転、呼吸を落ち着けて電気ポットからお湯を注いだ。俺の方はどうかと湯呑みを指さしたので断る。
「実は中を調べるのにパスワードが必要ですが、当てはあります。『since520』……試してみましたが、なにか違ったのか開かなかった」
クリスさんは湯気の立ち昇る湯呑みを口に寄せ、天井に底を向けるほど傾けて飲み干した。「はぁ……」と息を吐き出したあと、背筋を改めて伸ばした。
「前に言ったが、社会的に地位のある人によって人造人間の記録は造り次第削除するよう要請があった。しかし、待ったをかけたのが園継幸也君、つまりありさ君のお父さんだ。彼は削除に応じた場合、権力者が我々に《《恩返し》》を要求すると考えた。最悪の場合、政治利用するためにクローンを造るだろうとね。これはまったく杞憂ではないが、断る力もない」
「政治利用には協力しないつもりだったんですね」
「もちろん。我々は私欲という点では何より正直者だ。私欲は他人に利用されるのが一番憎い」
「私欲とは、なんですか」
「人が求めれば、なんでも私欲に違いない。それは誰の心の中にもあって、無論、私の中にも泥濘のように腐った欲がある。だが、自分が私欲に染まっていることに無自覚な人間がいる。そういう人間は虚飾の言葉を使って、技術発展のため、未来の平和のためと、人造人間の製造を社会貢献活動だと思い込む。勘違いしてはならない、これは許されざる行いだ……!」
語る口に力が入り雄弁になった。今日までに、関係者から様々な声がかかったのだろうか。その記憶を刺激して、頭に血が上っているのであればこれは好機だろう。
「園継幸也は何をしたのでしょうか」
「とてもシンプルな方法だ。一春を製造した記録だけコピーをして逃げた。研究員全員の協力によってファイルの移動もなかったことにし、情報漏洩対策システムも検知されないようにした。相手には知られずに、我々は懐刀を手にした」
「逃げ切れたと、追われはしなかったのでしょうか」
「漫画やドラマだと黒服が銃を持って家を襲撃するだろうが、現実は変にリアルなものだ。契約書には機密情報を外部に持ち出してはならないと書いてあったが、そもそも持ち出された確証を残していないからね。お偉いさんはインクの染みから足が抜けず、地団駄しているようだった」
クリスさんには私怨がありそうだが、あまり深く聞く必要はない。今の俺にも園継先輩にも無関係だろう。ここまで長く聞いたのだから、そろそろ本題に戻しても恨み言はないと信じよう。
「何が起こったのかはわかりましたが、そろそろパスワードについて伺ってもよろしいでしょうか」
「ああ、ああ、話しながら思い出していたところだ。なにせ年でね、すぐには記憶が結びつかなくて、私も参っている」
時間が掛かるのであればお湯を貰おうかと考え始めたとき、「そうだ、そうだ」と得心する声がした。
「八月二十一日、一春の生まれた日だ。決して生み出した責任を忘れないように、製造日をパスワードにしていた、だから『since821』」
『since821』……何度も脳内で反芻して記憶する。そして克己さんから教わった『since520』はそもそも間違いだったわけだ。克己さんもわかっていただろうに、とんだ茶番に付き合わされた。
さて、用は済んだ。上の階で楽しんでいるところにお邪魔するかと立ち上がろうとしたとき、クリスさんは手招きした。
「ちょうどパソコンがあるんだ。ここで開くのが良いだろう」
「これは……ええ、どうぞ」
言い淀んだが渡すことにする。不審に眉をひそめながらも受け取ったクリスさんは、ノートパソコンの側面に接続してマウスを動かして失笑した。
「……やってくれたな」
「材料は必要でしたから。まさかここまでお喋りだとは、良い想定外でした」
今日持って来たのは昨日の買い出しのときに調達した新品のUSBだ。テープとペンもまとめて買って、記憶の通りに貼ってみるとほとんど同一の物としか見えない。それはもちろん、今日クリスさんから情報を引き出すためだけの道具で、想像以上の働きをしてくれた。
「素直に質問しようとは思わないのか?」
「聞いて答えてくれるのであれば。年上に振り回されてここに来ている身としては、主導権は握っておきたかったんです」
「まったく、余計な部分が親に似たものだ。だが、まあ……してやられるのも面白いものだな」
満足そうに笑みを浮かべて、怒ってはいないようだ。とりあえず安心といったもので、俺はある疑問を思い出す。
「以前来たときから俺にヒントを与えてくれたのは克己さんの計らいですか」
「そうだ。電話口でそうするように言われた。克己としても、真実を伝える術をあれこれ考えての結果だろう。私としても他人事ではないのだから、克己の意思を尊重することにした。やり口でわかるが、研究者の中でも、とりわけ不器用な男だよ」
俺に『since520』を教えたのも、克己さんが遠回しにヒントを与えようとしていたのだろう。俺がなんとなく察せるように。回りくどいったらないな。
「克己は君を信用しているはずだ。必ず人造人間という存在の、その先の回答に辿り着くと」
「どういう意味でしょうか」
「倫理観か存在論か、人が答えを出すべきではないという無量の答えかね」
「理解できませんが……」
クリスさんは自己満足したのかそれ以上は口を出さなかった。
「では、あまり友人を待たせても悪いので」
いよいよ部屋を出ようと立つ。月天の仏画はクリスさんの背中を見つめていた。動くこともなく、口を開くこともなく見つめている。廊下を向くと小さな呟きが耳に入った。
「誰にでも私欲があると言ったが、季之君は……色が違うかもしれないな」
「……失礼します」
廊下に出ると障子の陰に佇む中林がいた。木の柱に背中を預けて、顔を下に向けている。
「いたのか」
「……うん。トイレの場所、聞こうと思って」
「そうか、そこの扉だ」
歩きながらトイレの扉を指さす。そのまま返事がない中林の前を通り過ぎる。俺に向けた声も、後ろを歩く足音も聞こえなかった。




