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3話

十二月十三日 金曜日


 学校に警察が出入りし、校門では報道関係者が十人ほど立って生徒に話を聞いている。俺と上秋は話しかけるなと言わんばかりにマイクを向けてくる大人を押しのけて登校した。


 昼休みに顔を合わせた中林からはいつもの元気が無くなっていた。遺体の身元が両親と園継先輩のどれなのか、または全員なのかをはっきりさせた報道はなく、俺と上秋も先輩が生きているとは伝えられない状態だった。


 その日の部活は葬式並みに静かだった。一日で中林が元通りになるわけもなく、運動部に混じって走った方が気晴らしになると提案すると、本当に友人が多い女子テニス部へ行ってしまったからだ。そして残された俺と舞と津原は説明するまでもなく会話をほとんどしない。


 藤橋先生から園継先輩の話はされなかったが、目立とうとして取材を受けないように注意された。「まあ、君たちは大丈夫だろうけどね」と添えて。ここに目立ちたがり屋がいないのは確かだ。先生が腰を落ち着けてから頃合いを見計らって声を掛ける。


「先生、直近で公募に参加する予定はありますか」


「うん? なにかあったかな……確認するね」


 コンピューターアート部にも美術部と同じように市のポスターデザインの公募に送ったり、大小様々なコンペティションに送ることもできる。部で予定されていないコンペティションに参加表明もできるが、いま調べてもらっているのは事前に決まっているものだ。


「近くて来月にある市の交通安全ポスターくらいかな。例年誰も送ってないけど……」


 話を聞きながら机の上を見る。マウスパッドの縁に沿うようにペンケースが置かれていた。やはりこれは失くしようがないはずだ。円筒形で不透明な素材のケース。チャックが閉められているので中を見ることができない。


「応募するの?」


「……いえ、念のために」


「やっぱり……そろそろ砂波君の作品を見たいんだけどなぁ」


 わざとらしく反応を伺ってくる。そんな風に求められてもアイデアもやる気も出てこないが、そんな不真面目な俺でも部の活動に参加しない状態を継続するのは避けようと考えている。


「遠くないうちには」


「はいはい、冬休みは課題出すからね。ちゃんと準備しといてね」


 課題を出されるのは文化祭以来で二度目だ。いまだにこの部活がどんな作品をどう作っているのかは理解していない。


「去年の作品は見れますか、参考までに」


 俺が美術に疎い事は先生も知っている。「まあ、見るだけだと難しいだろうけど」と言いながらパソコンから昨年の冬季課題という名称のファイルを開いてもらい、作品を見せてもらう。


 先生の言う通り、作品を見ているだけだと理解不能な数々だった。同じファイルにテキストデータもあり、そちらは作品解説と制作工程を言語化したものだ。だが原稿用紙一枚程度の文だとしても、いちいち読むと自分の席でやれと言われるだけだと判断し、作品画像だけ見せてもらう。


 だいたい見終わり礼を言う。まだ冬休みまでは一週間以上あるのだから焦ることもないだろう。それよりも昨日のことだ、と席に戻りながら考える。


 隣で津原がひと仕事終えたように息を吐いてこちらに目を向け、先生の方をチラッと見てまた俺と目を合わせる。ペンケースのことは事前に話してあるのでアイコンタクトで有無を聞いているのだろうか。適当に頷くと、津原は満足げに頷き返す。これで何が伝わっているのか俺は理解できてないが、どうせ後で説明するからいいとしよう。





 中林は部活の最後に挨拶するためだけに部活に来た。先生に説明した後は特に会話をせずに舞と二人で帰っていった。俺といるより同性の友達と一緒に居た方が頼りになるはずだ。それに今は中林と距離を置く方が都合が良い。


 スマートフォンで時間を見ると完全下校時間の五分前になっていた。そろそろ時間だと判断してトイレの個室から出る。特別棟から静まり返った渡り廊下を歩いて本校舎へ、渡り廊下と教室前の廊下がT字にぶつかる箇所に防火シャッターがある。そのほとんど真下に人影が見えた。


「……砂波、わかってるな」


 津原の呼びかけに返事はしない。黙って立ち、耳を澄ませる。外の風の音が耳に入るほど校舎は静まり返っている。


「僕は、君のことが嫌いだったよ」


 津原は防火シャッター脇の非常用ドアにもたれて俯き、ほとんど独り言の声量で語る。


「でもこれが嫉妬だろうってのは、どこかでわかってた。僕は自分の身に起きた不幸を何かのせいだ、誰かのせいだって言いたいだけ。気に入らない君を敵に見立てて自分を楽にしたかったんだ。……君はどうなんだ。人を好きにも嫌いにもなるんだろ? 本当は苛ついたり、悲しんだり、楽しくて笑ったりもするんだろ……?」


「どうなんだ?」と震える声で聞かれて俺は黙っていた。自分の中で明確な感情を自覚したことがなかったからだ。怒るほど人の心に寄り添うつもりもないし、悲しむほど自分を悲観するつもりもない。そんなことをしていても自分が得をしないのであれば、関わらないことすら選ぶ。


「マイナスな感情はわざわざ持たない。だが、楽しいっていうのはどうだろうな……あっても悪くないか。それならこんな俺でも感じてるんじゃないか」


 大笑いした記憶はこの人生で一度もないが、ずっと退屈だっただけでもない。自覚がなくても楽しいくらいの感情はあるんじゃないだろうか。そんな俺の答えに津原はにこやかに頷いた。


「……やっぱり、《《この役割》》は僕に向いてないよ。代わってくれ」


 俺としても面倒でやりたくないが、不向きなことをさせて失敗したらどうしようもない。津原の目の前まで歩き、右足のかかとを股下の高さまで上げる。そして、津原が背にする非常用ドアを蹴りつけた。頑丈な鉄製のドアが学校中に響くほどの轟音を上げる。二度、三度同じように蹴り、津原の胸ぐらを掴む。


「俺に面倒なことさせるな」


「それが、ようやく本音か?」


 苦しそうに顔を歪ませる津原が笑う。


「俺はいつも本音だ」


 強めにドアに叩きつけてやると、慌ただしくどこかの扉が開かれる音がした。方向からして職員室だろう。数人の小走りする足音がしたと思えば怒号が飛ぶ。


「なにをしてるんだ!」


 皺枯れた大声の方を向くと、中年の社会科の教師と藤橋先生の二人だ。般若の如く感情を顔に出した中年教師に反して、藤橋先生は相手が俺たちだと理解すると足を止めて困惑している。


「はっきり言えよ、津原」


 津原の胸元を掴んだまま、渡り廊下の方へ引っ張って押し飛ばす。少しやりすぎたか、倒れ込んだ津原はうめき声を漏らしたが怪我はしていなそうだ。その様子を観察する間もなく俺は中年教師によって首根っこを掴まれ、壁際に引きずられる。


「なにをしてるんだと聞いてるだろうが!」


 中年教師が唾を飛ばしながら同じようなことを言う。津原の方を見ると、藤橋先生が近寄って手を貸している。心配ないようだ。しかし教師の怒りを真に受けない姿勢がさらに神経を逆撫でしたようで、中年教師の破裂でもしそうな真っ赤な顔に俺の頭を向けさせ、よそ見をすることも俺が動くことも許さなかった。


 渡り廊下で行われた説教は正座をさせられて三十分以上続いた。完全下校時間を過ぎ、何度も腕時計で時間を気にしていた藤橋先生が「先生、そろそろ時間も遅いですし……」と怖々呼びかけたことで、激情の収まらない中年教師が仕方なく一呼吸おいた。


「まだ釈然とせんが、津原、もういいんだな?」


「は、はい、僕は砂波のことわかってます。もう大丈夫ですし、僕もやり返そうとは思ってません」


「殴り返してやったらどうだ」


 中年教師のとんでもない提案に津原は「い、いえ! けっこうです!!」と焦って返事をした。まあ殴られても文句が言えないくらいにやり過ぎたかもしれないが、津原にその気が無くて助かった。


 藤橋先生に謝るように言われ、形式的に謝罪しておく。これにて入学して初めて食らった大目玉は先生側が不完全燃焼の形で終わった。これが放課後に行われたもので良かった。何時間も猶予があったら、中年教師の血管が切れるまで続いたに違いないからだ。


「いや、少し力入れすぎだよ。突き飛ばされたのはさすがに痛かった」


「俺もああいうのはやったことがない。加減を知らないんだ」


 なんだかんだと会話しながら校舎を出るタイミングでスマートフォンが震えた。相手は上秋、このタイミングで掛かってくる電話の要件は一つしかない。


「こっちは説教を食らい終わったところだ。そっちはどうだ、職員室からUSBは取り返せたか」





 昨日、限られた時間で決められた作戦は単純で、運も必要なものだ。


 まず先生と生徒が少なくなる完全下校時間の間際まで待機する。そして職員室から近く、直接見えない渡り廊下で俺と津原が大きな音を立てて騒ぎを起こす。土壇場で津原の気持ちに整理がついてしまったが、立案者の上秋としては津原に俺への不平不満をぶちまけて欲しかったようだ。


 様子を見に来た職員室の教師を俺たちが引き付けている間、屋上前の扉で待機していた上秋が職員室に忍び込み、藤橋先生のペンケースからUSBを……余裕がなければペンケースごと持ち出す。即席で考えた計画にしてはまとまった方だ。


 ある意味で一番の苦労人は上秋だ。なぜなら部活が終わるまでには屋上前で待機しなければならず、授業が終わってからは二時間以上暇をしていたはずだからだ。


「……そうか、わかった。津原に伝える」


 ゆっくりと校門に歩きながら津原が期待に満ちた目で俺を見ている。


「失敗だ。職員室に教師がまだ残っていたらしい。上秋は声を掛けて俺たちの方へ行かせようとしたらしいが出て行ってくれなかった」


「そんな……でも、そうか。職員室から人がいなくなるかは運だって話したもんな」


 運の要素を可能な限り排除する作戦を立てるには時間と準備が足りなすぎた。今の俺たちにできることはやったと認めて良い。そうでないと怒られた時間を損とするしかなくなり、中年教師と藤橋先生からの心象を悪くさせただけになる。


「とりあえず、先輩に報告しようか。それが終わったら早々に帰らせてもらうよ」


 寮に戻り、自分の部屋の前を通り過ぎて隣の一春の部屋に行く。音が大きく鳴らないようにノックを三回、一拍置いて二回する。覗き窓から姿が見えるように後ろに下がると、これまた音が大きく鳴らないように向こう側から鍵が開いた。ゆっくり扉を開いたのは園継先輩だ。


「このノック、面倒なんですが」


「カッコいいだろう? 昔からスパイものに憧れてたんだ」


 津原は特に文句ないようで、「入ろう」と急かしてくる。この寒い外で無駄話はしたくないので一春の部屋に入っていった。


 もちろん一春の部屋は元々施錠されていた。一春が失踪してから数日ばかり開放状態が続いていたが、夏休み明けに異常を知った教師が部屋を見に来たとき、学校で保管されている鍵で施錠された。その様子を上秋が隣で見ていたらしいから間違いないだろう。


 ではなぜ今は開いているのか。園継先輩が一春から事前に鍵を預かり、死体が露見した今のような状態になってから、潜伏先として使えるようにしたとのことだ。実際に先輩は、一昨日の夜に警察が家に来てから一春の部屋に潜んでいた。


 当然だが電気は付けられない。可能なら俺の部屋に居た方が話しやすくはあるのだが、隣の部屋であっても外に出るのはリスクだ。警察や学校関係者に見つかってはいけないし、報道関係者が校門に集まっている状況であるのも都合が悪い。そして俺の部屋で寝泊まりするのも避けているので、短時間の会話だけならこの部屋で行うわけだ。


 キッチンで俺がスマートフォンの画面を点け、学校側の窓に背を向ける。これなら下の道路を歩いている人には見えないはずだ。


「津原の顔を見ればわかる。失敗だな」


「は、はは……お察しの通りです。職員室に先生が残ってしまって、上秋はUSBを取りに行けませんでした……」


「難しいことをよくやってくれた。失敗したショックもあるだろうが、必ず学びもある。まずは自分たちを労ってくれ」


 津原が苦笑いではない笑顔を見せた。場の緊張が解れて「では、僕はそろそろ」と声を出した。


「なんだ、もう帰るのか」


 先輩は少し引き止めるようなことを言うが、津原は丁寧に挨拶して帰っていった。


「これだけなら俺一人でも良かったんですけどね」


「そう言うな。あれが津原の責任の持ち方なんだろうさ。私が砂波一人だけを責めないようにしてるつもりなんだろう」


 話ながら先輩はメモ帳のページを破いた紙を俺に渡した。明かりに寄せると、頼んでいた克己さんの電話番号が書かれている。


「昨日聞けなかったことですが」


「たくさんあるだろう、なんだ?」


 番号をスマートフォンの電話帳に登録する。


「どうして一春は死んだんですか」


 昨日は別の話題にすり替えられてうやむやにされ、上秋と津原は上手くはぐらかされてしまったが、まったく無視できない問題だ。いくら考えても一春が死んだという事実が先輩に有利に働く理由が無い。クローンの存在を世間に知らせるには、オリジナルとクローンの両方が揃った方が都合が良いに決まっている。


「先輩はクローンが死ぬと消えると俺から聞くまで知りませんでしたね。一春の死体が無くなったのは先輩にとって計算外だったのではないでしょうか。そして証拠として使う予定のUSBを一春が持ち続けていたのもおかしい。USBを確保したのが一春であっても先輩に渡すタイミングくらいあったはず」


 昨日、一春が死ぬことすら計画の一部と言ったのはおそらく嘘だろう。包み隠さず全て話すようで、実際には余計な説明を省けるように話を繋げたわけだ。あの場は事の起こりから大筋を聞き、最終目標だけわかれば充分だから時間を短縮しようとするのは当然の心理だ。


「不満があるのも無理はない。君たちに嘘を吐いたのは気遣いや善意ではないからな」


 悪意のつもりもないが、と呟く。しかし俺が問いたいのは園継先輩が嘘を吐いた意図ではない。


「不満とか、先輩がどういうつもりかとか、それはなんでもいいんです。嘘を吐いたのもいい」


「一春が死んだのはなぜか……それだけだろう? 君は凄く複雑な思考をしているのに、驚くほどシンプルな疑問を持つことができる。私が君に出会えたのは、人生最大の幸運だな」


「俺にとっては不運かもしれませんがね。おかげ様でこうして苦労しています」


「ははっ!」先輩は笑い飛ばした。「いや、砂波と話すとすぐ脱線してしまうな。実はな、一春が死んだ理由は私にもわからないんだ」


 想定はしていたが、考えられる中で最も悪い回答だ。答えを知っていそうな人物は園継先輩以外に考えつかなかった……いや、本当にそうだろうか。


「もしかしたら二人はなにか知っているんじゃないか?」


 操作していなかったスマートフォンの画面が消える。完全な闇に閉じた部屋で、先輩の方を見ながら暗闇に二人の姿を浮かべた。


「一春が死んだと知っている風でしたね……聞いておきます。それと、USBをどう取り返すかはまた今度話し合いましょう」


 突然やることが増え始めた。USBを取り返して、二人から一春のことを聞き出して、あと明日は部活と終わってから中林が主催の食事がある。


「そうだな。明日は大切な用事があるんだろう?」


「食事ですか……」


 パーティーみたいなことをしている場合ではないんだが、という俺の思考を読み取ったように先輩が告げた。


「こんな時だからこそ楽しみを作ることを忘れるなよ。特に中林には心苦しい思いをさせているだろうからな。ちゃんと寄り添ってやれ」


 暗闇に目が慣れ始め、先輩の姿がおぼろげに見える。顔は見えないが、声からほくそ笑んでいるような含みがあった。どんな意味があれど、今日はもう帰ろう。遅くならないうちに克己さんに連絡しておきたい。


 状況の整理と次にやることの順序立てを同時に行う。昨日の中林がメッセージアプリをメモに使ったように、俺はスマートフォンのメモ機能に書き出しておこうと画面を点けた。


 画面の輝度は調整できる範囲の中間程度だが、真っ暗な部屋ではカメラのフラッシュライト並みの眩しさだ。そして気を抜いていた一瞬、自分の背後(つまりは学校が見える窓がある居間の方)を照らしてしまう。画面を服で覆う僅かな時間、居間の様子がはっきりと見えた。


「おいおい、まだ見せるつもりはなかったのに。気を付けてもらいたいな」


「大人しく部屋で待ってられないだろうとは知っていましたが、何をするつもりですか」


 今度は角度に気を遣い、画面の明かりを先輩に向ける。どこから取って来たのか、小さな紙束を持って俺に見せる。紙束は大量の写真だ。


「いつ逮捕されても覚悟の上だが……心残りは一つだけあるんだ。それを完成させるために時間を使うことを許してほしい」


「……心残りというのは」


 先輩の謝罪はUSB関連を俺たちに任せきりにしているからだろうが、その間に先輩が何をしていても怒りはしない。だが、今この部屋で準備されていることだけは知っておくべきだ。


「インスタレーションだよ」


 窓から冷たい隙間風がここまで届いた。居間の方でカタカタと軽い音が鳴る。それは壁一面に貼られている写真が風でたなびく音だと、見えなくてもわかった。

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