2話
「まず上秋のために説明しよう。この世界にはクローンが存在している。とある科学者が、子どもを亡くした親の望みを叶えるためにクローンを造り、人に紛れて日常生活を送っている」
上秋は口を開いたまま閉じられないようだ。
「クローン……? クローンって、SFとかに出てくるあの?」
「そうだな。オリジナルの細胞を再生してクローン人間を造る。それだけ理解していればいい」
「ええと……納得しとかないと話は進まねえよな……?」
津原がひとつ息を吸って言った。
「混乱を招くかもしれないけど、僕がクローンだよ」
「はぁ!? まんま人間じゃねえか!」
「その通り、私は何人かのクローンと会ったが、まず見分けはつかない。見た目も性格も人と同じだ。きっと内臓を調べてもわからないだろうな」
上秋はのけぞって額をさする。この短い会話で軽い熱が出てきてもおかしくない。
「砂波は知ってたのか?」
「津原がクローンというのは初耳だ。だが他のクローンとは関わる機会もあって、それで知ったな」
「なんだよそれ……」上秋はさすっていた手を浮かして額を叩き、「いったん……続けてください」と弱々しく先輩に続きを促した。
「津原の他に一春もクローンだ。それを前提として聞いてほしい」
先輩は麦茶を飲み、さらに苦い顔をした上秋を見る。頷いてどうぞと手のひらを見せたので続きを語った。
「基本的にクローンは亡くなった子どもを模して造られている。そして造られたクローンは親の待つ家に帰るという具合にな。だが、一春だけは他のクローンとは違った。一春は……私のクローンだ」
津原が小さく「えっ」と漏らした。
「一春と園継先輩はあんまり似てないような……」
俺は先日克己さんと車の中でした会話を思い出した。フィクションに出てくるような一般的なクローンとは違って、顔も背丈も違うと語っていた。
「一春は、先輩を完全に再現できていないということですか」
「ああ、それにはいくつもの要因が考えられる。まず一春は初期に造られたクローンというのがひとつ。それでも再現性で言えば姉妹くらいには見えるらしいがね」
「クローンは死んだ子どもを再生させる技術と聞いて、全員がそうだと思い込んでた……生きている子どものクローンを造るなんて、正気とは思えない……」
津原の揚げ足取りみたいになるが、クローンの製造から正気の発想ではない。
「津原の言うことはもっともだ。私の両親は倫理観が欠如していたんだ。わざわざ離婚して私と一春を別に引き取ったのだからな。私は父に、一春は母の下へ行き、別環境で育てられた。あまり似ていないのは環境のせいもあるだろうな」
「なんつーか……その言い方だと、まるで別の環境で育てるために離婚したみたいに聞こえますけど」
「まるでもなにも、そう言ったつもりだ。克己さん以外にも研究者はいて、その人たちの価値観は普通とは程遠い。そうでなければクローン製造など、無事に完成なんてさせられていないだろうさ」
皮肉な話だが、正常な判断でクローンを製造していた場合、弱気な判断が取り返しのつかない結果を招くこともあるだろう。……と推測はしてみるが、実態がわからなければ意味もないか。
「私と一春は学校を共にして、姉妹か距離の近い友人のように接していた。そうして近い距離にいることで両親から離れずに研究欲を満たしてやっていたんだ。物心ついた時からずっと親の研究対象だった私たちは確実に狂っていたのだろう」
あまりにも現実離れした過去に誰も口を挟めなかった。先輩は事件を起こしているのに立ち振る舞いに変化が無く見えたが、これは俺が考え直すべきだ。凶行に走る前も後も、先輩自身はなにも変わっていなかっただけだ。変わったのは俺たちの先輩へ向ける印象だけ。前に先輩は語っていた。「君がどう捉えるかで君の認識する現実は変わる」と、普通の高校生活を送っているという偏見を勝手に抱いていただけで、先輩の中の普通はとっくの昔に壊れていた。
「中学時代、古谷と出会った。砂波は知っているな? 思い出すのも辛いだろうが、私と同い年のクローンだ。彼女から私たちの異常さを伝えられたよ。それから疑問を抱くことすら許されなかった両親の育て方について、だんだんと憎しみを抱き始めた……ここまではいいか?」
異を唱える人がいないので、俺が簡単にまとめる。
「まとめると、一春は園継先輩のクローンで、二人とも両親から研究対象にされ、それを古谷に指摘された事で憎しみを抱いた……憎しみは、殺意に変わったと解釈しても……」
俺が続きを伺うと「ああ、いいだろう」と返答した。
「あの……もしかしたら不快に思うかもしれませんが……」
津原が今さら怯えた様子で尋ねた。
「それで親を殺そうと思えなくて……。情とかじゃなくて、もっと社会的な意味で実行するのは抵抗があると思うんです」
「確かに情はなかった。私に関心があるというより、私が何に関心を持つかに関心があるようだったからな」
先輩は正座を崩し、「畳は疲れるな……」と呟きながら両足を自身の左側に流す。
「社会的な意味というのは法的な問題……罪を犯せば捕まり、自分の今後の人生を台無しにするというリスクで間違いないな?」
「は、はい」
「良い質問をしているんだ、堂々としなさい」
津原は引き攣った笑い方をした。
「目的は殺したいというだけではなかった。私と一春は、これをクローンという存在を世間に知らしめるための手段としたんだ」
今、全員が同じことを考えているはずだ。なぜクローンの存在を世間に知らせるのか、なぜその方法が親を殺すことなのか。その疑問を払拭する前に、新たな訪問者をどうにかしなくてはいけなかった。
「いやー、寒い寒い! ようやく帰ってこれたよ!」
鼻を赤くした中林が玄関の戸を叩いた。園継先輩は中林にはまだ明かせないと言ったので、俺だけ外に出て対応する。
「そうか。何の用だ」
「えー? 冷たいなー……ホントに寒そうな格好してるから許すけど」
なんだか勝手に怒って勝手に許された。
「四人分の食器は揃ったから、明後日は部活終わったら……これ、食材買ってきてね」
中林はスマホの画面を見せた。メッセージアプリで俺宛てに食材のメモとおおよその値段を送っている。なるほど、紙で渡されるより便利だ。
「スーパーでレジのおばちゃんにね、近所で怖い事件があったから早く帰りなって言われたの。何かニュースになってなかった?」
「俺はニュース見てないからな」
「だと思った! 堂々とすることじゃないよ? もう……」
そう言ってレジ袋を持った手を胸の位置に上げて持ち直した。もちろん中には真っ白な紙皿と割り箸が入っているが、ピンク色の小袋に入った物も見えた。化粧品だろう。
「……見たことあるな」
たしか園継先輩が文化祭の作品を作るとき、一春に顔を寄せるために同じような商品を使っていた。
「あら? 気になっちゃいます? ふふん、安くてどこにでも売っている変化のない商品は、もっとも優れた商品なのである」
中林は誰かの口調を真似た。
「園継先輩がそう言ったのか」
「そうそう。なんなら、先輩は学校にちょっとお化粧してきてるんだよ」
「そうか、まったく気づかなかった」
「ま、さなみんだし」ときっぱり諦められた。「ホントに冷えてきたから、そろそろ帰るね。バイバイ!」
軽く手を振って別れた。後でメッセージアプリに送られた内容を上秋と津原にも共有しておこう。
俺がいない間は説明を中断しており、冷蔵庫に入れていたはずの麦茶の容器が机の上に置かれていた。
「あ、ごめん砂波。先輩が勝手に持ってきてさ……」
「いちいち汲みに行くのも、砂波に入れてもらうのも面倒だと思ってな」
申し訳なさそうにしているのは津原だけだ。
「いい。面倒なのは間違いないからな」
わざわざ文句を言う必要もないだろう。無駄話は減らしたい。
「中林はなんの用だったんだ?」と上秋に聞かれる。
「土曜日の集まりで必要な食材を買ってくるように言われて……これだ」
俺は部屋の隅に置いてある自分のスマホを取ってメッセージアプリを開いて見せた。
「なんだよ、そのくらい明日でもいいだろうに」
上秋の言う事はもっともだが、俺がメッセージに気付かないという最悪の事態を避けるためだろう。中林は俺のことをよく理解している。
「その報告だけ? そのわりに長かったね」と津原。
「スーパーで事件のことを言われて、早く帰るように促されたらしい。中林はまだ知らないようだが、明日までには耳にするかもな。あと化粧品も買っていて、園継先輩と同じやつだと自信満々に教えられた」
「ああ、つい最近勧めてな」
「それって、前にスーパーで会った時に買ってたやつですか?」
「そういえば高名と会ったな。化粧品といっても種類はあるから、中林が買ったやつが同じ物かはわからないがね」
みんな重苦しい話題に疲れて息抜きをしたがっている。中林の来訪は会話を中断させたというより、むしろ誰も休憩を言い出せないタイミングを救ってくれたようだ。さっきまで強張っていた三人の顔も今は力が抜けて、上秋は積極的に話題を広げている。
この間に台所からジャムとマーガリンのコッペパンを取ってきて食べる。さっさと続きを聞いて風呂に入っておきたいが、頭が働かない状態で聞いても意味がないだろうから、ここは時間をかけるべきところだ。
「……で、先輩は学校に軽くメイクして怒られてると。みんな悪い事してるなぁ」
「私たちぐらいなものだろうな。そこで聞きに徹している砂波もな」
「俺は真面目じゃなくてもいいんで」
津原の視線が壁の梁の一点に集中し、気づきを得たように一瞬、目を見開いた。
「僕は……メイクってものはよく知りませんけど、もしかして一春と顔が似て見えないようにしてたんですか?」
「よく観察しているな。まったく別人に見えるほどのメイクはできないが、意図としては津原の言う通りだ。私の中で、自分は一春と違う人間だと……クローンとオリジナルでも違う人だと思いたかった」
先輩は平静ではあったが、言葉が詰まったときは呟くような声音になった。
「気持ちは……わかります。僕もオリジナルの存在について整理できてないので」
オリジナルと自分。俺とたっちゃんか。たっちゃんがどんな人物なのか知らないから、まったく感情が湧かない。
「それでも私と一春は切っても切れない関係だ。他のクローンと違い、生きていたのだからな」
「念のため聞きますが、一春が死んだのは先輩の計画の一部ですか」
全員の反応を見る。誰も一春の死に異を唱える様子が無いとなれば、理由はどうあれ全員の共通認識らしい。
「……」
先輩は少し考えた。津原から責めるような視線を向けられるが、先輩がこれで怒ったり悲しんだりして沈黙することはないだろう。本当に負の感情が働いたら、嫌味だの皮肉めいたことを言ったり、とにかく口か手が出るはずだ。なにも言わないということは、単純に思考中だと考えていいはず。
「そうだな……」十秒ほど考えた後に言った。「目的のためには必要だった」
「計画のために……って、どういうわけですか」
上秋が目力の強い視線を園継先輩に向けて聞いた。
「私たちはクローンを世間に知らしめ、二度とこんな悲劇の連鎖が起きないように、クローンの危険性を伝えようと思った。それと両親を残酷に殺すという手段は相性が良かった。クローンがこんなに危険な事件を引き起こす存在なら、二度と生み出してはいけない……世論はこう動いてくれると信じている」
誰かが唾を飲む音が聞こえる。頭で整理してからいち早く反応したのは上秋だ。
「なるほど。自分たち以外にクローンが造られる可能性を考えていたわけですか」
「高名はその場の衝動で生きてそうだもんな……それは置いといて、先輩。クローンが事件を引き起こしたらクローンの危険性が伝わるという計画ですよね? でも犯行は園継先輩……つまり人間が行っています。これじゃあ、ただの人間が犯した凶悪犯罪ですよ?」
「さすが、よく気づいた」先輩は津原を軽く褒める。「その通り、これは人間が犯した人間の凶悪犯罪だ……まだな」
そしてまた、先輩は言おうか言うまいかという沈黙を作った。俺は一つの考えが浮かび、口の中のパンを飲み込む。
「自分を一春と偽って出頭する……そんなところでしょう。見た目でも解剖してもクローンかどうかはわからない。そしてオリジナルかクローンか、どちらか判別できる家族は殺した。だからこのすり替えはほぼ成功する」
パンを完食して袋をゴミ箱へ投げる。
「ご名答。ただ一つ、克己さんという懸念点を除けば」
克己さんは細かく様子を確認しにクローンの住む家に行っている。園継先輩と一春、二人のことも細かく見ていれば見分けがつくだろう。加えて克己さんはクローンに対して強い責任感を持っている。騙せると考えない方がいい。
「まとめよう。これから私が目指すことはクローンの存在を世に危険なものと認知させ、未来永劫製造されないこと。そのために克己さんをクローンの証人とするため説得する」
ちらちらと周りの顔色を伺いながら上秋が質問する。
「オレは克己さんって人のこと知らねぇんですけど、説得したところで協力してくれるわけなくないですか? だって、警察に行ったら自分まで逮捕されるかもしれないんですよ?」
上秋の言うことは当然な意見だ。クローンの製造を行った人間として警察は避けたいだろう。だが、今の克己さんは協力的になる可能性がある。
「克己さんはクローンを造った過去を清算したいと考えている。その気持ちを利用してやる」
克己さんは全て流れに任せてみると言っていた。そして秘密を保ち続けてもクローンに関わった人の腹の虫が治まらないとも。
「克己さんが証言するなら間違いないでしょうけど……証拠が無いのに警察が信用してくれるとは思いません。だって、クローンと人間の見分けがつかないということは、クローンがいるという証明も難しいわけですから」
「なるほど? 津原の言うことが確かなら、説得した後、克己さんって人に証拠を用意してもらうしかないんじゃねぇか? 造った人なら物的証拠が何かしらあるだろ」
諌野家を家探しすれば何かしら出て来るかもしれないが、決定的な証拠を克己さんに頼るのは虫が良すぎるだろう。説得するとは言っても、警察に行ってから克己さんが知らぬ存ぜぬとする可能性もゼロではないからだ。できることなら、証拠はこちらで用意したいものだ。
「できればこちらで偽装できない証拠を用意したい……あの人に頼るのはとても嫌だからな。そう思って準備できていたのだが……」
「あるんですか!? 証拠が!」
津原が大きな声を出す。本人も意図しないようで、口を抑えて「す、すみません……」と言った。
「親が金庫に保管していたUSBを一春が手に入れたんだ。それさえあれば済む話だ」
「じゃあ、そのUSBが今どこにあるのかわからないんですね」
俺は津原と顔を見合わせた。一春が持っていたUSBというのは、つい最近覚えがある。
「もしかして……白いテープが貼ってある黒いUSBですか?」
「USBの見た目はそんなものだと思うが……知っているんだな」
「間違いなく」津原は自信を持って言った。「一春が死んだ日、彼女の服に入っていました」
昨日はどこで手に入れたのか言ってくれなかった気がするが、あの時とは状況が違うからだろうか。一春の服から持っていった状況の説明は後で聞こう。
「つい昨日、そのUSBの中身を調べようとしたのですが、藤橋先生に取り上げられました。津原が何度か受け取りに行きましたが、見つからなくなったと言って隠しているようです」
「隠してる?」津原がこっちを向く。
「先生はUSBをペンケースに入れていた。失くさないためにチャックのついた入れ物に入れておいたはずだ。それでも紛失したというのは疑ってもいいだろう……そもそも先生が人の物を失くしたのも問題だがな。隠している理由は定かでないが、あのUSBをクローンに関係するものと知っているなら早急に手を打つ必要がある。中身が削除される前に」
藤橋先生がクローンの研究に関与していると仮定すれば、USBを返さない理由にもなるだろう。USBに貼ってあったテープと、テープに付けられた印が研究に使われたUSBの目印として機能していたら、関係者には見ただけでわかるはず。薄い線だが、最悪のケースは潰しておきたい。
「細かい疑問もあるだろうが、質問は後にさせてもらう。藤橋先生からUSBを取り返す方法を考える。協力してくれるな?」
ここまで話を聞き続けて誰も断らなかった。俺と上秋は長い付き合いの先輩に、そして一春に恩がある。津原はUSBを受け取った人間として、クローンという立場として最後まで付き合うつもりらしい。
まだ何が起こっているのか全容を把握できているわけではない。自分の目で見えないことだ。全てを見通すのが不可能なのは理解している。作戦を考え続け、夜も更ける。園継先輩と一春の計画の善悪など誰も口に出さなかった。今、何をするべきなのかだけを推進力にひたすら考え続けるしかなかった。




