1話
砂波季之はたっちゃんと呼ばれた人のクローンである。園継先輩が古谷を紹介してきたこと、克己さんに会わせたこと、クリスさんが俺にクローンについて教えてくれたこと、USBの暗証番号が俺の誕生日である可能性。全ては俺がクローンだからというだけで充分な理由になる。
クリスさんと話したときから可能性の一つとして頭の片隅にあったが、その確証に変えるものが無かった。しかし俺がクローンであるという仮説を立てれば、証拠は無いがすべてに理由が付けられる。クローンの存在を知っていた園継先輩からすれば、古谷の持っていた写真を俺に見せた時点でクローンと気づかせようとしていたのだろう。そこから克己さんへの導線がスムーズだったことを考えても、園継先輩と克己さんは俺に、自分がクローンであると気づかせるという目的で協力していたと仮説を立ててもいい。
これらは俺の中で確定してもいいくらいの推測なのだが、まだ疑問はある。いったいいつから計画されていて、なぜ園継先輩が協力しているのか。理屈よりも感情の部分を追っていくべきだろうか。残念ながらそれは、俺の苦手分野だ。
今日は園継先輩が休みだったこともあって中林は話し相手に困った様子だった。有り余った元気が俺にぶつけられることはなく、代わりに津原に話しかけることで発散したらしい。
部活終わりに中林は校門まで一緒に歩くと、土曜日の食事の為に紙皿などを買っておくと言ってスーパーに行った。一緒に来いと言われないように回避する手段を頭の中で探していると「大丈夫。なんか調子悪そうだし、ゆっくりしたら?」と提案された。
部屋に帰り、バッグを置いて浴槽にお湯を溜める。俺が調子悪そうに見えたのは中林と会話できていなかったからだろう。それは体調に関係なく、クローンについて考え過ぎて、会話が疎かになっていたから心配させてしまった。
風呂を待っていると玄関をノックされた。中林はしばらく帰ってこないだろうから上秋か……そう思い込んで扉を開けると、まったく予想外の人物だった。
「すまないな、砂波。入れてくれないか」
「園継先輩……はい、どうぞ」
先輩を中に入れて扉を閉める。振り返ると先輩はさっさと畳に正座していた。作り置きしてある麦茶を淹れて先輩に渡し、そのまま膝を立てて座った。
「体調不良ではなかったんですね」
「ああ……その様子だとまだ知らないようだな」
なにをと聞く前に先輩は続けた。「スマホで調べろ。この地域周辺のニュースだ」
言われた通りに調べてみる。検索エンジンを開いてから地域の名前を入れて事件と追加。一番上に表示されたのはつい数時間前の記事だ。複数のメディアが同じ事件を取り上げており、その見出しを読んで、本当にこれだろうかと疑いを持たずにはいられない見出しが書いてある。
「……なんですか、これは」
園継先輩はまだ答えず、一番上の記事をタップして開く。その記事はある家庭で惨殺事件が起きた事を報せていた。遺体は体をバラバラにされ、冷蔵庫の中で発見された。頭部の損傷が激しいため個人の特定には時間がかかるとみられ、警察は連絡の取れない住人の園継幸也さん、その妻の園継優佳さん、娘の園継ありささんのいずれかではないかと見解を示している、とある。
「私がやった」
記事と照らし合わせて考えれば、園継先輩は両親を殺害したことになる。そして殺害した後、遺体をバラバラにして冷蔵庫に詰めた……あまりにも狂気的だ。
「自首する前に俺の顔を見に来たんですか」
先輩は「はは……」と乾いた笑い声を発した。
「普通はもっと聞くことがあると思うがね……砂波らしい。それは当たらずとも遠からず。まだ捕まるわけにはいかないのでね、しばらく隠れさせてくれ」
「犯人を匿ったせいで、俺まで罪に問われるのは困りますよ」
自分が学生であることを考慮して警察側も俺の生活に問題が起きそうな事態は避けてくれるかもしれないが、そもそもそんな博打を打つ必要はない。
「ああ、もちろん理解している。私も、お前を巻き込むことになって申し訳ないと思っている」
巻き込まない選択肢はなかったのか。もうすでに後の祭りか。諦めると園継先輩が立ち上がり、台所から包丁を持ち出して戻ってくる。
「わかったと言っておけ」
向けられた切っ先を見て、先輩の目を見る。強いストレスにあるときの目尻の痙攣が見える。手は震えていないが、本心では俺に刃を向けたくないのか少しふらついている。
「……わかりました」
俺の言葉を聞き届けて先輩は喉を震わせながら長い息を吐いた。包丁を元の場所に戻してから麦茶を一気に飲み干し、半ば倒れる勢いで座る。
「すまなかった。だが、これで脅されたという口実はできただろう?」
「本当に脅す必要はないでしょう」
実際に脅さなくても口裏を合わせればいい。だが、これが先輩にとって最も納得のいく方法なのだろう。
「わかりやすいだろう? 目的を果たすまで捕まるわけにはいかない……多少痛い思いをしてもらってもな」
目を伏せて考える。きっと殺されはしないが、何らかの強硬手段くらいは行いそうだ。目的というのもわからないし、言うことを聞いておくべきだろう。
「一応聞きますが、先輩の口ぶりだと目的を果たしたら捕まってもいいと解釈して間違いありませんか」
「ああ」先輩は即答した。「逃げ延びようというつもりはない。まあ、努力してもどこかで足がつくだろうがね」
「その前に警察に行ってくれれば文句ありません」
「そうしたいんだが……私だけでは少し難しくてな。協力してくれれば心強い」
「協力って……」
言おうとしたところで外から大きな音が響いた。コンクリートを蹴って全力疾走する足音だ。その足音は寮の前で一度止まり、外付け階段を上がってくる。中林は一階の住人だし、上秋はもう家にいるはず。誰だと考えると、足音の主はこの部屋の前まで来て、激しいノックと共に大声を出した。
「砂波! 僕だ、津原だ!」
玄関から目を離して園継先輩を見る。この家に人を隠す場所はない。風呂やトイレに身を潜めるしかないが長時間隠れるのは難しい。考えていると声はさらに増えた。扉の向こう側でくぐもって聞こえるが、上秋だ。
「入れていい。お前たちのことは信頼しているし、まとめて協力してほしい」
先輩は動く素振りも見せずに座ったままだ。これでなにが起こっても園継先輩の自己責任ということにしよう。立って玄関を開けた。
「あ、砂波! 園継先輩が……!」
津原の一言で理解した。
「ああ、まずは落ち着け」
津原は息を切らせて心拍数も上がっている。しばらく外を歩かせておきたいが、待っている時間もない。津原の一歩後ろで腕組している上秋はまだ状況を把握できていなさそうだ。
「まずは二人とも、中に入ってくれ」
二人を招き入れて鍵を閉めると驚きの声が上がった。もし二人が俺と同じくらいの情報しか得られていなければ、園継先輩については生死不明だったはずだ。
「先輩! 良かった、無事だったんですね!」
「どうなってんだ? 全国ニュースになってんだぞ」
俺は上秋の質問に首を振る。「先輩、説明をお願いします」とパスした。
「そうだな。だが、先に疲労困憊の津原に水をあげてやれ」
準備するのは俺なんだよなと出かかった文句を飲み込みつつ、先輩の仕切り方が以前と変わらない様子だとわかる。人を殺した後で、それも残虐な処理を行ったのにかなり落ち着いている。新たに二つのコップを用意して麦茶を注ぎ、津原と上秋に渡した。
「ありがとう。助かるよ」
「お、サンキュー」
「俺も急に部屋に来られて、あのニュースだ。まだ先輩からはなにも聞いてない」
「お前もなにも聞いてこなかっただろう」
聞き出そうとしなかったのは間違いない。津原と上秋なら、俺より興味を持って質問が出るはずだ。
「まず報道されているのは、私の家で惨殺事件があり、遺体がバラバラにされていること。顔の損傷が激しく特定に時間がかかることだな」
全員が頷き、上秋が追加した。
「さっきテレビでは、殺されてから数ヶ月経過している可能性があると言ってたぞ」
「その通り、被害者は私の両親だ。そして、犯人は私だ」
空気すら凍ったような沈黙に包まれた。上秋の声が低くなる。
「冗談……なわけないよな」
「私はこれから君たちに全て話す。通報されれば諦めるが、私がなにをしようとしているのか、まずは聞いて欲しい」
緊張感が支配し、静寂の音すら聞こえそうな中、俺の耳に入ったのは水の流れる音だ。
「風呂場の水を止めてくる」
俺の一言で全員が肩の力を抜いた。この寮の風呂はリフォームされたとはいえ自動湯張りなんていう高性能な機能はない。自分で蛇口をひねって頃合をみて止めなければならないのだから、水道代のためにも中断せざるを得ないのだ。
まさかまた、人をこの部屋に匿うとは……それも古谷をこの部屋に送った園継先輩が来るのは運命のいたずらというやつか。俺からしたら悪魔みたいないたずらだが。
浴槽から溢れそうなお湯を止めて、戻る前に少し考える時間が生まれた。園継先輩が事件を起こしたのが数ヶ月前。時間が経過しているのは確かだが、その間に先輩は普通に学校に通い、平気で日常生活を送っていたように見えた。
まともじゃない。そして今からそうなった経緯を静かに聞く。聞いている側もまともじゃないだろう。あの二人がどうして通報する前に話を聞こうと思っているのか、対話の重要性でも誰かに説かれたのか。なんにせよ、俺は風呂場を出て戻らなければならない。先輩に振り回された数日間、どんな結末になっても先輩のせいだ。楽に考えよう。俺がまともじゃないなんて、昔からずっと言われて自覚している。




