5話
十二月十二日 木曜日
昨晩、我を忘れてあてどもなく夜の街を彷徨った僕は駅に辿り着いた。残業帰りの大人が溢れてくる改札は、僕にまったく無関心で居心地が良い。そこでしばらく人波に揺れていると気分も落ち着いて、心に残った純粋な怒りと、ワイシャツに学生服のズボンという凍えるほど寒い恰好に困っていた。
スーツの大人たちがいなくなった後、駅中の柱の陰で座る僕の目の前に現れたのは警察だった。筋肉質な体型の若い男性とその先輩に見える厳しい顔つきの女性。しまったと思った僕は語気の強い問いかけにしどろもどろになっていた。
埒が明かないと判断したのか二人が僕を交番にでも連れて行こうとしたとき、間に割って入る男性が現れた。その人は警察に「自分がここで待ってるように伝えた」と言い、平謝りし続けた。何者なんだと顔を見れば、なんの因果かチャコールグレーのスーツを着た克己さんだった。
警察によって家に帰らされるかという危機を脱して克己さんの車に乗せてもらい、家に帰れないことを告げると深くは聞かず諌野家に泊めてくれた。ありがたいことに僕の代わりに母に連絡をしてくれて、とりあえず今日はことなきを得た……のだが、日付が変わってもまったく眠れない。何度寝返りを打っても精神の奥にまとわりついた不快感がこびりついていて気持ちが悪い。
車内で交わした短い会話が鮮明に思い出せる。
「親はね、子どもに対して全知全能じゃないんだよ。でもそう勘違いしている人もきっといる。人生経験ってやつは凄く厄介でね。自分がそうであったら自分の子もそうに違いないと染み付いてるんだよ。そしたら君に対しても、意思を持った一人の人間だということを意識できなくなるのかもね」
「人間……僕は母からしたら子ども代わりのクローンですよ」
「僕が言う事じゃないんだろうけどね……君のお母さんは親に虐待を受けた過去があるんだ。だからきっと子どもの接し方を知らないんだ」
「母が……?」
「だからよく話しあったほうが良い。なんなら怒っても良い。君にはその権利がある」
「権利って言われても……よくわかりませんよ」
「なんて言うかな、まあ対等ってことかな。親と子も、大人と子供も、飛躍してしまえば王様とホームレスだって人間という土台の上では対等なんだよ」
「人間と人造人間……クローンも?」
「責任者として、そう信じてる。クローンは人と同等に扱うべき……いや、そもそもそんな疑問すら持つ必要がないんだ。冬人君。君をクローンという存在に縛り付けてしまって本当に申し訳ない。君たちクローンを存在論から解放するのが今の我々の目的なんだ」
廊下に出るとリビングに明かりが点いていた。扉を開けてみると、案の定コーヒー片手にノートパソコンで作業している克己さんが座っていた。僕が入って来たことに驚きの表情をして、すぐに笑みに変えた。
「眠れない?」
「はい……あっ、布団は寝心地良いのですけど……」
「はは、ホットミルクでも作るよ。座ってて」
「ありがとうございます」
ノートパソコンの画面を見ないように向かい側のイスに座り、克己さんはキッチンで牛乳の湯煎を始めた。
「すみません……洗い物も大変なのに」
簡単に言われたものだからレンジで温める程度の調理だと思ったけど、まさか鍋を取り出して本格的に作り始めるとは思わなかった。
「いいのいいの。仕事も煮詰まったし、気持ちの切り替えだね」
「こんな時間にお仕事ですか? まだ何か研究を?」
「はは、もう研究職には戻れないんだ。だからクローン研究の際に縁を結んだ人の職場でお世話になっててね。高級ブランドを扱う仕事なんだ。興味ある?」
ブランド品と言われても高級ブランドより庶民派なメーカーの名前しか出てこない。
「いえ……あんまり……」
「そっか、その歳だしね。趣味とか興味とかある? ああ、美術関係だっけ? 舞が部活でお世話になってるらしいね」
「あの、美術は昔から本を読んでただけで、美術に興味があるのかは自分でもわからないんです……」
幼い頃は友達もおらず、外に遊びに出なかったことから父さんの部屋で暇つぶしに本を読んでいた。その時父の本棚に多かったのが美術の本だ。だから僕は自分の趣味で美術の本に手を出したとは思っておらず、絵が多くて読めない漢字を飛ばしてもある程度楽しめる本として好んでいた。
「じゃあ美大に行きたいわけじゃないんだ?」
「大学は……そうですね、何も決めていません。でもこのまま部活を続けて作品を作れば、学校から美術大学への推薦を受けられるだろうと言われました」
「おお!」克己さんは感心した声を上げた。「そりゃあ凄い! 真面目に継続した賜物だね」
つい最近まで部活に行かなかったけど、と心の中で呟く。でも行かなかった理由を学校側はやむなしと考えてくれているみたいで、推薦に影響はないと言われた。
「継続は力なりってね。幼少期からの継続が生んだチャンスじゃないか。強気になりなよ」
「……なってもいいんですかね?」
火を止めて鍋からマグカップに牛乳が注がれる。僕の前に置かれたカップから甘い香りが立ち昇り、今感じる将来の不安も少し和らぐ。
「無責任なことを言うと、君次第ではあるんだ。君のやりたいことを周りの人に伝えられるか。気恥ずかしいかもしれない、もしかしたら嫌かもしれないね。でも人に伝えてみれば手伝ってくれる人がいるかもしれないんだ。それは友達や、親、先生がそうだし、僕もそうさ」
「克己さんが?」
「よく適当でしょって言われるんだけどさ、こう見えて責任は感じてるんだよ。特に人を造るなんて取り返しのつかないことはね、自分が親のつもりでなんでも助けたいのさ」
正面から堂々と僕を見据える克己さんの姿は、親のつもりという言葉の通り、父親が息子を見る目と変わらない。
「適当というか……言葉を選ばず言うと胡散臭いです……」
「ははっ! それもよく言われるよ!」
夜中だと忘れたような大声で克己さんは笑う。
「僕も人の親なんだ。子を思う親の気持ちはわかるよ」
「そう……ですか」
あの母が僕を慮るとはまるで考えられない。あの人の冷たい視線も何らかの親心があるとでも言うのか。昨日の怒りがぶり返してきた。目の前の普通の家庭と比較してしまって、また自分が惨めになる。机の下で足の上に置いた手に力が入る……するとポケットの中の異物感に気が付いた。
それは取り出さなくてもわかる。上秋から預かった一春のネックレスだ。勾玉のネックレス……ふと頭をよぎると一春の顔が思い浮かぶ。みんながそうしていたように、一春が相手だったら僕も相談できたのだろうか……いや、いない人間相手に強がりたくない。そうだな……なら今いる人に頼らないといけない。僕がクローンだと知っていて、家族構成も知っている克己さんに、ほんの少しの勇気を出して。
「実は今日、お世話になったのは……親が許せなかったんです」
まだ迷いながらで、口から言葉をこぼれさせるような小さな声になってしまった。聞こえたか不安になったけど克己さんは優しく返事した。
「うん、聞かせて」
僕はカウンセラーにも先生にも話していない母とのことを全て吐き出した。台本無しで話しているのに不思議と言葉が次々出てきて、自覚してないだけで頭の中ではまとまった文句があったんだろう。愚痴を言ってスッキリするなんて自分には無縁と思い込んでいたけど、実際やってみると責任の一部を克己さんに預けられるみたいで楽にはなった。
「……そうだったんだね。気づいてあげられなくて、ごめんね」
「いえっ! べつに克己さんが悪いわけじゃ……」
「そうとは言えないんだ。クローンを造ったということは、クローンの送る人生に責任を持たなくちゃいけない。それは君の人生の成功を約束するものではないけど、君の不自由を可能な限り減らしたいんだ。他の子には……できなかったから」
そして克己さんは祈るときのように手を組んで机の上に乗せる。深く息を吸い、語った言葉は僕を見ながらも自戒の念を込めているように聞こえた。悲壮感を滲ませる声を聞いて僕は他のクローンについて訊ねることはできなかったが予想はできる。きっとその子たちは、僕よりずっと壮絶な環境にいたのだろうと。
「クローンを自分の子どものように思っているんですね」
「そうだね。むしろそれしか人が人を造るという大罪との向き合い方を決められなかったんだ。過去は変えられない、後悔なんて生まれたクローンたちに失礼な言葉は使えない。だから一生かけて面倒をみる覚悟……これで少しでも君たちに報いたい」
克己さんが昔から僕の家に来て親から状況を聞き出していたのはその覚悟からの行動なんだろう。
「でも」と克己さんは苦笑いしてさらに続ける。「でも、さすがに本当の我が子の方が大切だね。比べるものではないし、その違いを形容する言葉もないけど」
克己さんの視線は僕から外れ、リビングの壁の方へ向いた。遅れて同じ方を見ると、壁際の棚の上にいくつかの写真立てが置いてあった。いま座っている位置からは何が写っているか漠然としか見えないけど、まあだいたい家族写真だろう。もしかしたら失礼な行動かもとか考えず目が向いたままの流れで立ち上がり、写真を見るために歩いた。廊下に出る扉を過ぎ、僕の目的を悟った克己さんは「あっ」と小さく漏らした。
そして僕は写真を見た。幸せそうな四人家族の姿を。若いが今と見た目が変わらない克己さん、赤ん坊だけどたぶん舞、そして美人なお母さん……さらにもう一人、男の子が写っている。
「……ん?」
その男の子の顔に見覚えがある気がした。だけどこの感覚は、ずっと昔に会った人の顔を十年ぶりに見たというものじゃない。とても身近な人と似ている気がする。
他の写真を見る。舞の七五三の写真に男の子と克己さんが写っている。お母さんの姿がないのはカメラを持っているからだろうか。さっきの写真より成長している男の子の姿。もしかして、いやまさか、その二つの思考が高速で脳内を巡る。そして三枚目のさらに成長した三人の写真を見た時、いや、そこに写る男の子の顔を見た時、頭が真っ白になった。写真立てを持ったまま固まる僕の肩に克己さんの手が置かれたことにしばらく気づけないほどに。
「……そうだよね。彼を知っているんだよね」
知っている……知っているなんてものじゃない。僕は奥歯を噛み締めて首を振っていた。
「騙しているつもりじゃなかったんだ。教えるタイミングがなかったし、彼自身のこともある」
僕に黙っていたことはどうでも良かった。
「どういう……ことなんですか……!」
振り返り、克己さんに写真を向ける。
「どうして……どうして、ここにあいつが……砂波が写っているんですか!」
ああ、理由なんてわかってる。克己さんにもそれは伝わってる。だからこそ克己さんに言葉にしてほしかった。
「その子は諌野達也。生きていた時はみんなから『たっちゃん』と呼ばれてた。彼は舞のお兄ちゃんであり……砂波季之君のオリジナルなんだ」
声にならなかった息が漏れる。写真を戻して倒れるようにソファに腰を落とした。
「季之君には伝えてなくてね。冬人君も話さないでいてほしい」
憎たらしくて好きになれない男だ、でも僕は砂波が羨ましかった。面倒だと思ったことはすぐにやめて、友人関係も雑なところがあるのに狭く深い関係を築けている。見えない鎖に縛られて周りの目を気にし過ぎる僕は羨ましかった。
「どうして……砂波は自分がクローンだと知らないんですか」
僕は物心ついた時からクローンだと教えられ、その意味を成長とともに知ることになった。だから人間ドラマの小説であるような両親が重い空気で子どもに対し、自分は本当の親ではないと明かすようなシーンは現実にはなかった。だけど砂波はまだ自分がクローンだと知らない。僕には家に足繁く通って伝えてきた克己さんが、自分の子どものクローンには伝えられていないのだ。
「幼かった舞のためでもあるんだ。舞は達也が大好きでいつもべったりでね。仕事終わりに二人の遊ぶ姿を見ると元気が湧いてくるんだよ」
克己さんは「よいしょ」と呟いて僕の隣に座る。
「大好きだった兄が死んで、今度はクローンとか言われて帰ってくる。舞のためにも心の準備が必要だと判断したんだ。だから舞が高校生になったときに季之君のことを伝えて一緒の高校に通ってみるか聞いたら、うんとしっかり返事した。だけど季之君が舞を妹のように接すると困ってしまうに違いない。悩んだ末に、季之君には伝えないことに決めた」
「そうだったんですね……」
クローンがいるということはクローンに関わる人もいる。クローン本人だけでなくクローンの家族とも向き合わなきゃならない。
「砂波がこの家で暮らさなかった理由はわかりました……けど、砂波のご両親はどういう関係なんですか?」
克己さんが選んで預けた家族ならクローンと知って育てたんだろうけど、他人の子どもを住まわせるなんて普通は受け入れがたい部分もありそうだ。
「季之君のお父さんは僕と大学の友人でね。大学卒業してすぐ結婚したんだけど、奥さんの病気で子宝に恵まれなかった。もし身寄りのない子がいれば養子に迎えようと真剣に考えていたんだよ。二人が心優しい人だと知っていたから安心して任せたわけだね。そして僕の見立ては大正解だった」
話し終えると克己さんは立ち上がり、テーブルのホットミルクを取って僕の前に置き、また同じ位置に座り直した。コップを持って一口含むと、飲み込みやすい温度に下がっていた。さっきの衝撃で口の中がカラカラに乾いていて、ホットミルクを飲むと少し脳内の混乱が落ち着いたように感じる。
「血が繋がっていなくても……愛はあるんですね」
ゆっくりと克己さんの話を頭の中で振り返り、砂波はきっと両親から愛情を受けて育てられたのだろうと理解し直した。砂波家の両親と克己さんの愛情だ。僕がなにを言いたいのか伝わってしまったのか、克己さんは僕を見て一瞬考えたように見えた。
「クローンを造ったことでクローンの親にも会ってきた。悲しい話だけど、以前の子どもと同じように接していた親はとても少ない……それも悪い意味でね」
「僕だけじゃないんですか……?」
問いかけに肯定の頷きが返る。
「いろんな親がクローンとの向き合い方に悩んだ。苦しんだ。その結果は……心苦しいものだった。きっと冬人君のお母さんも悩んでいるんだ。冬人君も悩んでいるしお母さんも悩んでいる。今はどちらにも時間が必要だと思うよ。その時が来るまではこの家にいるといい」
「さて」と克己さんは明るい声を出して僕の肩を叩いた。
「もう夜遅いよ。朝起きれなくなるからね、もう寝るように」
母が悩んでいると言われても納得できないけど、外から見た意見を受け取れるくらいの冷静さは戻ってきた。もし母を許してやれと言われたら聞き入れないところだったが。
他にも辛い境遇のクローンがいて、あの物静かな諌野ですら砂波を見る度に心にくるものを抱えているのであれば、僕は僕ばかりがと泣き言をわめいているわけにはいかなくなった。
向き合うとは向き合わない時間も作ること。藤橋先生もそんな感じのことを言っていた気がする。なんだかんだ僕がわがままだっただけなのかも。理解できてもまだ難しいけど。




