2話
十二月十一日 水曜日
高名が一春の記憶を失くしている。それはとても信じられない事実だった。二人がどれほど仲が良いのかはよく知らないが、同じ学校に通った人間は間違いなく一春を知る。中学時代には良き友人として顔が広く、高校生になっても頼れる相談相手として学年を越えて噂を耳にするからだ。さらに勝手なことを言わせてもらえば、人に興味のない砂波が覚えているのだから高名だって覚えていられるだろう。
やたらと冷える廊下で砂波と並んで立っていた。砂波が僕を見た後にまったく喋らないで横に来るから、話しかけておこうかどうかとヤキモキするはめになった。
「……なんか言えよ。気まずいだろ」
自分でも驚くくらい低い声が出た。怒っているように思われそうなトーンだったが、砂波はそんなこと気に掛ける人間じゃなかった。
「邪魔したら悪いと思ってな」
その一言で僕がずっと考え事をしていたように見えたのだと理解した。君のせいだぞと心でツッコミを入れて、いま話しておくべき事を口に出す。
「……USBのことだろ。せっかくのお休みだったのに、どこで手に入れたとか聞きにきたのか」
このUSBは休み中の砂波がわざわざ学校に来て確認するほどの物に思えるらしい。この男がただの興味で動かないのは承知の上だ。だから砂波が内容不明なこのUSBになにを感じているのかは気になる。
「話が早いな」
一春の部屋で死に際の彼女が持っていたと言えるわけもない。表向きには失踪事件なのだから。
「教えないって言ったら」
「しょうがない。聞かないでおく」
聞き返されたら困る質問だけど、こうもあっけなく引き下がられると事前の心の準備が吹き飛ばされるようでやりにくい……。
「君は一春がいなくなったこと、どう思ってる?」
「生きてはいないだろうな」
冷静というより冷徹なほどあっさりと言った。「どうしてそう思う?」もしかしたら砂波が全て知っている可能性があるかもしれない。心拍数が上がっていくのを感じながら、砂波らしい現実的な分析を聞く。
「現代日本で誰にも見つからずに四ヶ月隠れるのは無理だろう。しかも女子高生が一人でというのはな」
「事件性はあると思うか?」
「誘拐、死体遺棄、可能性だけならいくらでもある」
「可能性じゃなくて君の意見を聞きたい」
いつも通り砂波は自分の意見を優先しなかった。僕は砂波の本音を聞きたくて、もどかしさを解消できるようにもう少し掘り下げる。
「死んで、死体が消えた」
頭で理解するより早く血の気が引いた。まるで人造人間を知っているみたいだ。一春の失踪は『煙のように消えた』とよく言われるが、砂波は可能性を追い続けただけで確信を持ったのか? それとも誰かから聞いたのか?
「……確信があるのか?」
今度は砂波の答えに間が生まれた。表情を見ても砂波は本心が読み取れない。我々から滲み出る親密とも険悪とも言えない雰囲気のせいか通り過ぎる人たちが怪しいもののようにこっちを見るので、上げていた顔が自然と俯いてしまう。
「俺を探るなら自分のことも話したらどうだ」
人に向けた刃が自分に向かってきたような一言だった。沈んで床を向いた頭がさらに重くなる。意識せず「……ごめん」が出てしまい、苦しい沈黙を気にしてないと強がるみたいに顔を上げて、見る場所もないから窓の外で気を紛らわせた。
二分が二十分に感じる静寂を破ったのは中林と高名のコンビだ。中林は階段を下りながら飛び跳ねるように僕に向かってくる。
「ひっさしぶりー!」
高名が職員室に用事があると言ったから待ってみたが、部活の前に砂波と中林の二人に会わせるのが目的だったのか。先に教えておけと視線を送ると、不満を感じ取ったみたいに高名は砂波の方へ向いてしまった。
「えーと……今日から部活に戻ります」
「えっ! ほんと!? ふゆっちがいないと寂しかったよ!」
興奮気味の中林の勢いに負けて言葉を挟む余裕もない。久しぶりに会う中林のエネルギーはキツイ。五分、十分、三十分と少しずつ会う時間を伸ばして、一週間くらいかけてゆっくり体を慣らしたいくらいだ。
「僕がいても賑やかにはならないんだからいいだろ」
まだまだ学が浅いながら部内ではアートに知識がある方ではある。困ったときに丁度いい人間にはなれるけど、面白おかしい性格ではないから寂しいと思わせるわけない。部活の盛り上がりだけで言うなら僕と砂波はそれほど差はないはずだ。
「そんなことないって。仲良い友達は多いにこしたことないんだからさ」
「そ、そうか?」
「あ、二人とも行っちゃった。ちょっと待っててね~」
いつの間にか砂波と高名は職員室に入っていて、中林もそのあとを追って行った。下校する生徒ももう通らない廊下の壁際にまた立ち、中林の言葉を思い出す。
「そんなことない、か……」
偶然か狙ってかはわからないが、あえて高名は僕をここに呼んだのかもしれない。あのテンションの中林を部活が始まったときにぶつけないように、早めに切り上げられる用事を間に噛ませたり、その前に砂波と二人で話せるようにしたり。そうだとすれば嬉しいと思う。気遣いをしてくれたのは素直に嬉しい。にやけ面を片手で覆って引き締め、何事もなかったようにまた待つ。
すっかり寒さで隅っこに縮こまっていると、短い時間ではなく、だが思ったより早くみんなは職員室から出てきた。ガラガラと滑りのいい扉のスライドする音を聞いてすぐ立ち上がってお尻の埃を払う。高名の表情から察するに気分の悪い話をされたようだ。
寮が住めなくなると伝えられて大変な状況らしい。今いる彼らはまだしも、気になるのは一春がいなくなってから人の手が入っていないと聞いている彼女の部屋だ。当然一春が帰ってこなくても所有者に返還しないといけないわけだが、ご両親と連絡が取れていないんじゃないかと噂も流れている。気になってもどうせ僕に情報が下りてくることはないんだけど。
僕の緊張はよそに砂波は部室に入ってしまう。迷うくらいなら流れに任せてしまえと後を付き、園継先輩と諌野に順番に目が合って、背中を高名に押された。行ってこいということか。第一声を考えて呼びかける。
「久しぶりだね」
「ええ、お久しぶりです」
諌野は少し声を抑えていた。聞こえるように膝立ちする。
「文化祭の作品見たよ。君の想像力は凄いね」
諌野は照れ臭そうに俯いて笑う。
「ありがとうございます。先輩のアドバイスのおかげです」
「いやいや、アドバイスなんて些細なものだよ。でも力になったなら良かった」
「部活の様子を見に来たんですか?」
「ああ……いや、これから復帰しようと思ってさ」
諌野の顔が驚きに変わる。やっぱり退部してると思われているらしい。
「先生にはいつでも戻っていいからって言われててさ。でも戻る気はなかったから砂波には辞めるって伝えてたんだ」
「園継先輩もそんな口ぶりで言ってて……でも良かったです。いろいろお話し聞きたいですし」
「はは……期待されるほどでもないけどね。君も前に勉強してるって言ってたじゃないか。すぐに僕がいなくても大丈夫になるさ」
みんなに知識を分けるのが僕の役割のようになっていた。だけどこれは僕じゃなくてもできることだ。図書室や図書館でもいいし、ネットで検索するのが一番楽だろう。僕への質問も次第に少なくなってきていたし、自分で作品を新しく作る熱量も無くなっていた。そんな状態では、やる気に満ちたみんなと一緒に部室に居づらいと感じてしまったのが辞める決断をした理由だった。
「いなくてもって、復帰するつもりじゃないんですか?」
「いやっ! もちろんそのつもりだよ。変な言い方になったね」
自分でもどうしてそんな言い方をしてしまったのかわからず、変な空気を誤魔化すために笑みを作った。
「先輩、あまり弱気に考えてたらいけませんよ。すぐネガティブに考えるのはクセですか?」
「……恥ずかしながら」
諌野にも気づかれるほど無意識にネガティブが出ていたようで恥ずかしくなる。このクセは自分でも直したいものだけど、そう思ってどうにかなるものでもない。
「やる気なくて、たまにしか部活に来ない人もいるんですから。あれくらい気楽な方がいいと思います」
「砂波のことだな」
諌野の口から砂波への弄りみたいなことが聞けるとは思わなくてニヤッとする。諌野は砂波とまったく話さないのに、そんなに嫌ってるようにも見えないのだ。
「ああなりたいよ、僕も」
あれくらい神経図太く生きていれたら今の苦しみもいくらか緩和されるだろうか。あんな奴でも悩みくらいあるんだろうけど、周りから見れば……僕個人としては思い悩んでいるようには感じない。
「気楽なのは向き合い方だと思います。津原先輩は……少し考え過ぎますから」
「良い意味でも悪い意味でもね。でも、そうだな……向き合い方かぁ」
僕が抱える問題は部活より家庭の方が大きな比率を占めている。だけど家族との向き合い方については何度も考えたし、カウンセラーからありがたいアドバイスも受けた。その結果は共通して家族と話し合うべきとなったが、それができたら楽なんだろう。
「明るくない話はやめようか。ちょっと頼みを聞いて欲しいんだけどさ」
空気が悪くなる話題は変えて、本題のUSBを取り出す。これも明るい話ではないと思うけど、諌野にそれはわからない。
「なんでしょうか……USB?」
「うん。僕の家にパソコンないからさ、ここで中を見たいんだよ。使わせてくれるかな」
「はい、もちろん。中を見ないよう席を外しておきますので、終わったら声をかけて下さい」
「ありがとう。めっちゃ助かる」
諌野に作業中のページを閉じてデスクトップ画面まで戻してもらい、僕は砂波に合図した。
「向き合い方は変わってると思いますよ」
「えっ?」
砂波が来る前の諌野の小さな呟きは、不思議と僕の耳に残り続けた。




