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4話

「さなみーん。起きなー」


 中林の声が頭に響いて全身が大きく揺さぶる感覚がある。なんとなく理解できる。俺は座ったまま寝てしまい、中林に起こされているのだ。目を開くと暗くなった窓と明るすぎるくらいの室内。中林は俺の背後から肩を掴んで揺さぶっていた。


「おはよ。もうすぐ帰りになるよ」


「ああ、寝てたか」


 真後ろには舞が座ってパソコンを触っており、津原と園継先輩は向かいの席に座っている。そこにいたはずの上秋も藤橋先生もいなくなっていた。上秋はもう用事もないだろうし帰ったのだろう。先生も部活中にどこかに行くことはよくあることだ。


「ねえねえ、さなみん。ここだけの話し、私に聞きたいことはない?」


 中林はしゃがんで俺に目線の高さを合わせて声を潜めた。前触れのない問いかけはいったい何が言いたいのかがわからない。


「なにもない」


「えー? もしかしたら今のお悩みを万事スッキリ解決っ! できるかもよ?」


 まったく期待はできないから適当にあしらおうと考えたが、一つ聞いてみたいことがあったと思いつく。コンピューター室に来る途中に中林と上秋が話していたことだ。


「小論文の内容、遺伝子がどうとかだったな」


「うん。遺伝と環境による顔の類似性ってやつだね。ちゃんと提出した?」


「今はいい」


「良くない! ちゃんとしなさい!」


 話題が聞こえるまで小論文の課題はすっかり忘れていて、中林に怒られるのも仕方がない。前の授業で決めたテーマの下調べまでしかしていないが、今は集中して課題をこなせる状況ではない……という言い訳を考えても、肝心の状況説明ができないので強引に話を戻す。


「どうせ今すぐできないんだ、帰ったらやる。それで、ちょうど知りたいのは顔の類似性だ」


「ゴホンッ、まあいいでしょう。あくまで軽く調べた程度で専門の知識はないからね」


 課題の為だけに準備した知識であるのは理解しているので、丁寧な前置きを頷いて聞く。


「まったく無関係な人間でも見た目が似ることはあるのか」


「うーんと……」視線を上に向けて考え込む。「まあ他人の空似ってやつかな?」


 言われてみれば自分でもどうして思いつかなかったのか頭を叩きたいくらいにピッタリな言葉だった。


「そう、それだ。遺伝していない二人の顔が似る理由はただの偶然かどうか」


「結論から言うと……直接関係なくても偶然似ること自体はあるらしいよ」


 中林は落ち着きなく歩いて、頭の横で指先を回転させる。


「遺伝子構造ってよく見る二重螺旋構造をしてるのはわかるね」


 頭に思い浮かべる。二つの渦を巻く線が干渉しないように重なり、二つの線の橋渡しをするように塩基が階段の如く並ぶ。


「塩基っていうのはたった四種類しかないのも授業でやったよね。それが二十三対の膨大な数の組み合わせで人体を構成している。そして身体的な特徴にも影響しているね。親からの遺伝によって子どもの顔が似ているのは遺伝子の配列を受け継いでいるから。ここまではオッケー?」


「ああ、続けてくれ」


「じゃあ血のつながりがない他人の顔がどうして似るのかって部分だけど、これは結構単純な理由が考えられるらしいの」


 考えがまとまったのか立ち止まり、右手の人差し指を立てて得意げに話し始めた。


「遺伝子の組み合わせが膨大な数あってもその数は有限だし、日本人口だけでも一億人はいるからね。偶然そっくりな配列と変異が共通することは起こりえるの。つまり現在関係がない人同士でも似ることがある。って感じでどう?」


「ああ、よく理解できた」と言ってから「ついでだが、同じ親から生まれた兄弟で似てないというのは起こるのか」


「うーん、食べるものとか生活リズムみたいな環境によっては変わるだろうけど、遺伝を無視することはできないかな。ほら、兄弟って顔は双子ほど似てないけど、ワンポイントだけはよく似ているでしょ?」


 腰に手を当て胸を張るポーズで「エッヘン!」と中林が気分良くなったところで藤橋先生がコンピューター室に戻って来た。ちょうどチャイムも鳴って部活は終わりとなった。





 部活の締めの挨拶をして解散する。藤橋先生が最後尾で歩き、先頭で園継先輩と中林が仲良く話しているところに津原が巻き込まれていた。


「ね、さなみんもいいよね」


 まったく話に参加しないでいると急に話題を振られる。俺の表情で察したのか中林が唇を尖らせて不満を露わにする。


「もうっ、またボーっとしてる」


「なんの話だ」


「中林はお前を夕飯に誘いたいらしいぞ」


 そういえば前に上秋と外食した時もそんなことを言っていた気がする。


「いつにするんだ」


「うーんと、土曜日でどうかな?」


「料理のメインは中林だ。好きに決めていい」


 俺と上秋が料理をできるはずもなく、台所では中林の助手として雑用をすることになるだろう。ならばできる人間の一存で全て決めてもらった方がいい。


「それじゃあ土曜日の夜で、ふゆっちはどうする?」


 油断していた津原が上ずった声を出した。「えっ! 僕も?」中林は当然だと言いたげに頷くが、津原にとってはまるで自分のことだとは信じられないようだった。


「でもなぁ……どうしようかなぁ」


「行けばいいじゃないか、私なんて誘われもしないんだぞ」


 先輩が津原の肩を叩くと「わかった……」と歯切れの悪い返事だが、口元は軽くほころんで見えた。


「まあ先輩はまた次の機会ってことで。同学年だけでやらせてもらいますね」


「遅くなっちゃダメだよー」先生が背後から声を上げて職員室へ入っていった。俺たちは階段を下りながら別れの言葉を先生にかけるが、俺は津原に声をかけた。


「忘れ物だ。USBの」


「あっ」と声を漏らして急ぎ足で職員室に向かった津原をみんなが驚いたように見たが、追求はしなくていいだろうと階段の踊り場で待った。


 さっきまでの賑やかな雰囲気は落ち着き、遠くのパトカーのサイレンさえ聞こえてくる。特にやることも話すこともなく擦れてめくれた階段の滑り止めのゴムでも見ていると、中林は園継先輩を注視し始めた。


「先輩、どうかしましたか? なんかソワソワしてますね」


 俺にはただ真っ直ぐ立っているようにしか見えなかったが、人の違和感を見抜く鋭い目を中林は持っている。だから中林が不思議に思ったらだいたい正しいだろう。少なくとも、俺が同じように見るよりは信頼できる。


「静かになったからな。こう見えて私も話題を切り出そうと気を遣うんだ」


「先輩でもそんな風に考えるんですね!」


「人をなんだと思っているんだ。まったく、中林も私を舐めるようになったな」


 冗談を言われるのは嬉しいようで、口調は厳しいが先輩の顔は笑っている。「さなみん、今さらだけど遺伝のこと聞くなんてどうしたの?」と話題をよく見つけるのは中林だ。


「そっくりさんがいたんだ。だから聞いたらなにか教えてもらえるかと思ってな」


「ほう、面白いな。それでどうだった?」


 園継先輩はたっちゃんの写真を見ているから、俺がなにを考えているかをきっと理解しているだろう。それでいて、あえて聞いている。


「他人の空似かもしれません」


「ふふっそうか」園継先輩の笑いが小さく響いたとき、職員室の扉が開かれた。津原が両手を開いて俺に向かって振った。なにも持ってないというアピールだろう。


「見つからないってさ。探すから明日また来てって言われたよ」


「落とし物かな?」


「いや、USBが没収されたんだけど……」


 津原が状況を知らない中林に大雑把に説明を始めた。ないと言われたなら駄々をこねても出てこないだろうが、少し気がかりだ。藤橋先生は没収したUSBをペンケースに入れたように見えた。ケースごとなくしたら見つからないのも頷けるが、生徒から預かっている物を入れてあれば丁寧に扱ってほしいものだ。


 津原の話を聞いていた園継先輩に近づいて肩を叩く。首をこちらに寄せて聞き耳を立てた。


「克己さんの連絡先を教えてください」


「……急ぎか?」


「早ければ早いほど」


「私はスマホを持ち歩かない主義でね。明日でいいか」


 そんな主義には疑問しかないが、手早く話を済ませたいので首を縦に振って返事をした。一日待つのはなんてこともないが、考えうる最悪の場合ではUSBを諦めなければならない可能性がある。


 思考を巡らせる。記憶を掘り起こす。考えなければ悪い方向にばかり事が回りそうだ。似ているだけ、同じように見えるだけ。そんなことで済めば問題はないと、思考を中断してみんなと階段を下りていく。これ以上面倒事など、なにも起きなければ楽なのだが。

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