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2話

 カフェでの休憩中にクリスさんのスマートフォンに電話がかかった。相手は克己さんで、今日は仕事を午前だけにするからいつでも迎えに行けるという旨だ。どうするか聞かれたので、クリスさんの家に戻れればいつでも大丈夫ですと答えた。一時までには帰れるとクリスさんが伝えて電話を切った。


 公園から寄り道せずに家に帰る。客室に戻り自分の荷物を確認して、頂き物の作務衣が入った袋も部屋の中央の机の上に置く。確認が終わったのと克己さんがやって来たのはほぼ同時だった。


「昨日ぶりだね。どうだったかな、少し難しいお願いをしてしまったけど。悪い子じゃないから心配はしていないとはいえ、人と人の関わりなんてなにがあるか予想できないからね」


 そして昨日と変わらず息継ぎの間もない早口でまくし立ててくる。半分くらい聞かなかったが、「ええ、はい」と当たり障りのない返答をした。そしてすぐに克己さんに敬語はいらないのだと思い出す。


「言いたいことが山ほどある」


「まあまあ、帰りながらにでもね。どうする? もういいのかな?」


 そもそも克己さんとクリスさんの頼みなのだから俺がタイミングを決めるものではないが、聞かれたからには「俺は大丈夫」と答える。


 克己さんはリエルとの挨拶を済ませていたようで、片手に車の鍵を持っていた。今すぐにでも出れるらしい。


「季之君も、リエルに一声かけてきなさい」


 克己さんの進言の通りに一人で二階に上がり、リエルの部屋に入る。


「そろそろ帰る」


 ゲーミングチェアに座って本を読んでいたリエルが振り返った。


「そう、早いのね。もう少し一緒にいたかった」


「一緒にいて楽しい男じゃなかったろ」


 俺は面白い事のひとつも言わない人間だし、相手を楽しませようという気持ちもない。だから社交辞令だと決めつけたが、リエルは首を振った。


「そんなことない。季之みたいな人とは会ったことがなかったから、もっとお話したかった」


 悪い気はしないもので、返す言葉を考える。ありがとうとか言うものだろうか。


「また、来てくれる?」


 少し震える声でリエルは呟いた。


「たぶん、また来るかもしれないな。都合が合えば友達の女の子でも連れて来るよ」


 男よりも同性がいた方がリエルも安心できるだろう。それに中林なら深い事情は聞かずに面白い感じにしてくれる。そして俺の言葉にリエルは心底安心したようだ。


「うん。楽しみにしてる。また来てね」





 車はクリスさんの家を出て、もうすっかり乾いた路上を走った。音楽もラジオも流れていない車内で、俺はクリスさんから聞いたことを話した。


「人造人間には元となる亡くなった人物がいて、その親たちに許可をとって最新技術で人を造りだした。簡単に言えばこれで合っているか」


 視線をまっすぐ進行方向に向けたまま克己さんは頷く。


「最初から人造人間じゃなく、クローンと言ってくれた方がわかりやすかった」


 まずはシンプルな愚痴を言った。最初から俺の言葉を訂正してくれた方が後の理解は容易かった。


「あはは、ごめんね。クローンか、たしかにその方がわかりやすいよね。でも安易にそうと言いたくなかったんだ」


「それは、学者視点ではクローンと定義できないとか」


「遺伝子の情報はほとんど完璧に再現しているはずだからクローンと呼んでも問題ないかもね。まあ、そんな堅苦しい理由じゃなくて、人造人間を引き取った後の親の様子がね」


 克己さんが一度言葉を切って、そこで非常に悪い話なんだろうと予想がついた。クリスさんからも良い話は聞けなかった。 


「死んだ子供が帰ってきたわけじゃなかったんだよ。顔も背丈も物覚えも違う子供だったんだから、一般に思い浮かぶフィクションのクローンとは違うんだよね」


「クローンと呼ぶには別人だったのか」


「そう、子供の頃からやり直すようなものだからね。環境の変化で細かな違いが生じるんだ。結局理想通りにはいかないものだね」


 フィクションの中のクローンはほとんどの場合、まったく同じ容姿で描かれる。メタな予想でしかないが、フィクションでは設定上見た目が同じ方が都合良いのだろう。クローンと言って少し似てるだけの別人が出てきても混乱するだけだ。そういえば園継先輩も初めは人造人間の呼び方に違和感を持っていた気がする。あの時は古谷の一件の後で状況が逼迫(ひっぱく)していたために訂正する手間も惜しんだのだろうか。


「研究員の仲間の間では呼び方もあったけど、わかりやすいからクローンで統一しようか」


 克己さんは左手をハンドルから離して人差し指を立てた。


「じゃあクローンと呼ぶとして、一春は元の人と似ていたのか」


 断定的な言い方をして一春が人造人間であるかを質問のついでに明らかにさせようと考えた。ほとんど答えは出ているようなものでも、確認はしておきたい。


「ああ、一春さんね……あんまり似てなかったかもね。でも、悪い意味で人を区別しない部分は同じだったよ。偏見とは縁遠い子だったね」


 否定が無かったことから、一春は人造人間と考えて良さそうだ。真実がどうであれ、この会話ではそうしておこう。口でなんと言っても、最終的に決定的な証拠を目の前に出せないのだから。


「一春との交流はどれくらいあったんだ」


「彼女のお父さんが研究員の仲間でね。経過観察として記録を取ってもらいながら、家に来てもらったり、向こうの家に行ったりして何度も会ったよ」


 舞と一春が研究員の娘。他人の家庭がどんなものか、想像はできないものだな。


「一春さんは友達と呼べる人が少なかったみたいだね。季之君から見てどうだったかな?」


「克己さんの言う通り一春は人を区分しない性格だった。全員友達だし、全員知り合い……一春からすれば相手の呼び方はなんでもいいようだった」


 誰にでも分け隔てなく、決して深入りせず、それ故に他人をまず見て聞く。偏見を持つのは仕方ないと語りながら、人にレッテルを貼るという行為は嫌ってもいた。


「それでも園継先輩と古谷は違ったな」


 一春と園継先輩の交流が深いのは知っていた。そして古谷も中学の頃から三人で集まっていたようなことを言っていた。これは想像だが、一春の中でこの二人だけは特別だったんじゃないか。クローンとはいえ人ならば無意識に誰かを特別扱いするのは自然なことだ。


「そうだね。一春さんが中学生のとき、ありささんを家に連れて来たことがあったよ。一春さんは私のすべてを打ち明けた人だって言って、深い信頼関係が見えたね。古谷さんとはクローン同士、シンパシーがあったんじゃないかな。おじさんの目線だけど、なんだかんだ親友だったと思うよ」


 一春について俺と克己さんの認識はほとんど同じようだ。他に聞きたいこと……と考えると車は減速し、コンビニの駐車場に入る。そして店の入口のすぐ近くに止まり、克己さんは一つ伸びをした。


「降りるかい?」


「いえ、買うものないんで」


「そう、じゃあ待ってて」エンジンを付けたまま克己さんは車を降りる。ポケットの財布を片手で軽く触り、早足でお店に入った。俺はしばらく退屈で駐車場の他の車を眺めるくらいしかやることがなかった。


 この誰も見ていないうちに車の中を探れば、克己さんが隠していることでも見つけられるかもしれない。昨日リビングルームで見なかった家族の写真がサンバイザーの裏に挟んであるかもしれない。グローブボックスになにか入れてある可能性もある……ふとそんなことを考えた。


 一春の親がクローンを造った研究者なら、同様に研究者の克己さんも自分の子どものクローンを造ったとも考えられる。目を運転席のサンバイザーに目を向け、手を伸ばそうと腰を浮かし、視界の端に人影が現れる。不思議なことはない、克己さんが帰ってきただけだ。まだ不自然なほど姿勢を変えていなかったので、幸い不躾な行動をしようとしたことはバレず、そのまま座り直した。


「待たせたね。はい、これ」


 ペットボトルのお茶を渡してくれる。克己さんは自分用にボトル缶のカフェオレを持っていて、買ってきたのはその二つだけのようだ。


「ブラックコーヒーが一番好きで家ではブラックしか飲まないけどね、市販のブラックコーヒー……缶とかで売られているのはどうも口に合わないんだよ。苦みが強くてさ、お店や自分でドリップするのとは大違いなんだ。その点、ミルクが美味しいからカフェオレはだいたい美味しい。そう思わない?」


「……考えたことないな」


 聞いてもないことをつらつら喋りながら車は通りに戻る。俺の答えはどうでもいいように返答はなかった。本当にただ喋りたいだけの人だ。


 貰ったお茶を飲んで喉を潤す。克己さんが勝手に興味ないことを話すので生返事で対応していると、自分のポケットが振動した。珍しく俺のスマートフォンに着信があるようだ。何度も小刻みに振動するスマートフォンを取り出して画面を見るとメッセージアプリに中林の名前が表示されている。電話と勘違いするほどの連続した振動は、全てメッセージアプリの通知だった。


「電話かい? 出ていいよ」


「いや、無視していいやつだ」


 通知を消すと上秋に怒られるから放っておくしかない。ひと言でも返しておくかとアプリを開くと同じスタンプがずらっと並んでいる。そして既読に気付いたのかピタッと止んだ。遠隔で監視されてるようなものだろうか。正直に『やめろ』とだけ打ち込んでおく。鬱陶しいやり方だが、中林なりに心配しているつもりだろう。


「お友達、怒ってるのかい?」


「いいや、気にしなくていい」


 スマートフォンを持ったまま画面だけ閉じる。まともなメッセージが来たら返してやらないといけない。


「ははっ、一度でいいからちょっとやられてみたいな。おじさんになるとそんな相手いなくてね。連絡相手の若者と言っても舞かありささんくらいだから、スタンプを押しまくるなんてしてこないよ」


「それは良かったな。日常の手間が一つ少ないようだ」


 克己さんの憧れだろうがやられた身としては面倒を感じている。やられてみたいなら舞でも園継先輩でも頼めばいい。


「そういえば園継先輩とはどうして連絡を取り合っているんだ。まさか先輩もクローンなのか」


 克己さんがクローンを造ったのなら、一春に紹介されるまでもなく知っているはずだから園継先輩はクローンではないと考えていた。しかし俺にも勘違いしている可能性はある。


「ありささんは普通の人間だよ。安心していい……彼女はクローンじゃない。ただ僕と一春さんからクローンについて詳細を聞いていただけさ。それに連絡を取り合ってると言っても頻繫にはしてなくてね。向こうに用事があったときだけ。もっと世間話とかしてくれていいのにね」


 用事があったとき、つまり古谷と俺を克己さんに合わせるときに連絡したくらいだろうか。こうなると次の疑問が浮かぶ。


「どうして園継先輩にクローンは死ぬと消えてなくなると教えなかったんだ」


 俺の質問を受けて克己さんは低く唸る。


「……そうか、クリスさんはそんなことも話したんだね。理由は単純で、言う必要がないと思ってた。初めて会ったのは中学生のときで、まだ難しい話はわからないと勝手に決めつけていた。高校生になってから一春さんには説明したから、必要なら一春さんから言うだろうと思っていた」


「一春は知っていたんだな」


「うん……受け入れたというより、現実感がないみたいだったけどね。まあそれは、造った我々にとってもそうなんだけど。説明しろと言われても困っちゃうんだよね」


 克己さんにとっても理解できないというクリスさんの言葉は本当のようだ。


「死体が消えたあと、痕跡は残らないのか」


「衣服までは消えないかな。あくまで体とか髪の毛とか身体の細胞で構成されているものが消えるみたいだ。出血した状態で死んでも血液が消える。警察が捜査に使うような道具を試せば何か出るかもしれないけど、そもそも実験のためにクローンを殺すなんて絶対できないからねぇ」


「つまりクローンが死んでも警察は動けないと」


「状況によるけどね。公衆の面前で亡くなられたらさすがに調査されるだろうけど、人知れずひっそりと亡くなったら警察も動けないだろうね」


 つまり、一春が死んでいたら警察には捜査不可能ということだ。現に行方不明から進展している様子もないし、今や捜索してくれているかも疑問なほど動きが無い。


「一春さんが失踪したとは聞いてるよ」


 俺の思考を読み取ったように克己さんは言った。


「ありささんからね。もうじきに四ヶ月くらいか……幸運を祈っているけど……」


 手元のスマートフォンがまた振動した。中林がまだ送ってくるのかと思えば上秋からだ。


『津原が一春のUSBを見つけた。八桁のパスワードに心当たりは?』


 津原、一春のUSB、パスワード。文面を単語ごとに切り出して頭を巡る。上秋に詳細を聞きたいが、こんな文字のやり取りではわかりにくい。とりあえず考えてみよう。津原は頭が良いから、誕生日とか一春に縁のありそうなパスワードは片っ端から試しているだろう。あいつが俺を頼るというのはその後の苦肉の策だ。


 スマートフォンの画面に集中していると車が止まった。窓の外には見慣れた寮がある。「お疲れ様」と言った克己さんにメッセージを見せた。


「何個挙げてもいい。たぶん、俺より克己さんの方が詳しい。聞いてきた相手は賢いから、誕生日とか普通のパスワードは試してるはずだ」


 難しい質問だ。ヒントも無いに等しい。だが克己さんはすぐに一つだけ答えた。低い声で、生唾を飲んで。


「since520」


「意味を聞いてもいいか」


 綴りを確かめながらメッセージを打ち込む。


「我々がクローンを造った日付、それをパスワードにしていた。ここから始めた業を決して忘れないように」


「どうして一春の持ち物にそのパスワードが使われるんだ」


「さっきも言ったけど、一春さんのお父さんは研究員だ。もし、君たちも知っているようなパスワードで開かないなら試す価値があるだろう?」


「もし機密情報が入っていたら、困るんじゃないか」


 克己さんはふっと息を吐いて全身を座席に預けた。


「普通はね。でも、いい。ありささんと季之君、そしてその相手を巻き込んで迷惑をかけているんだ。ここで教えずに打ち止めさせるのは簡単だけど、それじゃあ君たちの腹の虫が収まらない。四ヶ月前、一春さんの失踪を聞いたときから考えてはいたんだよ。いつまでも隠し通せるものではないんだから、全て流れに任せてみようとね」


「もし研究についての情報が出てきたら、逮捕されるかもしれないぞ」


「ははっ!」克己さんは大きく笑う。「たぶん無理だよ。USBの中からなにが出てきても真偽を確かめる方法がない。警察を動かすには不十分さ」


 クローンを造った関係者の中には権力者もいたとクリスさんは言っていた。クローン製造を終えた後の証拠隠滅も滞りなく済ませてあるのだろう。


 克己さんが逮捕されようがかまわないが、問題はそこではない。偶然の一致か、はたまたなるべくしてなった結果か。『since520』その通りなら、俺の中では仮説程度だった考えがまとまっていく。俺が無視できない考え。だがそれだけは、克己さんに聞き出せないことだった。

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