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1話

 朝食を食べ終えた後、学生服のズボンと乾燥機に入れられていたワイシャツに着替える。作務衣の着心地は良いが、借り物の服よりいつもの服の方が気分が楽だ。


「よく似あっていたよ……それは君にあげるから、家でも着るといい」


 というわけでクリスさんから作務衣を貰い、適当な紙袋に入れてくれた。そしてリエルが外に出たいと言っていたことを伝えると、「なるほど……わかった。準備をするから玄関にいてくれ」とのことで、俺はリエルの身体を支えながら玄関まで連れていった。


「家事代行の人は今日、来ないのか」


「うん、頻繁に来てるわけじゃないよ。必要な時にお父さんが連絡してる」


「そうか」最初はリエルの介護をしている事情もあるのかと考えたが、だとすれば不便な二階で過ごしているのは不自然だ。風呂は一階にあるし、外へ出るにも様子を伺うにも一階の方が都合がいいはず。「家事代行の人は、リエルがいると知らないんじゃないかと」


 言ってすぐに余計な詮索だったかと考え直した。昨日見た女性がリエルを知っていようがいまいが何かに影響するわけじゃない。わざわざ答えにくい質問をしても困らせているだけだ。忘れてくれと言おうとすると、「うん」と答えが返る。


「そうだね、たしかに知らないよ。でも勘違いしないでほしいのが、お手伝いさんは一人娘が昔に死んでると知ってるから黙ってるの。だから、私がいたら説明に困るでしょ?」


 床を擦るような足音を鳴らして、クリスさんが作務衣からカジュアルなスーツスタイルに着替えて廊下の奥から現れた。作務衣姿とは違い、隙のないビジネスマンを演出している。そして折りたたんだ車椅子を持っていて、玄関の扉の前で組み立てる。リエルは「あんまり好きじゃないんだけどね」と言いながらクリスさんに抱えられて車椅子に座った。


「この辺りは駅周辺と違って面白いものはないが……静かで自然が多い。それほど離れていない場所に自然公園があるから、そこまで行こうか」


 クリスさんはリエルの座る車椅子を押して行き、俺はその後に続いた。厚い雲に覆われていた空には切れ目ができて青空を覗かせ始めている。まだ湿るコンクリートの上をゆっくりと歩き、二人の会話に耳を傾けた。


「朝ご飯さ、今日は張り切ってたね。トーストであんなに凝ってるなんて珍しい」


「たまにはな……上手く出来ていたか?」


「うん。出来るじゃない」


 クリスさんの顔がほころぶ。こうして見ると、リエルが人造人間であることを忘れるような自然な親子だ。昨日の会話で人造人間の親の中には子供を殺した人もいると言っていたが、それで自責の念を感じていても、今くらいは自分を幸せに出来てるんじゃないか。


「季之、疲れてない?」


「まだ五分くらいしか歩いてないからな。大丈夫だ」


「なんとなく、運動不足っぽいなって思ってたから」


「それは……たしかにそうだな」


 民家がまばらになった頃、道路沿いに枯れた木々が長く続いた。目指していた自然公園の植え込みのようで、公園の入り口は県道のT字路を曲がると長い直線を進んだ突き当たりにある。


「季之君は来たことあるかな?」


 クリスさんに投げかけられた質問には記憶を掘り返すまでもなかった。


「記憶の限りではありません」


 思い出せないほど幼い頃に連れて来てもらった可能性があるかもしれないが、記憶になければ初めてのようなものだ。仮に思い出せても、それがこの公園か別の場所かの区別はつかない。


「そうか……ここは遊歩道が大きな池を囲んでいる。四季折々の植物が見れて、季節を問わず散歩するのに悪くない場所だ。少し……代わってくれないか」


 立ち止まってクリスさんの代わりに車椅子の後ろに立つ。


 「向こうのベンチで休憩しようか」


 リエルの提案はもっともでクリスさんは息が上がり始めていた。ここまで休憩も無しに車椅子を押して歩き続けていたのだから、老齢のわりに体力がある。


 初めて車椅子を押す経験に力加減を考えながら、リエルが指し示したベンチに向かっていった。遊歩道はレンガで舗装されていて、歩くのにはいいが車椅子には振動が大きい。俺からはなにも伝えていないが「気にしないで」とリエルが言ってくれたので、クリスさんの歩幅に合わせることにする。


 髪を揺らす風が池の方から流れてくる。クリスさんは目を閉じ、気持ち良さそうに息を吸い込んだ。そうすると少し足が軽くなったようで、大股気味になって歩いた。


 ベンチの横に車椅子を停め、クリスさんの指示に従って車輪止めを下ろす。俺がベンチの端に座り、クリスさんは真ん中あたりに足を広げて座る。視線を前に向けると大きな池が広がっており、向こう側の芝生広場まで見渡せた。ご老人が犬の散歩をしている姿が右から左に歩いていく姿が、米粒ほどの小ささで見える。


「落ち着いてしまったな……すっかり何事もなかったように落ち着いてしまった」


 クリスさんは俺の前で初めて姿勢を崩して背もたれに寄り掛かっていた。顎を引いて少し眠そうに目を閉じる。そして小さく話した。


「人が人を造ったというのに……普通に暮らしてしまっている。罪にも問われず、誰にも責められず……落ち着いてしまった」


「責められたいんですか」


「幾分か楽になるだろうか……ふん、身勝手な願いだがね」


「俺はそれに巻き込まれたわけですか。どこかで吐き出せる相手が欲しかったと考えますが」


 昨夜に聞かせてくれた研究の話しも楽になりたかっただけか。自分が都合よく利用されることに怒りを感じる人であれば憤慨していたかもしれない。俺もそうするのが正解かもわからない。揺らぐ池の水面を見て考える。


「俺の友人の一人はたぶん人造人間です。夏休みから行方不明で、昨日の話を聞いてやっと確信を持てました」


「……辛い思いをさせた。そうか、克己が君を選んだのはそういうことかもな」


 克己さんは俺と一春を前から知っていた。それは園継先輩が勝手に教えていたのだろうが……こう考えると園継先輩の思い通りにことが進んでいるようだ。そもそも克己さんと会うきっかけも園継先輩だから、あの先輩の中で何か狙いがあるかもしれない。三人分の思惑の渦中に投げ込まれるとは、俺は克己さんやクリスさんより大変な思いをしているんじゃないか。


「俺は昔の研究に深入りするつもりはありません。友人はおそらく死んでいて、最近も一人いなくなりました。それだけです」


「恨むことはないか? 少なくとも、我々のエゴがなければ生まれなかった喪失感とも言える」


 一春が失踪して二か月が過ぎた頃、校内ではただの家出ではないんじゃないかと噂された。中林が怒るのであまり言わなかったが、その時には誘拐や殺人などの現実的な可能性を覚悟していた。


「喪失感は感じていなかったかもしれません。なんとなく受け入れることができて……ですから恨みはありません。人によっては恨んでいるかもしれませんが、俺からはなんとも」


 中林は許すだろうが上秋はどうリアクションするだろう。今の上秋であれば一発殴るくらいで気が済むと良い方か。


「けっこうドライなのね。もっと文句を言ってもいいのに」


 昔から親にもドライだの冷たい人だの言われ続けている。リエルにそう言われるのもしょうがないだろう。


「俺の友人たちが代わりに言ってくれていたから、俺から言う癖がないんです。もし必要なら、その友人をお宅に連れて行きますよ」


「ははっ、それは恐ろしい……」クリスさんは笑顔で顔を上げた。「その時は事前に電話してくれ」


「たくさん人が来るのは楽しそうね」


 クリスさんが膝を叩いた。「遊歩道を道なりに行くとカフェがある。そこまで行こうか」


 俺も同時に立ち上がって車椅子の車輪止めを上げ、自らハンドルを持って車椅子を歩道に運ぶ。


「動かすときは声を掛けてからだ……やってくれるかな?」


「はい……進むぞ」


 俺のぎこちない声掛けにリエルがクスクス笑う。


「あまり気に掛けなくても大丈夫だから」


 右手に池の眺望、左手は木々が生えて頭上に枝のアーチを作っている。人のいない公園に車輪の転がる音を響かせて、誰も話し出さない時間が過ぎていく。風を感じながら歩くと木々が途切れて真っ白な鉄橋が現れた。ここから橋を渡って池の向こう側へ行くか林の中を進むかの分かれ道のようだ。クリスさんは迷わずに橋の方に歩いていく。


 橋を渡ってから池の外周を歩いてくと、その先はベンチから見えた芝生広場だった。「日曜になるとここにテントを張って、子供を遊ばせる人が多い」とクリスさんは語るが、平日なのでテントは一つもない。遠くに遊具が見えてアスレチックや砂場もあるようだが、大人がいなければ子供もいないもので静まり返っている。


「懐かしい……」


 リエルはクリスさんに連れてきてもらったことがあるのだろう。俺と違ってどの公園も同じようには見えていない。


「そこの店だ」


 クリスさんが顎で示した先は壁全面がガラス張りのカフェだ。天井や机、カウンターなど店内の備品が白で統一されており透明感がある。池を囲む柵の間際に設置されているので、水面を見ながらお茶をできる設計となっている。


 店の前に設置されたメニュー表から飲み食いしたいものを選び、クリスさんがまとめて注文してくれた。俺は支払ってくれるのを良いことにコーヒーにパスタも付けて頼んでもらう。先に曇りのないガラスから池と広場の両方見える席にリエルを連れて行く。


「待っててくれ」


 カウンターで食事を受け取り、クリスさんと一緒にリエルの待つ席に戻る。昼食を食べるのは俺だけで、二人はフォークが通らないほど硬いチョコケーキと飲み物だけを前にしている。クリスさんが白いカップのコーヒーに口を付けると表情を歪めた。


「苦いだけだな……季之君も飲んでみてくれ」


 そんな反応を見て飲みたくはないが、俺も同じものを注文していたので自分のをとりあえず一口含む。「こんなもんじゃないですかね」俺に味はわからなかった。納得していない様子だがそれでもちゃんと飲んでいる。リエルはケーキを食べるのを一時的に諦めてミルクティーを飲み始めた。


 目の前のパスタは量は少なめに見える。香りづけの……なんと呼ぶかわからない草が乗っていて、見た目はとてもシンプルだ。フォークで巻き取りながら食べ始める。


「リエル……この公園に来た事を覚えているんだな?」


「うん、小さい頃だったね。少しだけ覚えてる」


 クリスさんはなかなか口が進まないコーヒーカップを置いて腕を組む。眉間に皺が寄るのはコーヒーが不味いだけではないようだ。


「不思議だな……リエルを連れて来たことはないんだよ」


 パスタを嚙みながらリエルを見る。クリスさんの言わんとすることがわかるかのだろう。温かなカップを両手で包むように持ちながら深く頷いた。


「……亡くなったお子さんは連れてきたことがあるんですか」


「ああ……」クリスさんは低く唸る。「そうか……克己から聞いたことはあるが……」


「ハッキリ言って」


 曖昧なことばかりひとりごつクリスさんに痺れを切らしたのか、リエルが催促した。


「ああ……すでに話したことだが、人造人間というのは一度死んだ人の細胞を再生させて、新たな生命活動を行わせている」


 リエルはまた頷き、俺は話を聞きながら食べ続ける。


「それがどう作用しているのかはまったくの不明だが……細胞を採取した元の人間の記憶を受け継ぐケースもあるという」


「普通の人間で言う、前世の記憶のようなものでしょうか」


「概ねその理解でも良いだろう。子供が持っている前世の記憶というのは時間と共に無くなっていくらしいが、人造人間のそれは個体差がある」


「個体差って記憶を憶えている期間のこと? それとも憶えてるか憶えていないかってこと?」


「どちらとも、と言っていた。どうやって以前の記憶を持っているのか。メカニズムはまったく解明されないから、そう答えるしかないだろう。……無意識でやっていることが元の人間の手癖だった事例もあるらしい」


 元々生まれた地から離れていなければ記憶の混同も起こりやすいのかもしれない。リエルが人との接触が少ないのに慣れたコミュニケーションが出来ているのも無意識に受け継いだものだろうか。だとすればオカルトみたいだが説明はついてしまう。


 最後の一口のパスタを口に入れる。生まれる以前の記憶を持つのはどんな気分だろうか。自分が自分でないような感覚がするのか。自分は何者なのか、自分は普通の人なのか、まるで哲学的な問いだ。人造人間は誰しもがこの命題を抱えて苦しんでいるのかもしれない。俺にはよくわからない悩みだ。

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