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1話

十二月十一日 水曜日


 学校の朝礼では砂波から休みの連絡があったと先生から伝えられた。「なにかあったら高名、よろしくな」なんて軽く言われる。プリントや伝言があったら一度オレの所に寄せられるのは隣人の宿命だ。オレが休んだ時は砂波がやってくれるのでお互い様だけど。


「ねえねえあっきー。さなみんさ、昨日から帰ってなくない?」


 昼休みに教室に来た中林が聞いてきた。昨日は自転車がパンクしていると聞かされて、窓から様子を見たら諌野と二人乗りしてどこかへ行ってしまって、それから帰ってこなかった。


「まあ先生に本人から連絡あったらしいし、あいつのことだから大丈夫だろ」


「心配ってわけじゃないんだけどね。舞ちゃんはどうしたのかなーって思ってさ」


 心配してやれよとも思うけど、砂波が体調不良以外で学校を休むことは珍しくない。もし舞ちゃんも来ていなかったらそっちの方が砂波より心配だ。


「なんで舞ちゃんと砂波は二人で出かけたんだ?」


 中林は質問に首を振った。


「わかんない。園継先輩も一緒にいると思うんだけどねぇ。なんだか聞いても教えてくれなそうなんだよね」


「あの三人で隠し事ねぇ……想像もできねぇな」


 砂波は園継先輩に苦手意識みたいなのがあるし、舞ちゃんはなぜか砂波とコミュニケーションを取らないし、園継先輩の横柄な態度に舞ちゃんは怖がっているように見える。想像をするに水と油とプラスアルファだ。絶対うまくいく組み合わせには思えない。


 昼休みが終わる予鈴がなったところで教室に担任の先生が入ってきた。次は担任の授業じゃないはずと思うと、担任はオレと中林を見つけてこっちに早足で歩いてくる。


「ちょうど良かった。放課後、職員室に二人とも来てくれ。寮のことで大事な話しがある」


「寮のこと?」


 中林が条件反射みたいに声を出すが担任は急いでいるようで答えない。


「まあ詳しくは放課後。必ず来るように」


 次の授業の準備で忙しいのか、また早足で立ち去った担任を視線で追い、オレたちはお互いになんだろうかと首をひねった。





 午後の授業にはとても面倒なものがある。国語だが三回通しで小論文練習がある。一回目の授業で論文を書く際のルールとテーマの説明がされ、二回目の授業では決めたテーマをパソコン室で調べる。三回目では図書室を使いながら八百字程度で書く。授業中に書ききらなければ週末までの課題になる。今回は三回目になるが、オレは前回の授業でかなり雑に書き上げていたので授業の終わりに提出するだけだ。


 調べ物のためなら図書室にも行けるから、用はないが図書室で調べ物をしている振りだけしておこう。右手をポケットに突っ込んでその中のネックレスを手の中で転がしながら向かう。図書室の中は数人のクラスメイトと、珍しい人がハードカバーの大きな本を読んでいた。


「久しぶりじゃないか津原」


「あ、ああ。高名、久しぶり……」


 オレと津原は中学から知っているけど学校以外の関わりは一度もない。堂々と友達宣言してもオレは良いけど、津原からすれば微妙な立ち位置になるだろう。さらに最後に会ったのがどれだけ前か覚えていないくらいだから、少し距離感を計りながら挨拶が帰ってきたのもしょうがない。


「授業は? サボり?」


「自習だよ。お前らじゃあるまいし」


 オレと砂波のことだろう。この学校のサボり魔としてけっこう知れている。なんなら図書室に来たのもサボりみたいなものだ。


「なんかしばらく見なかったな。部活も行ってなかったのか?」


 風の噂で部活を辞めたとか聞いたが真偽を確かめてなかった。中林に聞いても辞めたっぽいとか理由は知らないけど……など、ハッキリしていない。


「砂波と先生には辞めると伝えたんだけどな。退部届の受理を先生が渋ってるんだよ」


「へぇ、どうして?」


 この質問に津原は口を閉ざした。その視線はオレでも本でもなく虚空を彷徨う。


「無理に話せとは言わないよ」


 津原から離れてごまかす用の本を探す。地球環境問題についての本があったのでこれを手元に置いておき、津原の隣の席に座って足を組んだ。


「砂波と中林には言わないでほしいんだけど、そろそろ部活には戻るよ」


「お、サプライズか?」


 冗談を言うと津原は小さく笑った。


「違うよ。本当に顔出すかわからないし、四ヶ月ぶりだからさ、来るかもって期待させてると思うと緊張するんだ」


「なるほど、わかったよ」


 復帰する気持ちは大切にしてやろう。部員じゃないオレがとやかく言うべきでもない。会話が一区切りついて手持ち無沙汰に手元の本をパラパラ捲る。ランダムなページで止める。表紙には『ニュースでよく見る環境問題ってなぁに? わかりやすい解説付き!』と赤字で書いてあるのに、やたらめったら難しい横文字が並んでいて眩暈がする。解説の文章も米粒の方がまだ大きいんじゃないかというサイズだ。目頭を右手の人差し指と親指で押さえる姿を津原が笑った。


「日常的に避けてるから、いざという時に困るんだぞ」


 他のクラスでも授業はおおよそ同じだ。だから津原はオレが今、環境問題についての小論文練習をやり始めたと勘違いしているようだ。


「どうやらお前は、オレを提出期限ギリギリに課題をやるタイプだと思い込んでるらしいな」


「そうだろ?」


「オレはさっさと終わらせるか、期限ギリギリになったら諦める男だ」


「いや諦めるのかよ……」


 いつの間にか後ろに来ていた図書室の司書教諭が咳ばらいをした。すぐに二人で口を一文字に結ぶ。ため息をついて戻っていったので今度は声を潜めた。


「なんにせよ課題はもう書き終わってる。今という一限で自由の身になるためにな」


「はぁ……真面目に不真面目って君のことを言うんだろうな」


 津原は苦笑いして手元の本に目を落とす。遠目には一面が土色で、なんの写真かと思ったけど、この距離で見れば仏画だったことがわかる。


「それも美術の勉強か?」


 仏画も絵としてみれば美術だろうか。仏様をアートって言うのもおかしいか?


「好きで読んでるだけだから勉強のつもりはないけど、まあ勉強か。興味あるのか?」


「いやぁ、全然興味ないけど。暇だからそこに載ってる仏様について教えてくれよ」


 ツルツルした紙質の本は左が仏画、右が説明のページになっているようだ。その右側の文章を津原の細い指がなぞってサラッと最後の一文まで進んだ。


「これから一つのことを説明しようとすると専門的な言葉を使うしかなくて、その言葉を説明するためにまた別の言葉を……と続く現象があって、耐えられるかな?」


「ごめん、無理だ」


 頭が理解を拒んだ。これから先に出てくるであろう仏教用語についていける気がしない。説明させておいて生返事をするのも申し訳ない。


「ははっ、そうだと思ったよ。解説しろって言われても僕も知識が無いから助かった」


 笑い声が大きくなりそうで、話し終えるにつれて声が低くなる。ここの司書教諭はうるさくすると本当に追い出してくるから注意を払わないといけない。オレが意識的に声を抑えていることに津原は感心したように目を見張る。


「高名は……なんか大人しくなったな。前はもっと性格がヤンキーだったじゃないか。その代わり髪染まってるけど」


「いいだろ、人は成長するんだよ。成長して髪の色も変わるんだよ」


「脱皮か出世魚みたいだな……反省の色もない」


 自分の中では過ぎたことだった。頭から振り払うように別の話題を探す。周りを見回すとクラスメイトがほとんどいなくなっていた。もう教室に戻ってしまったのか。時間にはまだ余裕がある。


「えーっと……お前は最近何してたんだよ。放課後は暇だったんだろ?」


 お勉強か? と付け足そうとしたが挑発的になると思って止めた。だけどオレの言葉選びとは無関係に津原は落ち着かない様子だった。どうも学校が終わってからのことは詮索されたくないらしい。なにか言いかけるように喉から音が漏れて視線が泳ぐ。こんなに顔に出るタイプだったのか。


「あー……まぁ、いろいろあるよな」言いながらまた話題を探す。「そうだ、中林に頼んで土曜に部活見学したんだ。作品を見せてもらったよ」


 津原は左手を胸に当てて控えめに深呼吸し、落ち着きを取り戻した。


「そう……そうか。どうだった?」


「みんなよく考えるなって思ったよ。オレには絵を見て意味を考えるなんてできねぇや」


「そうか……っあ!」


 すると津原は忘れ物を思い出したように体を跳ね上げ、机を叩いた。バンと大きな音を立てて、遠くのパソコンの前に座る司書教諭がこちらを睨む。二人して苦笑いしながら頭を下げて事なきを得た。


「どうしたんだよ、急に」


 開いた本を立てて顔を隠し、また声を小さくして話し始める。これ以上先生を刺激するのは良くなさそうだからだ。津原も顔を俯けて小声になる。


「実はあるUSBについて聞きたいんだ」


「USB? パソコンに挿すやつか?」


 パソコンをほとんど触らないオレにはデータを入れる箱という知識しかない。こんな人間になにを聞くのか。


「そう、でも技術的なことじゃない。そのUSBにロックが掛かってて、そのパスワードの八桁のキーを探しているんだ」


「……なんで俺に?」


「これが一春の物だからだ」


 オレの中でさらに疑問が増えた。しかしそれについて聞くよりも早く津原は続ける。


「君は仲が良かっただろ。連絡も取っていたらしいし、少なくとも僕よりは一春を理解しているはずだ。なにか印象のある言葉とか、数字はないかな?」


「まっ待て。待て待て」


 声が大きくなりそうなのを堪えて手のひらを津原に向ける。急いで津原を静止させる必要があった。とにかく一点、確認が必要だった。


「一春って……いったい誰だ」


 口にしたとき記憶の空洞に濁流が流れ込むようなノイズが走った。知っているのに覚えていない、忘れていた人のような。あの夢の女性は一春だったのだろうか?

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