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4話

「ご馳走さまです」


 食事を全て空にして手を合わせる。ここ数年健康的な食事からかけ離れていたのでありがたかった。


「流しに持っていってくれ。」


 おかずの皿が小分けなので皿を重ねて流し台に運ぶ。持ちきれない分はクリスさんが運んできて、俺は桶に水を張りつつ食器用スポンジを手に取った。


「やりますよ」


 食べさせてもらうだけではなくちゃんと片付けくらいはしておきたい。それに自分がやった方がクリスさんに余計な考え事をさせずに済むからだ。


「助かる。洗い物は嫌いだ、どこまでやっても汚れが落ち切った感覚がない」


「目に見える汚れがなければ良いのでは」器を水ですすぎながら答える。


「目に見えないほどの汚れが気になる性格なんだ……面倒だろう?」


 軽い潔癖症みたいなものか、一度手をつけたら完璧にしないと気が済まないのかどっちだろうか。


「俺の皿洗いで満足できますかね。家事は素人ですから」


「自発的にやると言ってくれるだけで嬉しいものだ。それで出来高を評価するほど大人げない人間ではない」


 口調は厳しいが表情は柔らかい。肩の力を抜いてよさそうだ。もとよりしっかりやれと言われて急に丁寧な仕事に変わるほど器用でもないが。とりあえず流し台に向き合う。目の前は外が覗ける小窓で、まだ雨は窓を叩いている。明日になっても降り続けていそうな調子だった。


「……俺はある人に人造人間の存在を聞かされました。そして事情を知っていそうな先輩に克己さんを紹介されてここに来ました。クリスさんや克己さんに関する事情はまったく知りませんし、研究や法律なんていう大人の事情も無知です。ですが今の話しやこれまでの出来事から違和感があります」


 一通りの器を水に通した後はスポンジに食器用洗剤をつける。手で揉むとすぐに泡が立ちスポンジの元の形が見えなくなる。クリスさんや克己さんに言いたいこと、聞きたいことは泡のように沸き上がるが今はとどめる。泡がシャボン玉のように浮き上がり、俺の顔に届く前に弾けた。


「私の読んだ推理小説では生活能力に甚大な問題を抱える探偵が多かった。皿洗いしながらの推理は初めてお目にかかる。どんな違和感かな?」


 クリスさんの表情は変わらず、言葉ほど挑発するつもりではないようだ。


「推理じゃありません。ただ事実を並べて釈然としない点があるんです。しかし、わざわざ話してくれないことを聞き出そうとするほど、上の空で話を聞いていません」


 今まで会った人造人間のことを知っている人物は俺になにかを隠そうとしているというのが違和感の一つにある。無関係な俺に教えるべきではないとの判断はもちろんありえる。だが違和感というのが、その隠し事が示し合わせたかのようで、事情を知っている人たちの暗黙の了解であるようだからだ。


「君は賢いと思う、そして利口だ。もう少しわがままを言っても良いと思うが……そういう育ちはしてないようだね」


 忙しい手元から目を離してクリスさんに目を合わせる。瞳の奥を覗いたところでなにも分かるわけがないと思っているが、どうぞ読み取るならご勝手にと堂々構えるとクリスさんは肩をすくめた。


「では隠しながら話しを続けるが、おそらく季之君の考えているところは、どうしてそんな危険な研究に手を貸したのか……じゃないかね?」


「亡くした自分の子供が帰ってくると思った」


 間髪入れずに返した。


「うまくいく算段があった。事を起こす状況は整っていた。克己さんに必要だったのは金とコネクション……つまり、誰を巻き込むか」


 ほとんどはクリスさんの語ったことのオウム返しだが、俺の中である一つの可能性を浮き彫りにするには充分だった。いや、きっとクリスさん自身が初心者の探偵役にも考えて辿り着く程度に説明していただけだろう。


 真っ白な小皿の泡を洗い落とし、反射でクリスさんの肩から上の後ろ姿が映る。肩が震えて見えた。すぐに洗い終わった皿を食器かごに置く。


「人造人間を造ることは技術的に可能だった。だから必要なものは法的な手続きとなる。省庁や委員会に圧をかけられる人物。出生証明書を偽装するための医師。そして人造人間を育てる親元」


 覚悟はしたが片足を突っ込むで済まされはしないところまでクリスさんは話を進めた。いよいよ明るみに出せない話まで広がっている。そしてもちろん俺の中には単純な、誰もが行きつくところの疑問がある。


 なぜ、俺に聞かせるのか。


 なぜ、こちらが一つ言うだけでそんなにつらつらと話すのか。


 ときには黙っていた方が聞き出すより多くの情報を落とされることがある。中でも嘘は重ねるほど露見しやすくなる。だから今は話させる。どこまで語るのか。


「持てる人脈を使って人を用意した。驚くかもしれないが、リスクを負ってでも賛同してくれる人は少ないながらもいる。断られた人には、とうとうおかしくなったと思われたが……」


 人造人間を造る研究が……と始まればほとんどは真に受けないだろう。あるいは、怪しい宗教にのめり込んだように見えるか。


「賛同した仲間にはある条件があった。研究は一時のものかもしれないが、人造人間は生きているから、自分が一番かわいい保身的な協力者にとっては、その存在自体が自分の立場を危うくしかねない。安心して不正ができる材料が欲しかった」


 食器を洗い終えて流し台を全て片付けた。手をタオルで拭いて、クリスさんが背中に支柱を入れているかのような立ち姿を崩していなかったので俺もその場で立つことにした。


 クリスさんは俺を見て質問はあるか問うように大げさに顎を突き出した。わざと無反応で返し、伝わってませんと受け取ってもらう。


「……いや、蛇足だな。君には興味もない話だったか」


 社会的地位のある人間がなにを賭けてなにを求めているのか、俺は歯牙にもかけない。人造人間の話しが明るみに出て誰が逮捕されるとか、政治にどう影響するとかは自分が考える問題じゃない。


「結論を言おう。奴らはDNA研究の最新機器を使う条件として、人造人間を造り次第記録を削除。そして、関与した研究者は決して今後表舞台に立てない。どんな歴史的発見を行っても無関係だった人間の手柄に変えられ、全ての関係者の名前は闇に葬られる。それで合意が取られた」


 俺は念のために口を挟んだ。「それだけですか」科学者としての未来が閉ざされることを意味しているのは理解するが、その重さまでは想像できない。


「それだけに思えるだろうが手を出せばもうこの道に未来はない。そう宣告されている。学生時代から積み重ねた努力を全て無駄にすることが条件なのだから」


 今から二十年くらい前ということは、克己さんの正確な年齢を知らないが二十代ではあるだろう。確かに未来が閉ざされるには若すぎる。


「抜け道のないように厳格に定められた同意書が七枚はあった。彼らは見えない汚れを執拗に嫌う人間だ。自分だけは潔白でなければならない。満足いくまで皿を拭くぐらいなら、割って新しいものに取り換える方が簡単に違いない」


 金も人も足りていればそれでよさそうだが……少し考えて、これは内情を知らないとなんとも言えないなと切り替えた。


「これが研究の始まりだ。後の技術的な話は私の管轄外だ、他に聞きたいことは?」


 頭の中で整理する。鼻で浅く息を吐いて集中する。


 クリスさんは娘を失ったことと、それに起因して妻が去ったことで強い精神的ショックを受けた。その後同じ境遇の人たちを集めてグループセラピーを行い、相互に心のケアを試みた。そこで出会ったのが諌野克己さん。


 克己さんから人造人間を造る研究の協力を頼まれた。それにクリスさんは同意した。原因や過程がどうあれ、クリスさんは非倫理的な研究に手を貸した。同意書や技術面の話しはどうでもいい。俺がどうすることでもない。ただ現実と結果があるのみだ。


「もちろん、リエルです」


 クリスさんの反応は落ち着いていた。実は話さないように避けているんじゃないかと睨んでいたが、最終的に疑問がここに収束するのは覚悟していたようだ。


「なんでも聞くといい」そう言って手のひらを平らにして指先をこちらに向ける。どうぞと差し出す形だ。


「クリスさんはリエルを娘だと思っていますか」


 雨音が一層強く感じられる静寂だった。クリスさんの目が一瞬、俺から逃げようと動いたのを見逃さず、返答を待つ間でそれがどんな意図の逡巡なのかを考えた。


「当たり前だ。確かに私の娘は一度死んでいる。だが、人造人間であろうとリエルは間違いなく私の娘だ」


 言葉の節々が強くなっているから明らかに苛立ちがわかる。感情的にさせるのは難しいと思ったが、さすがに娘のことを言われては声を荒げてしまうようだ。


「そう答えるとは思っていますが、確認だけです。他の人造人間の親はどうでしたか」


 クリスさんは俯いて首を振った。


「克己は知っているだろうが、聞かない方がいい。人造人間はもうほとんどが死んでしまっているが……」その先は閉口してしまった。


「親が殺したんですか」


「君は……」苦悶の表情で言葉を詰まらせた。俺はさらに「どうでしょうか」と詰める。


「平然と言ってくれるな……それとも、少しは言葉にするのに良心は痛むのか?」


 続きを答えようとしたのではなく、一番ありえないことを言ってみたのだがこれが当たりだ。良心を疑われようといま必要なのはリエルと古谷の、つまり人造人間の情報を得られるだけ得ることだ。克己さんに人造人間と一春の関係を匂わされたことで、何が原因で人造人間が死ぬのかは無視していい話題ではなくなってしまった。


「リエルはどうして死ぬんですか。あの若さで、クリスさんも克己さんもどうにもできない病気でしょうか」


 人造人間という前例のない存在だから未知の奇病と言われたらそれで納得するしかない。回復の見込みが無い何かだとしても、原因と元凶があるなら知っておきたかった。


「病気とはまったく違うものだ。人造人間の寿命に近いか、あるいは造れてしまったことによる功罪だ」


 功罪という単語を使うと人造人間の製造になにか肯定をしているようだが触れないでおく。


「これは技術的な問題だ。人造人間を造るには死亡した遺伝子を再構築しなくてはいけない。これが可能になったのが克己の研究だった。これで再生したヒトを人造人間と呼んでいるが、その細胞は個体差はあるもののもろく不安定だ。リエルの不調もそれが起因しているだろう」


「……それで、死ぬとどうなりますか」


 頭に日曜日の光景が浮かぶ。地面に落下したと思われた古谷はその姿を消していた。悪い予感はずっと前からしている。


「安定していない細胞は時間とともに死滅していく。それは徐々に臓器や肌の表面に異常を起こし、心臓が停止したときに急速に早まる。そして克己にとっても理解できない、解明できない事態が起こった」


 一春は突如行方不明になり、目撃者もなければ手がかりも見つからない。死体ですらいまだに。


「消えたのだ。人造人間が死んだ瞬間、瞬きほどの間もなく消滅した。髪の一本も血の一滴も残らなかった」

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