1話
十二月十日 火曜日
窓から見る景色がゆっくりと流れていく。音楽もラジオも流さずにエンジン音が低く唸り、フロントガラスに叩きつけられる小さな雨粒の音が車内の静寂を際立たせた。運転中の克己さんは住宅街の細道を通る間は終始無言で道幅が広がってから口を開いく。静かだと思えば運転に集中していたようだ。
「僕たちの過ちが始まった話を最初から話させてもらうよ。あれはずいぶん昔の話……僕たちはあまりにも未熟だったんだ」
俺は邪魔しないように黙って僅かに震える声を聞いた。
「その時は研究所で働いていたんだけどね。僕含め十人の研究者が人を造る実験を行ったんだ。とんでもないことだと思うだろう? でも僕たちには成功する確信があった。倫理的な視点を排除すれば人間くらいは造れるだろうとね」
「……それが未熟さか」
「そうだね……でも僕たちは未来への展望に心を奪われていたんだ。たしかに造られた人間を社会の道具や戦争の駒としか見なければ非人道的行為さ。でもそんなのはドラマチックなフィクション作家の妄想だよ。もしそれが起こるとすれば、普通の人間に向けて普段やってることからヘイトをずらすために人造人間を利用しているだけさ」
「造られた人が社会や戦争の道具として使えてしまうのが問題なんだろ」
「その通り。季之君は賢いね。でもそれはある問題を考慮していないんだ」
俺は克己さんの言う問題を考えようとして、すぐに答えを言われてしまった。
「例えば生まれたての赤ちゃんに『銃を人に向けて撃て』と命令しても言う事なんか聞きやしないのさ。オフィスでの電話応対も、工場でパーツの仕分けもできやしない。そんな状態で何年も教育しながら雇うくらいなら、一から義務教育を修了させて、高校や大学にも進学してから社会に出てもらうのが結局生産的なのさ。人造人間は脳まで人間、つまり普通の人のように思考して行動するから、命令に従順なロボットみたいにはならない……そういうつもりなんだけどね」
はは……と力の入っていない笑いをして続けた。
「どうやら常識的な人は、人を造るという表面的な部分しか問題にするつもりがなくて、実際に造ったらどうなるのかなんて夢にも思わないらしい」
「それは造った後にやり直しがきかないからだろ。人造人間が人間と変わらないなら、ロボットみたいに失敗したから捨てるってことができない」
克己さんの言うことの良し悪しは知ったことではないが、多くの問題がそれ以前の部分に集約している。それは人造人間を造るリスクの部分だ。
「うん、そうだね。普通のプロジェクトであればそれを考慮するべきだ。でもその考え方は僕と根本的に違うのさ」
「リスクを考慮しなくていいと」
「違う違う! なにを失敗とみなすかってことさ。反対に言えば、なにを成功とみなすのか」
「それは……事前に決めているんじゃないのか。成功とみなす何らかの水準だとか、テストだとか……」
事前に計画を組んでいるのであればゴールを設定しているはずだ。目的もなく危険な実験などできるわけがないと思うが。
「生まれて来た子供に対して、君は失敗作だって言うのかい? 僕はそんなディストピア的思想ではないんだよ。子供に失敗も成功もあるものか。どんな子でも、愛する必要があるのさ」
「……」
「本気か? って感じだね。愛でどうこうなんて論理的じゃない? その通りさ。だから未熟だったんだ」
赤信号での停車が少し急停車気味だった。話しながら力が入っているのか、雨で濡れた車道が滑ったのかはわからない。
「三十三人……これは造られた人間の数。そして今やほとんど残っていない」
「残っていないって……死んだのか」
克己さんがゆっくりと息を吸ったのがわかる。
「僕たちが思っていたより難しい問題は多かった。ただ生きるっていうのは、それだけで難しいことだったから」
「他人事みたいだな。自分たちで造った命だろ」
「気に障ったかな? ……わかってる、人が死んでたら全て言い訳さ。なにがあってもね」
車は緩やかに速度を落として大きな門構えの家の前でウィンカーを出した。対向車がいなくなってから門扉の横、大きなシャッターの前で停車し、ほどなくして堅牢なシャッターが自動で開かれる。
「これから会うのは研究に資金提供をしてくれたパトロンの一人。名前はクリス・バレイル」
克己さんは慣れているようですんなりと駐車を済ませた。
「高級な時計、衣服、アクセサリーブランドなどから認定中古品を販売する許可を貰ってるお店の偉い人。わかりやすく言うと、金持ちのコネが凄い金持ちのおじさんだよ」
「わかりやす過ぎて品位がないな」
いくらなんでも嚙み砕き過ぎた説明だ。克己さんは冗談のつもりだろうが、本人を知らない俺からすれば印象が悪い。あまり真に受けないでおこう。
車を降りてなかなかお目にかかれない豪邸を観察する。外から見るとガレージに見えたシャッターの先は広い庭になっていた。克己さんが停めた車の隣に、おそらくクリス・バレイルのものであろう大型の黒い車がある。
家を見るとシャッターが高かったので外から見えなかったが、立派な和風建築の二階建ての邸宅だ。門扉から玄関までは大きな石畳が道を成し、それ以外の庭は人工芝が敷き詰められている。車の鍵を閉めて降りてきた克己さんが傘を開き、俺の頭を空から隠すように差す。
「ずぶ濡れでも元気なのは若さだけどね。風邪引いちゃ良くない」
まだ小雨だから気にしなかったが、これで俺が病気になればたしかに克己さんが責任を感じるか。素直に横に並んでおこう。
「ははっ、こうすると昔を思い出すようだ」
傘からはみ出た肩が濡れるのを気にせず、克己さんが急にご機嫌になった。
「舞も思春期だから、そりゃあ相合傘は嫌がるだろ」
「言ってくれるね。最近はカメラを向けるのも嫌がられてさ、記念だからって言っても、なんの記念でもないでしょって。仏頂面の写真ばかり増えて、子供の姿を残したい親心を気遣ってほしいよ」
家で話していたときのような饒舌さが戻ってきた。なんだかわからないが、少しは気持ちを切り替えられたようだ。
玄関前まで来て、克己さんから傘を受け取る。外に向けて傘の水気を弾く間に克己さんはインターホン越しに話して、俺が傘を閉じるタイミングで玄関の扉が開いた。
「ようこそ。中に入って……傘はそっちの傘立てに」
言われたまま傘立てに差して上がらせてもらう。きれいに揃えられたスリッパを履いて、異質な玄関を見回した。その異質さというのは大きな仏画や掛け軸が西洋絵画と並んで壁面を埋めており、下駄箱の上にも柄の掠れたマトリョーシカや模型の盆栽がある。
「クリスさんは美術鑑賞の趣味があるんだけどね。それが高じていろんな有名品のレプリカの蒐集をしているんだ」
クリスさんの後ろ姿を追いながら控えめな声で話す。
「本物でも買えそうだけどな」
この広い家を見てもそうだし、高級ブランド関係という仕事を考えてもかなり稼いでいそうだ。
「彼からしたらはした金かもね。でもね、歴史ある絵画とか生きた盆栽っていうのは管理に手間がかかるものさ。それを嫌ってレプリカばかり集めてるんだって」
もしかして効率とか費用対効果とか気にする性格だろうか。気難しい印象が増したところで和室に通される。木製の大きな机が中央に鎮座して周りに座布団が二枚と反対側に一枚、その一枚にクリスさんはあぐらをかいて座った。
「座ってくれ……ああ、上着を脱ぐならそこにかけなさい」
指で示された部屋の隅にはハンガーラックが置いてある。和室に合うように木製の、障子の枠にも似たデザインだ。先に克己さんがコートを掛けて俺の方に手を出す。
「ああ……はい」
意図に気付いて学ランを脱いで渡してラックに掛けてもらう。肩回りが楽になってから座布団に座った。正面のクリスさんと目が合う。
クリスさんは皺は少ないが髪が真っ白で年齢がいまいち判別できない。着ているものは和服よりは身軽に見える……作務衣というやつか。薄い服に見えるが寒そうにはしていない。クリスさんは一目で外国人とわかる顔立ちだが、意外に和装を着ても違和感が無い。
「……砂波季之君か」
クリスさんは低く空気を震わす声で名前を呼んだ。腰を丸めてやや下から覗き込むような目線はこちらの心理を探られているかのようだ。
「はい。初めまして」
「……」
クリスさんからの返事はなかった。ただじっと俺の目を見ている。いつまでそうするつもりなのか知らないが、部屋にまた人が入ったことで視線が切られた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
四十代くらいの女性がお盆に湯呑と急須を乗せて机に置いた。
「ああ、ありがとう。今日は上がってくれていいよ。長引かせた分は色を付けておく」
「あら、気になさらないで下さい。贔屓にして頂いてるお礼です」
女性は流れるような所作で一礼してから部屋を出ていく。障子が閉められてからクリスさんは低い声を出した。
「ふぅ……ああは言っても結局は欲しがるものだろう」
皮肉か諦めか、目を伏せた。
「そう言わないでください。もう長い付き合いのお手伝いさんなのでしょう?」
奥さんという雰囲気ではなかったが、家事代行の仕事なら納得した。
「向こうにしてみれば太客の仕事だ。無理を言われても無下にできんのだろう……いかんな、この頃は卑屈になってばかりだ。雨で体が冷えただろう、遠慮せず飲みたまえ」
勧められるからには礼儀に則って一口飲む。熱すぎない温度で飲みやすい。
「砂波君、克己から聞いているかな?」
湯吞を置いて克己さんに視線を送ると俺の代わりに答えてくれた。
「話さないといけないことが多くてまだ……まず人造人間の研究をしていた過程から大雑把に説明しています」
「理解したとは言いませんが、時間のない時にする話でもないでしょう」
後で連絡先さえ教えてもらえればいくらでも聞けるだろう。とりあえず俺は二人を邪魔しないで、必要な話を聞き漏らさないようにしておけばいい。
「まあいい、砂波君にはお願いしたいことがある。まずは聞いてもらえるかな」
外の雨が強くなって部屋に音が響き始めた。クリスさんはお茶をゆっくりした動作で飲み、難しい顔をする。
「本降りか、声を出すのは疲れる……まあ少し聞いてくれ。私の娘のことだ。名前はリエル、君らの言い方をするところでは人造人間の娘だ」
人を見定めるような目つきはなんとなくわかる。クリスさんがそうしているのも、克己さんが緊張して唾を飲んでいるのもわかる。だから聞くだけではなく、本心を探らないといけなさそうだ。明らかに二人は俺をただの初対面とは思っていないし、何かを隠している。人造人間の実験という表沙汰になれば大問題が起こるであろう事態に関わっている人物に会っている以上、俺は自分の身の為にもこの人達をちゃんと疑わないといけない。面倒なことになってきた。




