5話
廊下を歩いているうちに薄っすら汗を滲ませ、炎天下に出ると殺人的な暑さを体感することになった。もはや愚痴をこぼす体力も惜しいくらいで、無言のまま砂波と校門まで歩く。
「向こうの方は昨日やってくれたらしいから、その途中から校門まで。全部は無理だろうから時間まで頑張れってさ。ああ、サボろうとしても藤橋先生が見回るらしいから無理だぞ」
砂波は文句を言わずに手袋をはめてフェンスの前に屈み込んだ。意外にすんなりやってくれるもんだと感心してゴミ袋を広げる。それを砂波の横に置いてやって僕も園芸用の手袋をはめた。
嫌な青臭さに鼻が曲がりそうになったり小さい虫に驚かされたりしているが、草が根っこからするりと抜けると気持ちが良い。しかし二人だとなかなか袋に溜まらなくてうんざりしてくる。黙って続けても時間が経つのが遅いから会話でもしたいが、僕から話したいことはなにもなかった。
「なあ砂波。僕に話すことないか?」
「謝ることはないぞ」
「違う違う! そうじゃなくてさ、黙ってやっててもつまらないから話題が欲しいんだよ」
こちらに目も向けないまま何とも言わず黙ってしまった。まあ砂波も僕に対して話題のタネなんてないんだろうな。この無趣味な男と高名がどうやって友達をやっているのか気になるところだ。
「ああ、そうだ。コンピューターアート部に入部することになった」
そういえば最近のビッグニュースといえばそれだ。中林が教えてくれたけど僕の中にはまだ不信感というか、まだ現実味がない。
「内申の為だと聞いたよ。やる気あるのか?」
「ないと思ってた方が気楽だぞ」
「……元から期待してない。その方が君も楽だろ」
きっと園継先輩もこういうスタンスだと知っているんだろうな。あの人は部活を真面目にやれとは言わないタイプだし、僕だけが注意してても損した気分になる。
「好きにしていいけどさぁ……あんまり先生と僕の胃を痛めることはしないでくれよ」
高名がいなければ悪事をしないとは思うけど、これは良くないからやめておこう……みたいな規範を遵守する気持ちが砂波にはないから手放しで喜べない。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、当の本人は特に返答もしないで黙々と作業を続けている。お互いを探り合うような微妙な沈黙が訪れた時に藤橋先生が見回りに来た。
「けっこう進んでるね。体調はどう?」
「大丈夫です。砂波は、まあ涼しい顔で」
「これでもちゃんと暑いぞ」
暑さは表情には出ていないが確かに汗は流れているようだった。先生を見ると首にタオルを巻いて水を浴びて来たように汗をかいている。
「先生はもうね、この通りさ。汗かいちゃってしょうがないね。あと三十分か、体に気をつけて頑張ってね」
先生はタオルで顔を拭きながら去っていった。ふと砂波を見るともう草むしりに戻っていて、切り替えの早さは非の打ち所がない。僕はというと三十分と言語化されたことで、まだそんなに時間が残っているのかと疲れが出始めていた。
「よく集中できるな。暑くて暑くて、もう手を動かしたくないよ」
「なら仮病でも使って冷房の付いた部屋にでも行けばいいんじゃないか」
思っても口に出せないようなことを平然と言ってくる。
「できたら楽だけどさ、そうはいかないだろ? 僕だってサボれるならサボりたいけど、やっちゃダメだろ」
みんなきっと真面目にやってるのに僕だけ楽をしようなんてズルはできない。
「そうか、まあ……やればいいと思うけどな」
悪い事を言ったような雰囲気もなく、砂波は提案していた。どうしても……僕にはどうしても砂波のように良心の砦を崩すことはできない。
「できたら苦労しないってことだ。僕は君と違って他者評価が大切なんだよ」
言ってて空しくなりながら雑草をまとめて抜き、袋に突っ込むと満杯に見えなくもないくらいに溜まっていた。圧縮すれば全然潰れそうだが、わざわざ自らの首を絞めることもない。
「だいぶいい感じだ。もうこれでいいんじゃないか」
そう言って砂波に最後の雑草を入れてもらい、袋の口を縛る。いざ終わったと思うと手袋の中の汗だくの手が気持ち悪くなってきた。他の人はどうしているだろうか、早く手を洗いたい。
「俺が先生の方に話してくるから、津原は捨てに行ってくれ。そのまま戻って涼んでいてもいいだろ」
急に饒舌な砂波に驚いた。
「なんだよ、急に優しいじゃないか」
この早さで終わったのもひとえに砂波が黙々と作業をしてくれたからだけど、なんか気にかけられると中学生の時からあった砂波の印象とギャップがあって目を丸くしてしまう。
「さっさと帰れるからな」
「……そうか」
まあこういう奴と言えばそうだ。僕も早く涼みたいし提案に乗ろう。
「お昼は食べていくんだろ? あ、先生の場所はわかるか?」
「ああ」
短い返事をして砂波は園継先輩と諌野が作業している方へ歩いて行った。まあ細かいことは任せよう。とりあえずこのゴミを片すために校舎裏へと行く。
校門から校舎をぐるっと回り込んで特別棟と本校舎の間にゴミ捨て場がある。安請け合いしたが実は歩くと距離があって、砂波はこれがめんどくさくて役割分担したんじゃないかと疑いを持つのは必然だろう。
錆びた小屋のような見た目のゴミ捨て場に着くと先に諌野がゴミ袋を中に入れているところだった。
「開けといてくれー」
声を上げて扉を閉めかけた諌野の手を止めさせる。駆け足で近づいて僕もゴミを放り込んだ。扉を閉じて茶色くボロボロなラッチを回転させて閉める。これで一仕事終わり、手汗で脱ぎにくい手袋を外した。
「お疲れ。そっちも早かったんだな」
僕たちは一心不乱に草をむしり続けて早く終わったつもりだったけど、まさか先に終わっているとは思わなかった。
「はい。たぶん津原先輩のところが大変だと思いますよ」
「えっ? そうなの?」
「他の場所は雑草が伸びてて少ない量でも嵩増しできますけど、校門の所って頻繁に掃除されてますから……」
それを聞いて天を仰いだ。そうだ、登校日でも先生が外周のフェンス周りの掃除をしているのを見かけたことがある。諌野と一緒に昇降口に向かう。
「つまりは……だ。園継先輩は自分が楽になるように前もって人を振り分けたわけだ。まったく、狡猾な人だな」
「そうかもしれませんね……人が悪いですから」
昇降口に着くと悪い人こと園継先輩が待っていた。手に未開封のペットボトルを二本持って僕と諌野にそれぞれ渡す。
「ありがとうございます。もうみんな帰ってますか?」
「いや、高名がいない。ゴミ捨てに行ったらしいんだが会ってないのか?」
ゴミ捨て場までの間は諌野としか会っていなかった。もしかしてさっさと帰ってしまったのか。先生の奢りでご飯が食べれるのに、高名がそれを逃すのは考えにくい。
「ちょっと寮の方見てきますよ」
忘れ物かもしれないし、校舎のどこかを歩いてるとしても寮から往復する間に部室に帰ってくるだろう。
「ああ、行ってくれると助かる」
僕は受け取った水を一口飲んで一人で寮に向かった。
たしか寮は一階に中林、二階に高名と砂波、そして一春が住んでいる。どこが誰の部屋かまではわかっていないが、二階を手あたり次第ノックしていけばいいだろう。
寮まで着くとそのまま外付け階段を上がって、一番手前の扉にノックする。返事はない。人の気配もないから誰もいないのか。次に二つ目の部屋へ。強めなノックをすると扉が揺れる。しかしやっぱり返事はなく、さらに奥の部屋に足を向ける。そして最後の扉の前に立つと部屋の中からガシャンと音が聞こえた。ここかと思ってノックをした。
「高名、どうしたんだ。部室で待ってるぞ」
人が玄関まで来たような足音がしたと思えばまた奥へ遠ざかって、すっかり無音になった。
「……入るぞ」
ドアノブをひねるとそのまま扉が開いた。まさか熱中症で倒れてそのままか? ポケットのスマホを片手で確かめながら部屋の中を伺う。冷房が点いていない部屋だ。外より熱の籠った感じがある。悪い想像が脳に広がった。自分が今まで読んできた漫画や小説で事件が発覚する瞬間、そのワンシーンの中にいるみたいだ。
「はぁ……」
息を吸うと重たい空気が口にぬるりと入ってくる。呼吸しているのに息苦しい。この部屋にいたんじゃ危険に違いない。中に入って部屋の奥に目を向ける。開け放たれた窓の下、その壁にもたれかかって人が座り込んでいる。急いで駆け寄ると異常事態であることにはすぐに気付いた。だが驚いたのはそれだけじゃなかった。
「一春っ!?」
そこにいたのは一春だった。駆け寄って右手を取ると人の温度を感じない、もう死んでしまっているのは明白だった。
「……どうして」
思わず漏れた言葉に当然返事はなく、外の虫の声だけが部屋に反響していた。頭の中が真っ白で、なぜ、どうして、思考は空転する車輪のように同じところを回っている。手からペットボトルを落としてもまったく拾えないでいると一春の右手を掴んだ僕の手に水が垂れてくる感覚がした。
「うっ!」
驚いて飛び退き、尻餅をついた。僕の左手は真っ赤になっている。間違いなく血だ。ゆっくり視線を一春の方に戻すと、その姿はなかった。いや、正しくは一春の衣服を残して体が消え去っていた。また左手を見直すと血は幻覚だったかのようになくなっている。
「まさか……一春……」
まさか、一春も造られた人間だったのか。普通の人間なら消えてなくなりはしないはず……常識的には。畳を擦るように膝で歩き、恐る恐る服の残骸に触れる。伸ばした手は震えた。指の関節に力が入ってうまく曲がらない。そしてシャツを、そこにいたはずの一春の残滓を掴みたがるように拾い上げる。どうするわけではなかった、どうできるわけもなかった。無情な喪失感は涙すら許さなかった。
シャツが指先から滑り落ちる。慌てて落とすまいと握ると、なにか硬い物が足元に転がり落ちて僕の目を奪う。
「……USBか」
真っ黒な長方形のそれはパソコンに差し込むUSBメモリだ。盗難になってしまうが、一春が死んだ理由がわかるならばとそれをポケットにしまう。そして落としたペットボトルも拾って苦渋の決断をした。
「ごめんな……」
振り向いて玄関に向かう。これが普通の人だったら通報できていた。だが死体も残らない造られた人間が死んだとなればそうもいかない。通報しても僕が暑さでおかしくなったと思われるだけだろう。だから、今はどうすることもできない。僕一人ではどうすることもできない。部屋を出る。ふらつきながら歩く。また鳩尾から違和感がせり上がってくる。吐き気で膝から崩れ、暑さからの汗と冷や汗が混じってとにかく気分が悪い。
髪を搔きむしって立つ。それからどうにか歩いて学校まで戻る。なんとか冷静にならないと、どうにか自分を保たないといけない。落ち着け、落ち着け。言い聞かせるうちにコンピューター室まで戻っていた。中からは今さっきの事態を知らないであろう明るい声がする。ペットボトルの水をいっきに飲み干して中に入った。
「あっ! お帰りふゆっち!」
中を見回すと高名もいるし、全員ちゃんと揃っている。
「入れ違いだったな。手間を掛けさせた……ん? どうかしたのか?」
園継先輩が僕の異変に気付いたようだが「いえ……ちょっと休憩します」と暑さのせいにして誤魔化す。
「今日は保健室開いてないからな。悪くなりそうならすぐに先生に言うんだぞ」
「大丈夫ですよ。先生は?」
「そろそろお昼を買って帰ってくる頃だろうさ」
ああ、そう言われればそうか。自分の頭が回っていないのを再確認する。園継先輩が中林との談笑に戻ってから、高名の隣に座る。
「……」
似合わない難しい顔をしている。
「どこ行ってたんだ」
「……」
「……無視か?」
高名は明らかに元気のない様子だった。少なくとも朝に会ったときと雰囲気が変わっている。僕らに気付いた砂波が横から声をかけて来た。
「戻ってからこの様子だ。飯食ったら戻るだろ」
たしかに今までの高名ならそれで良さそうだ。だが、僕には一つ懸念があった。もしかしたら、高名は一春の部屋にいたんじゃないかと。
「……一春に会ったのか?」
高名をまっすぐ見て、周りに聞こえないように低い声で言った。
「ひとはる……」
小さな呟きを最後に沈黙が訪れた。
「何でもない。忘れてくれ」
様子がおかしいのは僕自身もそうだ。人の事をどうこう言う前に自分がしっかりしなければならない。まずはお昼を待って切り替えよう。とにかく今は間が悪いのだから。
お昼が食べ終わってから砂波と高名は一緒に帰り、午後の部活で僕は隠れてUSBメモリをパソコンに接続した。しかしパスワードが設定されていて見れない。ノーヒントでこれといって心当たりもない。ベターなのは誕生日とかだろうけど僕は知らないし、一春がそんな不用心にも思えない。可能性を辿れば園継先輩が知っているかもしれないけど、聞いたところでこれをどこで手に入れたかを説明できない。
一春の死を誰にも言えないまま部活にいるのが苦しくて、新学期の始まりと同じタイミングで退部を申し出た。しかし真実を伝えられなくて、口実として藤橋先生に放課後スクールカウンセラーに会えるように話を通してもらった。環境は大きく変わっていく、着実に良くなっていくかもしれない。それでも母との不和や一春の死は心に深く根を張り、何度も気分転換を考えても大きな問題から目を逸らすための逃避行な気がして逃げ場がなかった。




