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1話

十二月六日 金曜日


 目を開く。染みの付いた木の天井、娯楽もない殺風景な部屋。外で風が吹くと隙間風が入るボロアパート。布団から出てカーテンを開ける。狭い道路とこれから登校する高校が見える忌々いまいましい景観だ。今日は金曜日、休み前と割り切って身支度を始める。


 一度寝間着を脱ぐと冬の寒さが肌に突き刺さる。白無地のシャツに袖を通すと、冷え切った繊維が全身を締め付けるようだ。もう暖房を付けないと厳しいだろうか。だが、この寮に住んでニ年ほど、冷暖房の類は買ってないし、本当に耐えきれなくなったらにしようと先延ばしにし続けている。


 学生服に着替えて部屋を出た。通路や階段は雨風にさらされて赤茶色に錆びている。学校の敷地外にあるせいで、どこからどう見ても普通のボロアパートにしか見えない。しかし昔は遠方の学生の為に学校と大家で契約されて六部屋満員だったらしいが、今では三人しか住んでいない閑寂な住まいに変貌へんぼうしている。回りの悪い鍵をガチャガチャ鳴らしながら閉めると隣の住人も出て来た。


上秋(かみあき)、今日は早いな」


 俺が声をかけると目の半分開いていない友人、高名上秋(たかなかみあき)は大きなあくびで返事をした。しばらく染め直してない金髪は寝癖で金や黒に跳ねている。


「ん……砂波(さなみ)。おはよう」


 寝起きのガラガラした声で挨拶して、立て付けの悪い扉を体重をかけるように閉める。鍵をかけた後はよほど眠いのかふらついていた。


「そこの階段で転んでも助けないぞ」


「ニ年住んでる寮でこけるわけ……があああっ!」


 上秋はお手本のように一段目を踏み外し、地面まで転がっていった。ボロアパートはやたら急勾配な鉄製外付け階段で、気を抜くとこうなる危険がある。


「目は覚めたか」


「ホントに心配しねぇのな……コノヤロー」


 大した怪我もなく悪態つくほど元気だ。気を付けて階下まで降り、上秋の腕を掴んで立たせてやる。


「お前はアレか? 人情ってやつを母体に置いてきたのか?」


「目に見えないものは信じないんだ」


「……それ、幽霊にしか言わねえやつだろうが」


 立ち上がった上秋はいつものガラの悪い目つきに戻り、土や錆びを払ってマフラーを巻き直す。「早起きは三文の徳ですか、あーあ」などなど愚痴を聞きながら学校に向かった。


 そこそこ偏差値が高い学校ということで真面目な生徒が多いこの高校では上秋の半端な金髪はよく目立つ。少し遠くから挨拶をするクラスメイトと、返事をする上秋の横に並んで教室まで着いた。


「あっきー、さなみん。おっはよーう!」


 教室に響く元気な声で短髪の女の子がこちらへ来た。中林(なかばやし)夏海(なつみ)。仲の良い友達にはあだ名(俺にはさなみん、上秋にはあっきー)で呼ぶ快活な少女。俺と上秋と中林は中学からの付き合いで、当時からこのテンションだ。


 中林は上秋の頬に擦り傷を見つけると声を上げた。


「もしかして朝から友情の殴り合いしてた!? ダメだよ! そういうのは河川敷でやるものって相場が決まってて……」


「んなわけねえだろ! 二度寝したい気持ちを堪えて早めに出たら階段でこけたんだ。これなら遅刻した方がマシだったね」


「あっははー。ドジっ子さんじゃーん」


 これはしばらくネタにされそうだ。中林に露見したのが運の尽きだな。二人の仲の良いやり取りを中断させるように朝礼の予鈴が鳴り響き、クラスメイトはそそくさと席に座っていく。


「もう時間かー。じゃあまたねー」と、中林は自分の在籍する隣の教室に帰っていく。


「なあ砂波。あいつはオレを笑いものにしたくて来たのか?」


「顔を見せるだけで笑顔になったのは良いことだな」


 バカにしたつもりはないのに尻を蹴られた。担任の教師が静かに教室に入ってきたのを合図に上秋も席に着き、退屈な授業が始まる。


 一限、ニ限、昼前と進むにつれ、生真面目な生徒と気の抜けた生徒の差が見えてくる。どんなに誠実そうで優秀な人も、興味のない授業を淡々と進行されると頭が重くなるようだ。チラッと上秋の方を見ると堂々と寝ていた。先生が教科書で頭を叩くのもこれで何度目か。


「じゃあここ……砂波。答えてみろ」


 先生からご指名が入り、教科書と黒板を目で行き来する。うんと口の中で呟いて、とても正直に答えた。


「聞いてなかったのでわかりません」


 先生の深いため息が聞こえ、上秋が肩を震わせて笑いを堪えていた。





「いやー、お前もよく言うわ。肝っ玉というかさ、普通ははぐらかそうとするのをバカ正直にさぁ」


 昼休みに入ってからというもの購買で買ったカレーライスを置いてずっと笑っている。笑いのツボに入ったというよりはお気に召した感じだ。俺は塩パンを口にしながら早く食えと指で示した。


「バカ正直な方が無駄に面倒なことを避けれるしな。上秋は焦るとごまかそうとするから厄介になる」


 どうも納得していなそうな表情をされるが逆に堂々としてやる。すると上秋の肩を叩きながら中林が弁当を持って登場した。


「やあやあ盛り上ってるねー。混ぜて混ぜてー」


「毎日混ざってるだろ。クラス違うのにご苦労なこった」


 近くの空いてるイスを勝手に使って中林は弁当を広げた。毎朝手作りしているというその中身は見るからに栄養バランスが良さそうで、毎日塩パンの俺や好きな物しか食べない上秋とは大違いだ。そしておかずの中からほうれん草の胡麻和えが入った紙カップを、上秋が食べようとしているカレーの上にひっくり返した。


「野菜食えー!」


「あぁっ、お前っ! よりにもよって嫌いなほうれん草を!」


 二人がワイワイしているうちにパンを食べ終え、巻き込まれないようにする。


「まあまあ、このジュースをあげるので許してね」


 どこに持っていたのか炭酸ジュースをくれた。当人はニコニコしているが、中林がこうやって物をくれるときは何か企みがある。しかも俺にもくれるあたり、嫌いな物を食べさせる上秋への謝罪だけではなさそうだ。


「このジュースを受け取らない選択肢もあるか」


「さなみん? 友人の親切心は素直に受け取るものだよ?」


「親切心が対価のあるものだとは知らなかった」と言いながら受け取っておく。缶のタブを開けると炭酸の抜ける音がして、特に事前に振られているという事もなかった。さすがにそこまで子供っぽいいたずらはしないか。


「開けたね~? 開けたってことは、もう返せないね~?」


「いいから、早く要件を言え」


 ノリの悪い返事に不満な顔を隠さず、ご飯を飲み込んでようやく本題に入った。


「放課後にコンピューターアート部の幽霊部員を召喚する供物なの。園継(そのつぎ)ありさ部長直々の召喚命令。おっけー?」


 コンピューターアート部。デジタルイラストを描いたり立体のコンピューターグラフィックを用いてアートを創造する現代的な部活だ。実のところ俺は全く興味がない分野だが、先生への点数稼ぎの名目で中林に誘われて入部した。それが今年の夏休み明けの九月だが、実際にはこの三ヶ月間で片手で数える程度しか顔を出していない。部員は俺を含めて四人。他の三人は俺と違って真面目な部員だ。


「年末に品評会でもあるのか? この感受性とか無さそうな砂波の絵、見てみたいけど」


「なんかねー、部長の個人的な話しらしいよ。活動しろってことじゃないんだけど……こうなると余計気が乗らなくなりそうというか……」


 まったくその通り。気ままで無遠慮な園継先輩が用事とは、どうせろくなことがない。自腹を切ってジュースを買った中林の労力を無下にすることもかまわないと考えている。はっきり断ろうとしたが、反対の考えもよぎった。もし行かなければもっと面倒になるのではないかと。様々な可能性を予想する中で納得し、ジュースをいっきに飲み干す。


「炭酸だぞ……おい」


 普通に引かれてる気がするがまあいいだろう。


「非常に不服だが、行く」


 中林は小さく手を叩き、上秋は感心したように頷く。


「よく言った。それでこそ我が友だ。褒美としてこのカレー味のほうれん草を……」


「こらぁ! あっきー!」


「いい加減食べろよお前ら」


 口を開けば延々と雑談が尽きない奴らだった。




 別棟に置かれているコンピューター室。かつては一人一台のパソコンで行われたらしい授業はグループで一台となり、授業もディスカッション形式が主となっている。しかし部活動という環境では使いにくい配置をされており、六台のパソコンがあるものの頭の固い教師により使用可能なのは三台のみと厳格に言いつけられている。


 廊下からガラス越しにコンピューター室を見た。中にはイスに座って話している二人、中林と園継先輩だ。女の子同士仲睦なかむつまじく会話をしている間に割って入らせてもらう。


「来たな、砂波。どうせ来ないと思って寮まで詰めようとしていたところだ」


「家宅捜索風と借金取り立て風のどっちがいいかなーって話してた」


 卑劣な企ての的にして仲良く話して盛り上がっていたとは、なんだか遊ばれているだけの気もしてくる。俺が肩をすくめたのを返事と受け取ったのか、園継先輩は背もたれに体重をかけて、リラックスというよりは偉そうにしているだけように見える態度で俺に手招きした。


「部活には関係ない話だが、実は君に会って欲しい友人がいてな。どうせ時間あるだろう?」


 また始まった。この人の悪い癖で、とにかく物言いが身勝手で強引だ。友達とかいたんですね、みたいな言葉がとっさに漏れそうになるが、ここは耐えてシンプルに答えた方が吉だ。こちらがネチネチ言い返しても会話は好転しない。


「時間があるのとその友人と会うのは別の話です。まずは会ってどうするのかを聞いてから返答していいですか」


「ああ、その友人は古谷(ふるや)水樹(みずき)という女性で、高校三年生。君の一つ上だ。名前を知っているか?」


 一瞬だけ黙考する。


「さなみんは人の名前とか憶えてないでしょ」


「……その通りだな。いちおう、聞き覚えもないから知らない人だと思います」


 俺の返答に園継先輩は軽く頷き、さらに続けた。


「その友人の個人的な事情もあって詳細は話せないが、砂波によく似た人物の写真を持っていてな。私もそれを見させてもらったが、本人にしか見えないほどよく似ている。その写真の人にまた会いたいと彼女は言っているんだ。私は古谷からその男性の話を聞いて、そんなに人が良くてまた会いたいと思うような人物なら砂波ではないと助言したんだが……」


「余計な事言わないでもらえますか」


 人の悪口を言うのに抵抗とかないのか。しかしこの先輩の友人として付き合える人はどんな聖人なんだ。


「こういう話し方をしているが、古谷本人からするとシリアスな頼みだ。代わって私からもお願いする。実際に会ってくれ、頼む」


 そうは言うが園継先輩は偉そうな姿勢を崩さないし頭も下げない。どうせそういうプライドだろう。これが先輩の用事であれば間違いなく断っているが、いろいろな事情が古谷にはありそうだ。しかもそれに俺まで関わっているかもしれない。とりあえずほんの一日だけ、写真の人物が俺なのか否かがわかればいい。


「なあ中林、砂波が決断できるように背中を押してやれないか?」


「え!? う~ん……興味ないしなぁ」


 昼にバカ正直な方が面倒を避けれると言ったが、言われる立場として間違いではないだろう。心象が最悪なものになってもよければ。

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