2話
コンピューター室から見える空は憎たらしいほどの晴天だ。気持ちのいい日ほど日光が厳しくなるし、雨が降れば湿度が上がって不快指数が高まる。ろくでもない季節だなと、冷房という現代の利器が効いた部屋で現実逃避する。
目の前にあるパソコンの画面には雲より白いデジタルキャンバスが映し出されており、そこに何か光明を差したいのに、厚い雲がかかっているのは僕の頭の中だった。目を閉じ、閃きという光芒を探す。記憶を掘り起こしていい題材を探してみる。中林が俺のイスの背もたれを左右に揺さぶる。
「なんだ、うざったいな」
「ふゆっちはつれないこと言うねー。なにもしない日は暇なの」
教師から使えるパソコンは三台までと言われているから、全員揃う日は一人あぶれる。だから今日、パソコンを使えない中林は皆にちょっかいをかけて時間を潰しているのだろうが……。
「おい、ふゆっちってなんだ」
「津原冬人君、下の名前の冬からとって、ふゆっちだね」
「成り立ちは聞いてない」
中林が砂波と高名をあだ名で呼んでいるのはよく聞くが、自分までそう呼ばれるのはなんというか恥ずかしい。
「いいじゃん。呼びやすいんだし」
「冬人でも津原でも呼びやすいだろ……ちょっと長くなってるし」
「もー! そういうものじゃないの!」
自分は人をあだ名で呼ぶ習慣がないから理解できないが、語感がいいのだろうか。
「そうそう、今度さなみんが入部するってさ」
聞き間違いをしたと確信して中林に聞き返す。
「誰が……入部するって?」
「さなみん、砂波季之。記憶無くした?」
自分の耳は全く正常だったようだけど、それはそれで驚くじゃないか。人らしい感性を母体に置いてきたようなあの砂波が、感動という単語が琴線に例えられるほど繊細な感情であることをフィクションだと思っていそうなあの砂波が、芸術系の部活に入るだと。
「ああ、たぶん記憶をすり替えられてる。俺の知ってる砂波は絵をインクの塊だと思ってるから」
「惜しいっ! 前は色の集合体って言ってたよ。だからそのさなみんで合ってるね」
言ってること変わらないだろ。あいつに絵の持つバックボーンなんて読み取れるのか。それも描く側になればインプットとアウトプットが両方必要になる。砂波にはそのどちらもないだろう。
「まぁ、普段の態度良くないから内申のために入ればいいよーって言ったの。最初は渋ってたけど入部を決めてくれたよ」
何かしら考えはあったか。純粋な美術の興味に目覚めてくれてたら面白かったのに、そんな理由ならやる気は全くなさそうだ。
「そんなわけで新人が入るから、先生よろしくね~」
一年生の時は僕が中林の先生をして構図とかを教えたことがあるけどまたやらせるつもりだ。どうせ先輩みたいに余計な気を回してるんだろうけど。
「そうやって引き合わせないと不安かな。もう高校生なんだし、中学のときみたいな喧嘩はしないよ」
中林はなんの不満か、手を顔の前で降って否定のジェスチャーをする。
「ふゆっちが一方的に怒ってただけね。それは喧嘩とは言いません」
「……ごめんなさい」
砂波が怒ったところは見たことがない。そもそも機嫌を損なっているところも悲しんでいるところすら見たことがないのに、ほんの少しも聖人君子ではない。まるで虫も殺さぬ大人しい顔をして人が傷ついたり悲しむとも知らないようなことを言い出す、人の形をしたロボットみたいな男だ。
人でありながらまるで人に思えない、人に造られた人間である僕は周囲に疑われたこともなく、本当にそんなフィクションでしか聞かない存在なのか自問自答で苦しむのに。考えるだけで胃がむかむかする。
パソコンにまた向かう。気分を変えるためにネットを開いて名画と雑に検索した。人生で一度は見たことのある絵画が次々と表示されていき、淡々とスクロールを始めると中林は立って園継先輩の方へ行った。これで心置きなく集中できる。人に見られながらの作業は恥ずかしくてやり辛い。
しばらく画面を眺めるだけの時間が過ぎる。頬杖をついて瞼も重くなってきた頃、反対側に座る諌野が僕の様子を伺っているのが視界に映った。
「どうした?」
声をかけると諌野は控えめな声量で答えた。
「ちょっとお聞きしたいんですけど……いいですか?」
また先生役だ。今日は藤橋先生がいるが、先生は美術知識は勉強中らしく、暇つぶしで読んでいた本で学んでいた僕の方が詳しかったりする。そんなわけでずっと白紙な自分のキャンパスをようやく離れて諌野の隣まで歩いた。
「これなんですが……」
画面を見ると無機質なコンクリート打放しで建てられた背の低いビルを正面から捉えている。そして画面下方、主観視点と捉えれば手前側に見切れて映る道路が左端から右端まで真っ直ぐ伸びている。ぱっと見はただの街中を平面的に映しただけだが、諌野の器用なところで、GIFアニメーションを使って短い動画にしている。それによって動かない建造物を主軸に通りを慌ただしく行き来する人が上手に対比されてるように見える。
「おお、また凄いの作ってるじゃないか! 前は地球だったけど、今度も動画なんだな」
諌野は恥ずかしそうに小さく息を吐いて笑った。
「はい。デジタルですから、静止画に囚われたくなくて……でも、ちょっと思い通りにいかない部分もあって……」
そう言って片手サイズのメモ帳を取り出した。その小さな文字を読めるほど目は良くないが、ページが真っ黒に見えるほど書き込まれている。
「えっと……動かない建物を大写しにして、その画面外で大事件が起きている……という設定にしたいんです。でも画面に映らない部分を想像させるにはできることが少なくて」
自分が対比と解釈したところはその通りのようだ。そして改めて画面を見る。GIFアニメーションのコマ数が少ないのが良い働きをして慌ただしさは出ているものの、そこに映っている人は小さく、何をしようとしているのかは読み取れない。おおよその問題点は把握した。
「なるほどね。大事件を表現するのにコマの少ないアニメーションは良いアイディアだな。俺ならまず思いつかなかったよ。建物に動きがないのも画面端の人の動きに目を向かせる効果があって良いね」
褒めながら改善策を考える。いくらなんでも僕に専門の大学生やキュレーターに並ぶ知識はないが、自分の記憶を掘り起こしてこれという前例を探す。
「ちょっと来てくれ」
僕は自分の席に諌野を連れて戻り、名画の検索結果を表示させたままのページから形而上絵画とシュルレアリスムの作品を探した。これらはわかりやすく見ている人に不安を感じさせる。
「あったあった。このページなら……うん、沢山載ってるね」
サイトを開くと明らかに現実では存在できない遠近感の乱れた建造物や、不気味な人のような姿をしている存在が描かれた作品が並ぶ。これを夜に見たら夢に出そうだ。
「作品は見た事ありますが……意図を探ろうと思うと難しいです」
「そうだよな、僕もよくわからないよ。これは形而上絵画と呼ばれていて、形而上っていうのは形のないとか超越的なものって意味なんだけど……ここまで大丈夫?」
まず高校生が習うものではない内容だ。普通の人なら結論だけお願いされそうな話だが諌野はついて来ようとしてくれる。まずその姿勢だけでも、説明している側からすれば嬉しい。
「精神的なものですか……?」
「そうっ! そんな感じ。精神とか心理みたいな話なんだけど、細かいことは一旦いいや」
僕も哲学とかは詳しくないから誤魔化しておいて、諌野の淀みのない頷きを確かめてから続ける。
「形而上の意味は置いといていいや。重要なのはなぜこれが不安に感じるかという部分だね」
作品群の中から風景画(と呼ぶが現実離れした風景が描かれているもの)をピックアップする。本だかネットだかで読んだ受け売りの解説をする。
「これだと人が写ってないことや、建物で大部分の隠れた銅像っていうのが不安を煽るんだって。遠近法に則らない書き方も不気味さを出しているらしい」
「はい……何となく感じます。こっちにも書いてますね……黄昏時の長い影が画面の寂しさを助長する、と。真似してみますか?」
「難しいことだけど、ただ同じことしてもパースの狂った動画になって技術として認識されないと思う。活用するものを慎重に選んだ方がいいだろうね」
白紙のキャンパスを画面に表示して諌野の作品のように中央に直線を描くツールで簡単に建物を描く。そして画面下に道路も描いた。これでおおよそのイメージを捉える。
「素材は充分だ……後はどう意図的だと思ってもらえるか……」
二人で考え込む。多少の力添えにはなったかもしれないが、実写や動画はまったく門外漢だ。これは普段から動画投稿サイトとか見てそうな中林なら、知識は無くても僕より目が鍛えられている可能性を追える。
「呼ばれた気がしたよ!」
「まだ呼んでねえよ。何感じたんだよ」
でも丁度いいので経緯を説明して画面構成を考えてもらう。
「なるほどね。全然わかんないね!」
「もう帰っていいぞ」
イスの背もたれを掴まれてぐるぐる回される。体が何回転しても頭は回らない。止まった時に得たのは軽い酔いだけだ。
「あぁ……ぐらぐらする……」
天井を見上げて回復を待つ。動いていないのに視界が回って気分が悪い。中林は僕を気に掛ける様子もなく、諌野の作品をちゃんと見に行った。
「ふむふむ。これって駅向こうだね。一回しか行ったことないなー」
ここの最寄り駅は西口と東口が主な玄関口となっている。学校に向かうときは暇そうなタクシーが待つロータリーから地平線が見えそうなほど真っ直ぐ延びる目抜き通りのある西口から出る。中林の言う駅向こうとは反対の東口、行ったことはないが再開発が進んでおらず寂しい雰囲気が漂っているらしい。聞いた話では、過去にうちの学校の生徒が東口にある怪しいお店の客引きに遭ったことが問題となり、以来警察の巡回の強化され、問題のあるお店も摘発されたのか治安はかなり改善されているとか。
「そうですね。友達とイヤホン買いに行ったとき、ついでにスマホで撮ったものです。画面で動いているのがその友達ですね」
「あっちはおっきいお店あるもんねー」
スマホのカメラも目覚ましい進化をしていて、大きな画面でもけっこう綺麗に見れる。レンズも二つ三つ付いてるのが主流になっているし、SNSに触れている女子はかなり使いこなしていそうだ。なんて考えていると酔いも回復して視界も戻る。
「ん……? 視界……レンズ……」
レンズはカメラにおける視界だ。たしかスマホのカメラを起動すると複数搭載されているレンズからどれを使うか選べたはず。名案を思い付き、その拍子で膝を叩いた。
「わっ、びっくりした。立ち上がってどーしたの?」
勢いだけで思わず立ち上がり、冷静になって座り直す。だがこの発見による興奮は冷めない。
「つまりはレンズだ! レンズは光の屈折だかを利用して焦点距離とかいうのを決めて、遠くにあるものでも近くに写すだろ。だから魚眼レンズとかを使えばあえてその画面構成であることを見た人に伝えつつ、遠近法や透視図法を崩せる! ああ、こんな使い古された簡単なことを思いつかなかったなんて……」
知識だけはあったのにまったく思いつかなかった。目を回したのと違う意味で眩暈がする。気持ちを落ち着けてから二人の反応を伺うと、どういうわけか若干引いていた。
「その透視なんちゃらはわかんないけど、解決? テンション高いし大丈夫そうだね」
「そうですね……まぁ、撮り直すの私なんですけど……」
不満ではなさそうだが熱意が違い過ぎる。おかしい。これは二人にコロンブスの卵と同じことだと言って聞かせないといけないか。息まいた瞬間に先生が手を叩いた。
「話はまとまったみたいだし、ちょっと早いけど今日はここまで。はい、パソコン落としてー」
そういえば先週の帰り際に、先生は用事があるから終わりが早くなると言っていたな。今日はことごとく出鼻を挫かれる日だ。
「もう終わりなんですか!?」
「先週言ったでしょ!?」
「あ……そうでしたっけ?」
「なんで覚えてないのぉ……」
頑張れ先生、気持ちはわかる。いつか中林が先生をあだ名で呼び始めたら僕が叱ってあげよう。そんな哀れみを抱いて部活は終わった。




