1話
八月十九日 月曜日
汗が顔を伝い、顎から地面に落ちる。コンクリートは太陽の熱を吸収し、靴を貫通して足を痛めつけてくる。人の往来が全くない道を歩いて耳につくのはやかましいセミの鳴き声だけだ。
「暑い……クソ、なんで学校なんかに……」
もう文句を言うのすら辛い。夏休みももう少しで終わるというのになぜ毎日のように学校に行かなきゃいけないんだ。やっと校舎内に入ったが、きっと先生達は職員室で涼んでいるのだろう。
「お、部活か?」
廊下でバインダーをうちわ替わりにして仰いでいる担任が、すれ違いざまに話し掛けてきた。
「そうですよ。コンピューターアート部です」
早くコンピューター室に入って涼みたいから何も言うな。と、テレパシーで先生にわからせたかった。そんな超能力はもちろん持っていないので先生は立ち止まって平然と喋り始める。
「そうか、あの部だったな。女子ばかりだし、いろいろあるだろ?」
「ええ、まあ……」
実際、部員は自由奔放な面々だ。軟弱な先生をオモチャにしていることもある。悪意がないのはわかってるけど、それを良い所で止める役割を当然の如く任されてしまっていた。そういう意味では先生の言う通りいろいろある。
「暑いから身体に気をつけろよ。コンピューター室なら冷房あるけど、油断しないで水分は摂れよ」
「はは……はい」
窓が開いていない、熱気の籠った蒸し暑い廊下でそれを言われても乾いた笑いしかでない。気持ちの面で乾いているだけでなく、もちろん喉も乾いていた。頭の中の地図で自販機の場所をマークする。
「藤橋先生も、コンピューターアート部で安心して信用できるのはお前しかいないんだと言っていたからな。期待に応えてやれ、津原」
どうして僕が部活を背負うような立場を負わされるのか。他のメンバーが藤橋先生を困らせているからだろうけど、正直バランサー的な役割はお断りしたい。
担任は自分が受け持っている吹奏楽部の練習に向かうため、「じゃあなっ」と短い言葉で別れた。さて、僕も厄介な人たちに会いに行かなくてはならない。
自販機で飲み物を買ってから特別棟に入って二階に上がる。コンピューター室の扉を開けるとひんやりした風が廊下に流れて心地良い。中にいる女子たちは仲良く騒いでいて、部活というより友達の家で遊んでいるかのようだ。冷気が逃げないようにすぐ扉を閉めていつもの席に向かう。
「これで全員集合だな」
入口から一番遠くの席に、上座のお偉いさんの様にふんぞり返る園継先輩が声を発した。それを合図に中林と諌野の談笑が止まる。
「暑い中ご苦労、今日呼んだのは他でもない。夏休み期間に各部活が校舎の草むしりを担当することになったため、今日は緊急ミーティングを行う」
別に活動日だから来ただけで呼ばれてないし、ミーティングするほどの内容とかないだろう。しかしこういう『役』に入った先輩の口はよく回る。言葉の節々にある偉そう感だけ注意してくれれば、弁が立つ人だと感心できるようになるのにもったいない。
「夏休み前から決まってた行事に緊急はないでしょー」
気だるそうに中林が声を出す。
「ミーティングは緊急だ。なぜなら私が昨夜考えたばかりだからな」
その草むしりは学校の一定の区間を掃除するだけの行事だが、なにかミーティングが必要なことがあるだろうか。しかも、昨日思いついて今日に緊急と称する何かが……。
「えと……チーム分けを決めるんですよね。確か担当箇所が複数あるので、事前に二人一組を決めるって友達が言ってました」
それだけかよと出かけた言葉を飲み込む。控えめながら真実を教えてくれた諌野を威圧してはならない。
「そうだ。だから組み分けを決めておいた」
「えっ! 話し合いとかないんですか!」
「少人数なんだ。気の合わない仲でもあるまいし、話し合いをしても無駄に時間をかけるだけだろう。だから文句があるなら全て私が受け持つということで良しとしてくれないか」
先輩の堂々たる返答に中林は勢いを削がれて口を閉ざし、珍しく大人しくなった。
「他に質問はないか。津原」
まったく心の準備をしていないときに名前を呼ばれて体が跳ねるほど驚く。咳ばらいで取り繕いながら、何か一つでも考えてみる。
「そうですねぇ……作業するのはこの四人だけですか?」
部員の数は四人だが、これは他の部活よりとても少ない人数だ。チーム分け二人一組がたった二組しか作れない。それで分ける意味があるのかは質問しながら疑問に感じた。
「当日は助っ人を二人呼ぶ。お前らもよく知ってる二人だ」
「もしかして……さなみんとあっきーですね!」
ご名答らしく、先輩は頷く。なるほど砂波と高名か。高名はこの暑さで動けるとは思えないし、砂波も面倒ごとは嫌いそうだ。この人選は明らかに間違いじゃないかと思う。
「本当に来るんですかね。あの二人はめんどくさいって思ったら梃子でも動きませんよ?」
彼らの性格を理解していれば自明の理だ。ということは先輩には二人を連れ出す算段があると考えて良さそうか。物で釣るなり脅迫するなり、頭を下げる……は絶対にないか。とにかく何かしてきたと期待しよう。
「ときに、ぬりかべの話しは知っているか?」
また知識自慢のようなフェーズが始まったぞ。中林と諌野はなんのこっちゃみたいな表情で黙っているから、昔漫画か何かで読んだ僕が答えよう。
「ぬりかべは突然道に現れて行きたい道を通せんぼする妖怪ですね。どかせないし、壁がどこまでも続いて避けることもできないという邪魔するだけの存在です。対処法は足元を棒で払うとか、その場で座って一服すればいいらしいですよ」
「出た、得意な話だけ早口になるやつ」
「き、聞かれたから答えたんじゃないかっ」
せっかく自慢できる話になったのに中林に邪魔される。普通披露することはないと思っていた知識が思わぬところで役立つと恥ずかしながら得意げに感じるものだから、最後まで気持ち良いまま終わらせてほしい。
「ご苦労。人数が少ないこの部活で、あと二人くらい参加させられないかと藤橋先生に頼まれた私は砂波と高名を誘うことに決めた。人間関係を考えれば適任はあの二人だろう。しかし、私が知る限り最も拒否するのもあの二人だ。進みたい道は向こうにあるのに、決して動きたくない硬い意志を持った二人はまさにぬりかべの如くだった。そこで私は妖怪ぬりかべと同じ対処法をとったのだよ」
細身な二人がぬりかべに例えられているのは面白い比喩だ。しかし対策まで真似るとは驚いた。そこで中林が指を鳴らして答えた。
「足払いですか」
「そっちじゃない。その場で座して時を待っただけだ」
「わぁ、めっちゃ迷惑ですねー」
きっと何度も断っているのに我が物顔で部屋に居座られたりしたんだろうな。悪質な営業だったら通報できたろうに、普段から関りがあるばっかりに、より悪質な行為になっている。
「さて、これから組み分けを説明するぞ。まずは諌野、私とだ」
「は、はい……よろしくお願いします……」
二つ上の先輩と組むことに表情から不安が読み取れる。無理もない、僕だって園継先輩は怖いのに一年生の目線では閻魔さながらだろう。
「中林は高名と組め」
「やった! 先輩わかってますねー!」
そこは特に仲も良いし嬉しいだろうな。問題なのは俺が組む相手だ。
「津原は砂波と。大丈夫だな?」
「……善処します」
先輩は僕たちの仲があまり良くないのを知ってて……いや、知っているからこそ組ませているのか。嫌がらせとお節介は紙一重だ。
「砂波の性格で嫌う部分があるのは同意見だ。人間なのだから好き嫌いはあるだろう。私は無理して仲良くしろとは言わんが、嫌いな側面だけ見ていたら好きになれる側面を見逃すだけだと思うぞ」
教師か親のような説教の受け止め方がわからなかった。先輩の言っていることに言い訳のしようがないのに、自分の中の嫌いという感情を正当化したい思いが渦巻いている。
「べつに……嫌いじゃないですよ。嫌いじゃ……好きにはなれないだけで」
自分に嘘はついてない。ただの一度も砂波が嫌いだと思ったことはない。
いや、やっぱり嘘だ。嫌いなことは沢山ある。でもそれで砂波の全てを拒絶してやろうとしたことはなかった。先輩の言う人間なのだから……それは本物の人間には使える言葉なのかもしれないな。
「えーと、皆もう始まってるかな……?」
こちらの話題で気づかなかったが、藤橋先生が静かに扉を開けて入ってきていた。今日は真夏日だというのにシャツもネクタイもキッチリしていて、見ているだけで暑くなる。もちろんクールビズの期間でネクタイは外していいらしいが、ちゃんと締めている方が気が引き締まるらしい。そんな先生に話し合いの顛末を伝える。
「先生、草むしりの組み分けは終わってますよ。高名と砂波が参加するのも聞きました」
「ええっ! もう終わってるの!?」
きっと先生という立場でいろいろ考えてから来てくれていたのだろうけど、いつもの園継先輩の独走によってまた可哀想な目に遭った。
「まあまあ。先生の役割もありますから、今日は居てくださいよ」
先生をからかう女子にフォローする僕。こういうことを続けるから担任に信用だとか言われたんだろうなと思い出してしまった。




