4話
到着した家は汚れの少ないベージュの壁と屋根のソーラーパネルが真新しさを感じさせた。車庫の奥に自転車を置いてきた舞が戻ってきて玄関を開けてくれる。
「お邪魔します」
中に入ると自動で電気が点いた。最新の家はこれが標準装備なら便利だろうな。靴を脱いで隅に並べる。先にいる舞が玄関からすぐ右手の明りが点いている部屋の扉を開けて、手で俺に入るように誘導してくる。きっとここに人造人間を造ったという舞の父がいるのだろう。
キッチンとリビングが繋がった広い部屋を白色LEDが眩しいほど照らしていた。大きな掃き出し窓の傍には、背の低いガラステーブルを挟むように高そうなソファが置かれ、部屋の入口付近には食事に使うのだろう腰ぐらいの高さの木製テーブルと四脚のそれぞれ種類の違うイスが配置されている。そしてキッチンにコーヒーを淹れている男性がいた。
「いらっしゃい。ちょっと待ってね。あと二分二十秒かけて抽出したいんだ」
太く黒い縁の眼鏡をかけた若く見える男性だ。高校生の子供がいるのだから低く見ても四十代手前くらいだろうが、丸い顔に皺が少なく二十代後半にも見える。
「あっそうだね。座っていいよ。イスでもソファでも……ソファにしようか。それ、けっこう良いやつでね。せっかくだから横になってみなよ。ハハッ! 冗談だけど、ほんとにやってもいいよ。自分もたまに寝ててね、ベッドにもお金かけてるけど、遜色ない寝心地じゃないかと思ってるんだ」
手元のコーヒーから目を離さないまま、抽出器具にお湯を注ぎながら一方的にまくしたてられた。とりあえず勧められるままにソファに座る。体は浅く沈み、体重のかかる部分をクッションがサポートしてくれるような感覚だ。確かにこれで寝たら気持ちいいだろう。
「北欧のアンティーク風だよ、北欧風のアンティークじゃなくてね。そのブランドはシンプルなデザインが多くてね、イスとか机も揃えちゃったんだ。気に入ってくれるかな? それとも季之君は興味ないかな?」
突然名前を呼ばれた。しかもなかなか呼ばれることのない下の名前だ。事前に園継先輩が教えていたのだろうか。ソファから視線を向けるとちょうど片付けを始めたところで、二つのコーヒーカップを木製のトレーに乗せて運んできた。
「ごめんごめん、コーヒー飲めるか聞いてなかったね。つい癖でブラックしか用意してなかったよ。園継さんから話はある程度聞いて、君みたいな人ならブラック好きかなって推理してみたんだけど」
「ええ、ブラックで大丈夫……です」
自分の返事を挟む余地もないお喋りの乱打にたじろぎつつ、やっと一言返せたと同時に、たしかにこの人は園継先輩が苦手そうなタイプだと思う。先輩は自分の聞いてもない話を延々と聞かされるのが耐えられないからだ。
「それは良かったよ。飲めないものを勝手に出して無理に飲ませたなんてあったら、園継さんに折檻を食らうだろうからね。知ってる? あの子けっこう怖くて……あっ、ごめんね。飲んでいいよ。なんか有名なお店のコーヒー豆なんだってさ」
手で示されるままにコーヒーを飲む。飲んでいる間、顔をじっと見られるので「美味しいですね」と味の良し悪しもわからないのに建前を立てておいた。
「ありがとう。いつも一人で作って飲んでいると他人のリアクションも気になってね。言わせたような部分もあるだろうけど、そう言ってくれて有難いよ」
もう一口コーヒーを飲んでも二人乗りの自転車を漕いだ後に飲むにはどうも水分量が足りない。
「すみませんが……水かお茶を頂けますか。ここに来るまでに少し疲れてて」
「ああっ! 僕としたことが配慮できていなかった! すぐに用意するよ」
配慮できていなかったついでに、慌ただしくキッチンに向かう背中に向かって追い打ちをかける質問した。
「それと、まだお名前を聞いていませんが」
「あぁっ!」またもや冷蔵庫の前で大声を上げた。「コーヒーを飲んでもらおうとしか考えられていなかった。無神経でごめんね」
そうして二リットルの水のペットボトルと透明なコップを俺の目の前に置いてくれる。
「では改めて……舞の父の、諌野克己といいます。敬語はもう使わなくていいよ。その歳でしっかりしてるけど、しっかりしすぎだね。タメ口で話してくれると楽だな」
表向きにそう言っているだけかもしれないが、敬語を使わなくていいならその方が楽なのでタメ口にしよう。それに克己さんのしゃべる量に対して敬語を使おうと頭を回転させると会話が間に合わない。
「わかった。こんな感じで良ければ」
克己さんは何度も笑顔で頷く。
「うんうん、それでいいとも。古谷さんのことを聞きに来たのなら、あの結末を防げずに君に大変な役割をさせてしまったような、無力で無責任な大人を相手にへりくだって話す必要もないさ」
過剰ともいえる自虐的発言からは克己さんの精神的な疲労が垣間見える。
「責めに来たつもりじゃない、納得したくて会いに来たんだ。あの二日間から今日まで、俺には古谷の身に何が起こっていたのか理解できないまま……なにが起こっているのか整理する前に目の前で古谷は飛び降りた。まずは古谷があなたと会ったときに何を話したのか聞かせてほしい」
さっきまで止まらなかった口が嘘のように動かなくなり、口が寂しいようにコーヒーに口を付ける。話す事、話すべきでない事を分けているのか、顎をしきりに左手で触って考えている。故人とはいえ古谷のプライバシーがなくなってはいないのだから慎重にもなるだろう。
「古谷さんが来たときは、帰る場所を失ったから住む場所を探すか住まわせてほしいってことだと思い込んで、そんな話しをしていたんだけどね。徐々にどうやら自分が思い違いをしていて、古谷さんはそれを悟られたくなさそうだと気づいたんだね」
そこで言葉は切られた。古谷の胸中にあったのはおそらくたっちゃんのことだろう。克己さんがそれを聞いたのかどうか、なかなか話す気配がない。
「古谷がなにを隠していたのか、知ってるか」
やはり克己さんは無言で首を振った。古谷はたっちゃんのことを相談しなかったのか。いや、相談したところでどうするつもりなのか、ということだろうか。しかしあの藁にも縋るような古谷の様子であれば、期待はしていなくても話しはしていそうなものだ。
「こうなるとわかっていれば聞き出していたけどね……いや、どうかな。聞いても変わらなかったかもね。季之君はなにか聞いていたかな?」
俺は正直に答える前に古谷が話していない理由を考えた。たっちゃんのことを克己さんに対して隠す理由はなかったはずなのに、それを伝えることができなかった。昔の恩人の話をするだけでなにか不都合があったのか、それとも、聞かなくてもわかることがあったのか。
「気がかりなことはあったが、教えられないな」
「へぇ、ごまかさないんだね。知らないと言っても良いんだけど、まあまだ信用できないと言われたらそれまでなんだけどさ。とにかくそれがはっきりしないまま、ここに住むことについては保留ということになったんだ」
「断られるわけでもなく、保留か」
答えを明確にしなかったのは命を絶つ明確な覚悟がまだ決まってなかったという意味だろうか。
「それについて考えるのは意味のないことだよ。心には決まっていたけど、それを僕に伝えられなくて曖昧な答えをしただけかもしれない。もし季之君が自分を責める必要を感じたら、そうさせた僕を責めなさい。自分に責任があると自覚できるなら大人だけど、高校生の君が払う責任なら、それはもっと歳を重ねた大人の仕事だ。心理学者でも精神科医でもない僕だけど、君が理不尽な事態に見舞われたときは僕に相談してほしい」
きっと克己さんが懸念するほど自責の念は感じていない。あの死の責任を真に受けていたら、俺はここに来ることができていないだろう。そしてその責任を真に受けていたら、俺じゃなければまともな生活は続けられていなかっただろう。
「俺は自分を責められるほど人間ができてない。ある程度は自己都合で事を捉えられるから、よく自己中心的とか利己的とか言われてる」
俺の言葉に克己さんは笑った。頑張って声を出すときの、息を多く吐く無理をした笑いだった。会話が止み、部屋に静けさが訪れる。そういえばこの広い家に二人暮らしなのかと考えた矢先、克己さんのポケットからスマホの着信音が鳴った。
「ごめんね、ちょっと……」
スマホを取り出しながら部屋を出ていく。とりあえずコーヒーを飲んで部屋を見回した。綺麗な部屋だ。白い壁に明るい色の家具は清潔感がある。気になったのは家族写真などは飾っていない様子なのだ。客人が入るこの部屋だけかもしれないが、そういう意味では家族という存在がこの部屋からは見えない。
「待たせたね。いやぁ、急に用事が入っちゃったよ。昔の恩人に急ぎの要件を言い渡されてね」
「仕事か」
「違うよ、個人的なものと言えなくもないかな。せっかく来てもらったのに申し訳ないんだけど……」
忙しくなったのなら仕方ない。まだ問いただしたいこともあるし、後日また来るしかないか。しかし、来るときにはすっかり頭から抜け落ちていた、重大な問題に気づいた。
「……帰り方を考えてなかったな」
どうやってここに来るかに気を取られてどうやって帰るかを少しも考えていなかった。行きの順路を振り返ってみる。歩きで帰れないこともないが、さすがに疲れそうだ。
「ここまではどうやって来たんだい? 自転車か何かだと思ってたんだけど」
「俺の使ってる自転車がパンクして、舞の自転車に二人乗りして来たんだ。だから歩きで帰るしかないか」
「二人乗り! 若いねぇ、羨ましいくらいだよ。僕はもう腰にきちゃってねぇ、舞を後ろに乗せたいけどもう無理だなぁ……その前に嫌がられるだろうなぁ……いやいや、それどころじゃなかったね。車で送るよ。その方がいいでしょう?」
もちろん楽な方がありがたい。二つ返事でお願いしようとしたら、克己さん自身が「ああ……いや」と制止した。
「一緒に来てみないかい。この要件は、今日君が来た理由である人造人間についてのものだ。明日は学校だろうから、興味があるならね」
明日は学校、でも自分の頭はそれどころではなかった。またここに来るのは面倒だし、疑問も中途半端では引くに引けない。この誘いは俺にとって渡りに舟だ。
「舞はどうしますか。一人にさせてしまいますが」
「恥ずかしい話、よく仕事で遅くまで一人にさせてしまっているんだ。今日は遅くはならないようにしたいけどね」
慣れはあるか。それならいいとは言えないが、俺が口を挟むことじゃない。
「わかりました。行きましょう」
自分でもなにをするのが正解なのか、それをしてどうなるのか、正に暗中模索だ。克己さんの用事も知らないのに着いて行って、その先で役に立つという思い上がりもしていない。それでもなにかが起こることは、なにもしないよりも断然に最近の鬱屈した状況を動かせた。
「車の中で聞かせてあげるよ。人造人間のこととか古谷さんのことでまだあれば……それに、一春さんの事もね」
「……」
克己さんがスマホを持ち直し部屋を出て行く。取り残された俺は、突然の知っている名前に時間が止まったような硬直をさせられた。それがどんな因果か、何のいたずらか、一瞬の白紙がそれまであった脳内の全ての思考を覆ってしまった。




