2話
校舎の渡り廊下を歩く。外を見るともう薄暗いのに運動部は元気に練習している。立ち止まって目を凝らすと、野球部員が照明の届かない場所でボールを探しているような姿が見えて、自分にあれはできないなと思うばかりだった。
「何見てんのー?」
中林が後ろから声を出した。俺が部室を出てすぐ、後を追うように帰宅を決めたらしい。
「そこの野球部。ボールを探してるみたいだ」
遠くからわずかに「早くしろー!」という怒号が聞こえ「はい! すみません!」とそこの野球部員が返事をした。
「意外に厳しいな。ここの運動部に入るなんて内申のためぐらいなものだと思ってた」
「人によるんじゃない? さなみんは知らないだろうけど、本気で全国大会行きたい人もいるっぽいよ」
人によるか。あそこの野球部員はボールを見つけたらしいが歩いて戻ろうとしてまた怒鳴り声が聞こえたし、部員ごとの熱量の差は大きそうだ。
「あんな様子じゃ無理だろ……とか、考えてない?」
「そこまで卑屈な人間じゃない……そう見えるか」
「見えるね、うん」
そう言われるだろうと想像はできても釈然としないものだ。日頃の言動がこれを招いているとすれば、自覚はあるが俺はけっこう嫌な奴だろう。
「……なんで今日は早いんだーとか聞かないの?」
外を見つめたまま考える。特に聞く理由も聞かない理由もなかったのが答えだった。
「最近秘密が増えたね。一昨日は知らない女の人と会って、今日はなんだか浮かない顔になって、そしたらまた先輩と内緒話して……」
「今は教えられないかもしれない。不服だろうが、話しても良さそうになるまで待ってくれ」
振り返ると中林は嫌な顔をしていないどころか笑っている。
「不服とか隠すなとか言うつもりじゃないよ? さなみんは悪いことも情け容赦なく言うくらい裏表無さ過ぎだから、秘密を作れるくらい人と仲良くなれないんじゃないかなって心配してたんだから」
気にかけてみれば人を舐めた理由だった。中林が心配になる通り、確かに俺は友達が少ないが、これから能動的に増やしていきたいとは考えていない。しかも園継先輩と古谷の秘密というのも親睦を深めた結果ではなく成り行きに近いものだ。
「実は俺って友達多くて傷つきやすくて、それを隠してるかもしれないだろ」
冗談で言ってみると中林は大笑いした。笑われてもいいけど、それはありえないと断言されてる気にもなるので内容は間違えたかもしれない。
「それでもいいんだよ! その実はっていうのが、今までさなみんから感じなかったから。そういう意外性があった方が人間臭いかなって思うな」
「俺は人間っぽくないか」
何となくの疑問を呟いた。「まあそうか」と一人で納得しながら。
「はは……そこまで言うつもりもないんだけどね。例えばさっきの野球部さん。あの人はやることやってて返事も良かったけど怒られてたね。ああいうのは人間味あるけど、さなみんはそういうのないじゃない? 嫌なら断って怒られたら自分の考えを言い返して、そうかと思えば面倒を避けて素直に言う事を聞いたりする。のらりくらりとしたら思いがけないところで相手の神経を逆撫ですることを言い出したりね。よくわからないなぁって思うよ」
「それなら俺以外でもそうだろ。人の本質とか何考えてるかが見通せる人間なんていない」
真っ当なことを言い返したつもりだが、中林は左手人差し指を立てて「ノンノンノン……」とか言いながら指を振った。
「一春はそうだったんだよ。あの人は全て見通しているようで、どんな相談も解決させちゃうんだ。相談なんていう答えのない難問を解決だよ?」
そういえば中学時代から中林は一春に憧れがあったらしい。一春が姿を消した直後は思い当たる場所を探し回り続け、夜に警察のお世話になって帰ってきたこともあった。それ以来教師にも釘を刺されて勝手に捜索することはなくなったが、いまだにその存在は心に残り続けているのだろう。
「聞いたことはある。上秋もよく相談相手になってもらってたな」
上秋の家の話というのは友達である俺も中林も聞かなかったのだが、一春にはそれを相談していたと聞いた。その内容までは聞き出すことはせず、上秋が俺たちに知られたくないと思うなら、知らずにいるべきだと決めた。
「私もああなりたいんだよ。一春は欠かせない存在だったから……私が一春の代わりになれるならなりたいんだ。だから沢山勉強して、心理学とか身体的特徴から感受性を推測する方法も調べて少しでも近づいたつもりなんだけど……」
中林は力のない笑顔になって視線が俺から外れた。
「調べるほどわからなくなったよ。たぶん、中学生だったのに人生経験から違ったのかな。私は普通の家庭で普通の暮らししかしてなかったけど、そう思ったら一春はどんな人生でどんな関りを積み重ねていたんだろうって……ちょっと怖くなった」
中林が歩き出して、俺は後を追う。明るくない話をしている時の中林は決まって顔を見られるのを嫌うから、横に並ばない程度にゆっくり歩く。
「だからさなみんもだよ? 一春とさなみんはどうしてもわからないの」
自分に疑問を向けられても答えようがなかった。わからないとは俺の何がわかりたいのか、どこまでわかれば『わかった』ことになるのか。
「俺のことも怖いか」
中林の歩くリズムが若干乱れて、こっちを向いて膨れっ面をした。
「だって昔の話してくれないし、聞かなきゃ自分の話ししてくれないし、聞いても話してくれないしっ!」
「いやそれは……」
「昔のことは覚えて無くて、話すことでもないんでしょ? 聞き飽きましたっ!」
参った。なんだかわからないが怒り始めたぞ。本当に昔のことは覚えてないし、本当に話してもつまらないことしかないのに、それ以上なにを言えば良いんだ。
「ふふっ、怒ってないよ。話したいときに話そう? 一春ならそうするでしょ?」
さっきまでの暗雲立ち込める雰囲気から一転、いつもの笑顔に戻って足取りは軽くご機嫌になっていた。
「……そうだな」
小さく呟いて並んで歩く。ありふれた言い方をすれば、人は誰かの代わりにはなれない。いくら中林が望んで一春を真似てもそれは中林自身の一側面でしかない。中林は頭が良いから俺が言うまでもなく理解しているはずだ。だから、憧れなんだろう。一春にも解決できない悩みがあった可能性に、盲目になれるくらいに憧れている。そして俺がこんな冷めた考えをしている事実を間違いなく見抜いていながら傍に置けるくらいに割り切れている。
「俺には中林のことも理解できないな」
中林は手を袖の中に引っ込めて暖を取り、垂れた袖で俺の肩を叩いて言った。
「だってさなみんは人に興味ないじゃん!」
「そうか……そうかもな」
自分から相手の話を聞き出したりしない。相手が話さなくなったら俺も話さない。そういえばそんな風にしてきた。これじゃ確かに他人に興味はなさそうだ。
俺が人に興味を持てて、より目の前の人を理解してあげようと思えたら古谷との関りも変わっていただろうか。あるいは、古谷は死なずに済んだのか。そんなものは結果論で、変えようのない事実だ。だが一つだけ可能性があるのは、俺はたっちゃんの代わりになってやれたのかということ。たったそれだけが古谷を救えた方法に思えてならなかった。
「それともなんですかぁ? 私のことを理解して、好感度上げようってつもりですかな?」
顔を覗き込むように身を屈めた後、「ははっ! 冗談冗談!」と大きく笑って軽くターンした。スキップみたいに小さく跳ねながら階段を降りる中林に、俺は空気を読めていないのを承知で質問した。
「もし、本当に一春の代わりになれたら……俺か上秋が中林のことを一春の代わりとして見たら満足するのか」
中林が両手を真横に伸ばしながら両足で一階に着地した音が響く。そのまま体操選手のように背筋を伸ばして両手をゆっくり上に挙げる。しばらくの沈黙が過ぎて俺も階段を降り、横並びになったときにようやく口を開いた。
「寂しい」
たった一言、誰もいない廊下で俺にしか聞こえない声量で言った。
「……寂しいか」
中林は手を下ろして、昇降口の方へ歩く。
「寂しいよ。私自身が必要とされたいもの。でも相手からしたら、中林じゃなくて一春みたいなこと言ってくれーって感じでしょ? 嫌だよ、そんなの」
上履きから靴に履き替える。雑に靴を履いた俺とは対照的に靴紐を結び直す中林を待ちながらさらに聞く。
「一春の代わりになりたいんだろ。そういう扱いをされたいんじゃないのか」
寮まで三分も歩かない距離なのに、わざわざ踵を潰さないよう丁寧に靴を履いて立ち上がる。
「わがままな言い方をするとね……私は一春の代わりになりたいけど、誰かに一春の代わりをさせられたくないんだ。あくまで自分の中の指針みたいなもので、それは誰かに利用されたくないのかも」
外に出ると乾いた穏やかな風が頬を撫でた。遅れて外に出た中林が俺の脇腹を肘でつつく。
「どーせ何言うか知ってて聞いてるんだから。意地悪だねぇ」
「さすがに知るわけないだろ。だから答えが気になったんだ」
仮に俺がたっちゃんの代わりになって古谷が俺をたっちゃんとして扱ったとしても俺は寂しいとは思わないだろう。俺と古谷はお互いに友人と言える距離感でもなかった。これではっきりしたのは、俺がたっちゃんの代わりになるというのは絶対にありえない事実だ。中林のように自分がその人を指針にすることができず、憧れもないどころかその人を知らないなら悩むだけ無駄だったに違いない。
明日、人造人間の製造者という人に会う前に一つの整理がついて良かった。ようやく古谷を、ちゃんと他人と割り切ることができそうだ。そう考えると中林は知らずのうちにとはいえ俺の悩みを一つ解決してしまったのだから、一春の代わりになるという本人の望みに近いことは叶っていそうだ。本人に伝えたら調子に乗りそうだから黙っておこう。




