1話
十二月九日 月曜日
園継先輩と古谷のせいで休んだ気持ちにならないまま学校に行く。こんなに気分が悪いことはなかなかない。上秋とした会話は上の空で授業はいつも通り頭に入らず、ぼんやりとした状態で時間が過ぎる。二日程度しか関わっていない古谷に対して強く感情移入したつもりはない。だが古谷が、他人の空似を上回る何かを俺に向けていたことを無視することもできない。最期に残された写真はまだバッグに入れているものの、まったく見ようとは思えなかった。
放課後になり特別棟の二階、コンピューター室に行く。中にはすでに舞がいるようだ。俺が扉を開けた音でこっちを向いて、パソコンに向き直ってしまった。いつもこうなので気にせず、適当な席に座ってパソコンの電源を入れる。
マウスを使ってフリーハンドで描ける落書きツールを開いた。雑に自分に見立てた人型を描いて、古谷に見立てた人型も横に並べる。そこで手が止まった。自分がここからどうしたいのかが浮かばないのだ。描きだしてみれば勝手に手が進むかと期待したが、知識も経験も無しには自分の内面すら掴みどころがない。こういう時のアドバイスを貰いたいが、話さない舞は聞くこともできないと、頭ばかり動かしていると誰かがコンピューター室に入ってきた。
「豈図らんや、珍しい顔がいるな。砂波、調子はどうだ」
園継先輩は俺の所まで歩き、顔をよく見てくる。
「体調はそれほど。良くも悪くもありませんよ」
「そうじゃない。何か描いてたんじゃないのか? せっかくここに来たんだから、そのつもりだろう?」
先輩はそのまま定位置の席に座る。それから俺と舞の顔を交互に見て言った。
「一緒に作業してみればいいと思うが……砂波相手は嫌か」
舞は困ったように声のない苦笑いで答える。
「適当なこと言って困らせないでください」
冗談ではあろうが、また人を困らせようとする。相手が俺でなければすぐに怒っているに違いないだろうが、舞に反応させる為だということにしよう。
「それで? 本当に部活動に励もうとしているのか?」
「……そのつもりでしたが、手につかないのでやめました。俺には向いてません」
自分の考えや気持ちというのは自分自身紐解けないところがある。しかしアートという分野は、俺の急所であるそこを直に突いている。上手くいくはずもないのかもしれない。
「ふむ、気持ちは理解できるぞ。私も自分の中の芸術が爆発していないときは同じ気持ちだ」
穏やかに口元を緩めて先輩は背もたれに体重をかける。視線は天井の方へ吸い込まれつつ話し続ける。
「向いているかどうかはね、さほど関係ないと私は思っているよ。必要なのは知識と熱量だ。砂波にそれはないだろうから、付き合い方を変えてみるのが良い」
「なんですか、それは」
感情も言葉もない物との付き合い方なんて考えたこともないし想像もできない。
「描こうと思ったのだろう? なら、その気持ちと目の前のパソコンは道具だ。都合の良い時に使って、その気にならなければ捨てる。向き不向きを言うなら、その付き合い方のほうが砂波に向いていると思うよ」
今まで園継先輩が俺に向けて部活に来るように催促をしなかった理由でもあるように聞こえた。いらないと思ったらなんでもすぐに捨てるのねと母親にも言われたことがあるから、先輩の推察はあまりにも的を射ている。
「うんうん。さなみんは中学校の卒業アルバムを捨てようとするぐらいだからね。やりすぎなくらい断捨離がはっきりしてるね」
コンピューター室の入口には中林が立っていた。早足に俺の隣に座る。バッグからタブレットを取り出したのでパソコンの前を譲っておく。
「さなみんが何かするならいいよ~? こんな機会なかなかないんだから」
「今は都合が悪いってことにしてくれ」
俺はイスに座ったままキャスターを転がして先輩の隣まで行く。
「目的は部活じゃないんですよ。例の会う約束、取り付けましたか」
昨日の人造人間を造った人に会うという話、その進展を聞きに来た。電話でも良かったが、気分を変えに部活に行ってみようと思ったのだ。
「ああ、それなら私の仕事の早さに感嘆するんだな。すでにアポイントメントは取ってある……なぁ、諌野」
突然舞に話しを振りだした。また困らせようとしているのかと舞の方を見ると本人は頷いて答え、状況を理解していないのは俺と中林のようだった。
「え、なになに? 内緒の話しですかー?」
当たり前に首を突っ込んでくる中林。本当のことを教えるのはためらいがあるので、俺は答えませんよと先輩の方を向いた。
「そうだ、内緒の話だな。私たちは明日いないから、顧問には上手く言っておいてくれ」
「ええっ! そんなぁ!」
先輩の十八番である強引な頼みの被害者がまた生まれた。顧問は怖くも厳しくもない人だが、嫌なものは嫌であるように顔を歪める。
「や、やだなぁ……そういうのはさなみんとかあっきーがいつも大立ち回りを演じるヤツじゃないですかぁ……」
「いつも横で囃し立ててるじゃないか。たまには主演の立場を譲ってやる」
断らないのは中林の人の良さか、それともたまには自分も同じ立場になろうという気持ちがあるのか。しかしうめき声を出しながら部屋の壁際までイスに乗ってタイルカーペットを滑っていく。
「さて青菜に塩となった中林はいいとして、なぜ諌野なのかという疑問もあるだろう。それは予想外であり単純明快な答えだ」
「勝手にハードル上げなくていいですけど」
「諌野の父上様が当の人物なのだ」
「あ、はい……そうですか」
ああも前振りされると逆に予想ができるというか。まあ血縁がどうあれ、会う人は変わらないのだから誰でもいい。明日までに聞くことをまとめておく必要がある。
「もっと驚いてくれ。なんのために今までひた隠しにしてきたと思ってる」
「べつに誰であっても、わざわざ驚くことでもないでしょう」
こういうのもつまらないと思われるだろう。案の定先輩は「味のない会話だ」と俺の座っているイスを蹴って元の席に押し返してきた。すると今度は戻ってきた中林にイスごと追突され、明らかな八つ当たりを食らう。
「いいけどね! 先輩には後で奢ってもらいます!」
「おお、それはつまり奢れば何でも言う事を聞いてくれるというわけだな」
「違いますっ!」
軽く笑いながら何度も揚げ足取りをする先輩とオーバーリアクションが板についた中林によって騒がしくなってきたところで、顧問の藤橋先生が苦笑いしながらコンピューター室に入ってきた。
「ははは……今日は賑やかだね。砂波君、久しぶり。たまには顔見せてね……男はもう自分と君しかいないからさ」
女子高生に囲まれることに肩身の狭さを感じているようだ。先生は若くて華奢で弱弱しい態度だからかなり生徒に舐められているらしく、特に園継先輩みたいなタイプは苦手そうだ。
「津原がいれば良かったですね。俺はあいつの代わりになれないんで」
「ははは……津原君は凄く真面目な子だったからね。いや、砂波君が不真面目って意味じゃないよ!」
「部活に来てないのに真面目って無理ですよ」
むしろ説教の対象であろう俺に気を遣うこともないだろうに、あまり強くものをいえない性格なのがわかる。先生は俺の隣から離れてホワイトボードの前にある教師用の席に荷物を置いた。
「藤橋先生、私と砂波と諌野は明日部活に来れないのでよろしくお願いいたします」
「はい、明日三人休み……三人!?」
「せんせー、私も来なくていいですかー」
「か、勘弁してぇ……」
さて、もうやることもないし帰ることにしよう。俺がいない方が舞も話しやすいだろうし、その方が先生に説明しやすい部分もきっとある。女子に囲まれて先生は気まずい思いをするかもしれないが、まあ頑張って頂けるだろう。
「諌野君、どういうことなの……諌野君? いや苦笑いじゃなくて……」
やっぱり俺がいる前で話さないのは筋金入りの信念のようなものか。今日はさっさと退散しよう。




