第6話 潜る日々
目が覚めた時、部屋の中はすでに明るかった。
「……ん」
ぼんやりとした視界のまま、ロヒトは天井を見上げる。
しばらくして、ようやく身体を起こした。
窓の外を見る。
陽はすでに高い。
「……昼か」
思わず呟いた。
こんな時間まで寝ていたのは、いつぶりだろうか。
身体を軽く動かす。
だるさはある。
だが、それ以上に——
「……なんか、軽いな」
不思議と、調子は悪くなかった。
昨日のことが、頭に浮かぶ。
初めての指名。
ユウキの笑顔。
交わした言葉。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
そして、同時に思う。
——また、行きたい。
「……そのためには」
ロヒトは、小さく息を吐いた。
やることは決まっている。
昼過ぎのダンジョンは、朝とは少し雰囲気が違う。
人は多いが、どこか落ち着いている。
ロヒトは、いつものように入口をくぐった。
暗闇に目が慣れていく。
石の匂い。
湿った空気。
何度も感じたはずなのに、今日は少し違って見えた。
「……よし」
剣を握る。
前より、少しだけしっくりくる。
現れたスライムを、一体。
落ち着いて間合いを取る。
慌てない。
相手の動きを見る。
そして——
「……っ」
一閃。
手応えは、確かだった。
崩れるスライム。
ほとんど無駄のない一撃。
「……今の」
思わず、呟く。
前なら、もっと時間がかかっていた。
余計な動きも、多かったはずだ。
それが今は——
「……悪くないかもな」
小さく、笑った。
その日は、終始安定していた。
無理はしない。
欲張らない。
一体ずつ、確実に。
それだけを意識して動く。
何度か危ない場面もあったが、致命的ではない。
気づけば、無事に地上へ戻っていた。
「……今日は、悪くなかったな」
手の中の魔石を見て、呟く。
大金ではない。
だが、確実に“積み上がっている”感覚があった。
それから、また日々が続く。
朝起きて、ダンジョンに潜る。
帰って、休む。
そして、また潜る。
単調なはずの繰り返し。
だが——
ロヒトにとっては、違った。
その先に、理由があるからだ。
「……あと、どれくらいだ」
換金所で受け取った金を見ながら、呟く。
まだ足りない。
次に行くには、もう少し。
それでも——
前よりは、確実に近づいている。
数日後。
いつものようにダンジョンへ向かう途中、入口前の広場で足を止めた。
「……あれ」
見覚えのある背中。
気だるそうに壁にもたれ、何かを飲んでいる男。
「ユジーン」
声をかけると、ゆっくりと顔を上げた。
「お、ロヒトじゃねえか」
相変わらずの、軽い調子。
だが、その目はしっかりとこちらを見ている。
「久しぶりだな」
「そうでもねえだろ。数日ぶりじゃね?」
肩をすくめるユジーン。
ロヒトは、苦笑する。
この男とは、王都トーキョーに来た頃からの付き合いだ。
酒場でたまたま隣に座ったのがきっかけだった。
同じダンジョンに潜る冒険者同士。
それだけのはずなのに、なぜか妙に話が合って——
気づけば、こうして顔を合わせる仲になっていた。
「で?」
ユジーンがにやりと笑う。
「一人で行ったんだって? あそこ」
「……ああ」
ロヒトは、少し視線を逸らした。
「なんだよ、顔赤くして。楽しかったか?」
「うるさい」
即答だった。
だが、否定はしない。
それを見て、ユジーンはくくっと笑う。
「ハマったな、お前」
「……否定はしない」
「素直かよ」
軽口の応酬。
それが、妙に心地よかった。
「で、どうなんだよ最近」
ユジーンが、少しだけ真面目な声になる。
「ダンジョンの方は」
ロヒトは、少し考えてから答えた。
「……前よりは、マシになった」
「へえ」
「一人でも、なんとか潜れてる」
事実だった。
無茶はしない。
確実に、帰ってくる。
それができるようになっただけでも、大きい。
「でも——」
ロヒトは、苦笑する。
「キャバクラに通うには、まだ遠いな」
「はは、現実的だな」
「すぐには行けないよ」
肩をすくめる。
それでも、悲観はしていなかった。
前よりは、進んでいるからだ。
「じゃあさ」
ユジーンが立ち上がる。
「今日は久しぶりに、一緒に潜るか?」
「え?」
「たまにはいいだろ。お前の動きも見たいしな」
軽い口調。
だが、その中に少しだけ真剣さが混じっていた。
ロヒトは、一瞬だけ考える。
そして——
「……いいのか?」
「別に減るもんじゃねえし」
あっさりした返答。
ロヒトは、小さく頷いた。
「じゃあ、頼む」
ダンジョンの中。
久しぶりの“二人”での潜行。
空気が、少し違う。
「ほら、距離詰めすぎ」
「……っ」
ユジーンの声が飛ぶ。
ロヒトは慌てて下がる。
その直後、モンスターの攻撃が空を切った。
「危ねえだろ」
「……悪い」
「謝る前に考えろ」
容赦ない。
だが——
的確だった。
ユジーンの動きは、明らかに違った。
無駄がない。
速い。
そして、正確。
一体の処理にかかる時間が、まるで違う。
(……すげえな)
思わず見入る。
自分が必死にやっていることを、当たり前のようにやってのける。
その差は、はっきりしていた。
「見てるだけじゃなくて動け」
「……ああ!」
我に返る。
ロヒトも剣を振るう。
さっきまでの自分とは違う。
指摘されたことを、意識する。
距離。
タイミング。
無駄な動き。
少しずつ、修正していく。
気づけば、無事に帰還していた。
いつもより疲れている。
だが——
「……勉強になった」
それが正直な感想だった。
「だろ?」
ユジーンが笑う。
「まだまだだけどな」
「分かってる」
即答だった。
でも、それでよかった。
「で」
ユジーンが軽く伸びをする。
「この後どうする?」
「帰るつもりだけど」
「もったいねえな」
にやりと笑う。
「行くか」
「……どこに」
「決まってんだろ」
肩を組まれる。
「キャバクラだよ」
「いや、金が——」
「ちょっと出せばいいって」
軽い口調。
でも、その言葉は甘かった。
「たまにはいいだろ」
ロヒトは、少しだけ迷う。
頭では分かっている。
今はまだ、余裕はない。
でも——
あの場所が、頭に浮かぶ。
ユウキの顔が、よぎる。
「……少しだけなら」
気づけば、そう答えていた。
夜の街へ向かう二人。
数日ぶりのネオン。
少しだけ速くなる鼓動。
ロヒトは、小さく息を吐く。
(……また来たな)
まだ、自分の金ではない部分もある。
それでも——
足は、自然と前に出ていた。




