第7話 届かない距離
夜の街は、やはりどこか浮ついていた。
ネオンの光。
笑い声。
行き交う人々のざわめき。
「ほら、ぼーっとすんなよ」
横からユジーンに軽く肩を叩かれる。
「あ、ああ……」
ロヒトは、少し遅れて返事をした。
視線の先には、あの店の入り口。
数日前、自分の金で初めて指名をした場所。
そして——
(……ユウキさん)
自然と、その名前が浮かぶ。
「行くぞ」
ユジーンは迷いなく扉をくぐる。
ロヒトも、それに続いた。
「いらっしゃいませ」
受付で軽く頭を下げられる。
ロヒトは、少しだけ緊張しながら口を開いた。
「あの……」
「はい」
「ユウキさん、指名できますか?」
そう伝えると、受付の女性が少し申し訳なさそうな顔をする。
「申し訳ございません。本日はユウキが現在、他のお客様の接客中でして……」
その一言で、理解した。
「……あ、そっか」
仕方ない。
そういう場所だ。
分かっている。
分かっているはずなのに——
ほんの少しだけ、胸の奥がざわついた。
「じゃあどうする?」
ユジーンが横から覗き込む。
「フリーでいいか」
「……うん」
ロヒトは頷いた。
「で、お前は誰指名するんだよ」
ロヒトが何気なく聞く。
するとユジーンは、少しだけ楽しそうに口角を上げた。
「ママさんだよ」
「……は?」
一瞬、意味が分からなかった。
「いや、だからママだよ。この店の」
「いやいやいや……」
思わずツッコミが出る。
「他にいっぱいいるだろ、可愛い子」
「分かってねえなあ」
ユジーンは肩をすくめる。
「ママが一番面白いんだよ」
「何しに来てんだよお前……」
そんなやり取りをしながら受付に伝えると——
「いつもありがとうございます、ユジーン様。申し訳ございません、いつも通りママの指名はお受けしておりません」
にこやかに断られた。
「だよなあ……」
ユジーンが心底残念そうにする。
「当然だろ」
ロヒトは呆れたようにため息をついた。
「じゃ、今日もフリーで」
ユジーンがそう告げ、二人は席へと案内された。
キャストが席に着く。
初めて見る顔。
明るく、愛想のいい笑顔。
「はじめまして〜」
「あ、どうも……」
ロヒトは少しだけぎこちなく返す。
だが、前ほどではない。
言葉は、少しずつ出るようになっていた。
ユジーンはというと、すでに打ち解けている。
「でさ、その話の続きなんだけど——」
軽快に会話を回す。
さすがというべきか。
場慣れしている。
(……すげえな)
ロヒトは内心で思う。
ダンジョンだけじゃない。
こういう場所でも、ユジーンは“上手い”。
ロヒトも、目の前のキャストと会話を重ねる。
最初はぎこちなかったが、徐々に慣れていく。
笑う。
話す。
その時間は、決して悪くなかった。
(……楽しい、か)
ふと、そんな感想が浮かぶ。
そして同時に——
(……でも)
頭のどこかに、別の顔が浮かぶ。
キャストが交代するタイミング。
ふと視線を上げた時——
見えた。
少し離れた席。
三つ編みのおさげ。
柔らかな笑顔。
「……ユウキ、さん」
思わず、心の中で名前を呼ぶ。
ちょうどその瞬間、ユウキの視線がこちらを向いた。
目が合う。
一瞬だけ、時間が止まる。
ロヒトは慌てて、軽く会釈をした。
ぎこちない動き。
それでも——
ユウキは、いつもと変わらない笑顔で、小さく会釈を返してくれた。
それだけで——
(……やっぱ、可愛いな)
ぼんやりと、そんなことを思ってしまう。
「どうしました?」
声をかけられて、はっとする。
気づけば、新しいキャストが隣に座っていた。
「あ、いや……」
「ユウキさん、気になります?」
核心を突かれた。
「……っ」
一瞬で言葉に詰まる。
顔が、熱くなるのが分かる。
「い、いや……その……」
しどろもどろになるロヒト。
それを見て、キャストはくすっと笑った。
「大丈夫ですよ、気にしなくて」
柔らかい声だった。
「人気ありますからね、ユウキさん」
「……そう、なんだ」
「はい。よく話もするんですけど、いい子ですよ」
自然と、耳が傾く。
「頑張り屋さんですし」
「……へえ」
「ちょっと天然なところもありますけど」
思わず、少し笑ってしまう。
確かに、そんな感じだった。
気づけば、かなり前のめりで話を聞いていた。
「……そんなに気になるんですね」
茶化すような一言。
「……っ」
また顔が熱くなる。
「す、すまん」
思わず謝ると、キャストは首を横に振った。
「いいですよ。分かりやすくて」
にこりと笑う。
からかわれているのに、不思議と嫌じゃなかった。
「それより——」
ロヒトは、少しだけ話題を変える。
「君は、どれくらいここで働いてるんだ?」
「私ですか?」
そこからは、普通の会話。
他愛のない話。
でも、その時間もちゃんと楽しかった。
やがて、時間が来る。
「そろそろお時間です」
声がかかる。
ロヒトとユジーンは席を立った。
店の出口へ向かう途中。
「ロヒトさん」
先ほどのキャストが、小さく声をかけてきた。
「ん?」
振り返る。
彼女は、少しだけ真面目な表情をしていた。
「さっきの話なんですけど」
「ユウキさんの?」
「はい」
一拍、間を置く。
そして——
「彼女、けっこう苦労してるんです」
その言葉は、思っていたよりも重かった。
「……そうなんだ」
「だから」
優しく、でもどこか意味を含んだ声。
「今度は、ロヒトさんも彼女の話、聞いてあげてください」
ロヒトは、少しだけ驚いた。
自分が、“聞く側”になる。
そんな発想は、今まであまりなかった。
でも——
「……分かった」
素直に頷いた。
店を出る。
夜風が、少しだけ冷たい。
「どうだったよ」
ユジーンが横から聞いてくる。
「……楽しかったよ」
それは、本心だった。
ただ——
それだけじゃない。
胸の中に、少しだけ違う感情が残っている。
(……苦労、か)
ユウキの笑顔が、頭に浮かぶ。
あの明るさの裏に、何があるのか。
「……次は」
ロヒトは、小さく呟く。
「ちゃんと、話聞くか」
今までとは少し違う理由。
それが、胸の中に生まれていた。
夜の街を歩く。
足取りは、いつもと変わらない。
だが——
ロヒトの中で、何かが少しだけ変わり始めていた。




