第5話 初めての指名
硬貨の音が、やけに重く響いた。
ロヒトは、手の中の金をもう一度数える。
一枚。二枚。三枚——
何度目か分からない確認。
決して多くはない。
だが——
「……やっと、か」
小さく息を吐く。
ここまで来るのに、二週間かかった。
最初の日は、ほとんど稼げなかった。
スライムを数体倒して、魔石をいくつか持ち帰る。
それだけで精一杯だった。
肩に受けた一撃が、数日残った。
痛みで剣を握る手が鈍る。
それでも——
潜った。
次の日も、その次の日も。
囲まれそうになって、逃げた日もある。
ほとんど何も持ち帰れず、換金所で肩を落とした日もある。
他の冒険者が、大量のドロップを抱えて笑っているのを横目に。
自分は、わずかな硬貨を受け取るだけ。
「……少な」
思わず漏れたことも、一度や二度じゃない。
それでも、やめなかった。
やめられなかった。
頭に浮かぶのは、あの言葉だったからだ。
『頑張ってる人、好きですよ』
その一言が、何度もロヒトを引き戻した。
ダンジョンの入口で立ち止まった時も。
怖くて足がすくんだ時も。
——もう一度、会いたい。
その気持ちが、足を前に出させた。
少しずつ、慣れていった。
敵の動き。
距離感。
自分の間合い。
完璧にはほど遠い。
それでも、最初よりは確実に“マシ”になっていた。
一体を、確実に倒す。
無理はしない。
欲張らない。
そうやって、少しずつ——
本当に少しずつ、金を積み上げていった。
そして、今日。
ロヒトは、その全てを手の中に乗せている。
「……これで、いけるよな」
誰にともなく呟く。
足りるかどうかは分からない。
でも——
ここで使わなければ、意味がない気がした。
ロヒトは、小さく息を吐いて——
夜の街へと足を踏み出した。
ネオンが灯る通り。
二週間前と同じ場所。
でも、見え方はまるで違った。
あの時は、ただ圧倒されていた。
今は——
「……ここに来るために、潜ってたんだよな」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
ダンジョンの暗さ。
恐怖。
痛み。
全部、この扉の向こうに繋がっている。
そう思うと、不思議と足が前に出た。
「いらっしゃいませ」
店員に案内され、席に通される。
今日は、一人。
逃げ場はない。
でも、もう迷わなかった。
「……あの」
ロヒトは、しっかりと声を出す。
「指名、ってできますか」
「はい、もちろんです。どなたをご指名されますか?」
少しだけ間を置いて——
それでも、迷わず言う。
「……ユウキさんで」
自分で選んだ。
この二週間の全部を使う相手を。
待つ時間。
前よりも落ち着いている自分に気づく。
緊張はしている。
でも、逃げたいとは思わなかった。
その時——
「ロヒトさん?」
声がした。
顔を上げる。
「……ユウキ、さん」
三つ編みを揺らしながら、ユウキが立っていた。
少し驚いたように、でもすぐに笑顔になる。
「また来てくれたんですね」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「あ……うん」
「嬉しいです」
その一言で、二週間が報われた気がした。
「今日は、お仕事帰りですか?」
「……うん。ダンジョン行ってきた」
「え、本当ですか?」
ぱっと明るくなる表情。
「すごい。どうでした?」
「いや……」
少し迷ってから、ロヒトは続ける。
「二週間くらい、ずっと潜ってて」
「え?」
「今日、やっと……これくらい稼げて」
照れくさくて、少し笑う。
「それで、来た」
正直に言った。
全部。
隠さずに。
ユウキは、一瞬だけ目を見開いて——
それから、ゆっくりと笑った。
「……そっか」
優しい声だった。
「じゃあ、今日は本当に特別ですね」
まっすぐに、ロヒトを見る。
「頑張ったご褒美です」
その言葉が、胸の奥に落ちる。
静かに、でも確かに。
時間は、あっという間だった。
話した内容は、特別なものじゃない。
でも——
一つ一つが、ちゃんと残っている。
ここに来るまでの時間ごと、全部含めて。
「また、来てくれますか?」
別れ際、ユウキが言う。
少しだけ間が空く。
分かっている。
これは仕事の言葉だ。
でも——
「……うん」
ロヒトは頷いた。
「また来る」
今度は、迷いなく言えた。
店を出る。
ポケットの中は、ほとんど空だ。
二週間分の稼ぎは、全部消えた。
「……全部、使ったな」
苦笑する。
でも、不思議と後悔はなかった。
むしろ——
「……足りないな」
ぽつりと呟く。
一回じゃ、全然足りない。
もっと話したい。
もっと、あの場所にいたい。
そのためには——
「……また潜るか」
自然と、そう思えた。
夜の街を歩く。
足取りは、確かだった。
空になった財布。
でもその代わりに——
胸の中には、はっきりと残っているものがある。
時間をかけて手に入れた、理由。
その決意は、もう揺らがなかった。




