第4話 稼ぐために潜る
朝の空気は、思っていたより冷たかった。
王都トーキョーのダンジョン入口前。
すでに多くの冒険者が行き交っている。
軽口を叩き合う者。
無言で装備を確認する者。
その中に混ざりながら、ロヒトは立っていた。
数日前と同じ場所。
同じ入口。
なのに——
足が、止まらなかった。
「……行くか」
小さく呟く。
怖くないわけじゃない。
むしろ、怖い。
あの暗さ。
あの空気。
あの視線。
全部、覚えている。
それでも。
——理由がある。
ロヒトは、一歩踏み出した。
ダンジョンの中は、相変わらずだった。
湿った空気。
石壁。
響く水音。
だが、感じ方が少し違う。
前はただ、飲み込まれるだけだった。
でも今は——
「……ちゃんと見ろ」
自分に言い聞かせる。
周囲を観察する。
足場。
通路の広さ。
逃げ道。
今まで、何となくで動いていた部分を、一つずつ意識する。
すると、不思議と呼吸が整っていく。
少しだけ、余裕が生まれる。
その時だった。
ぬるり、とした音。
通路の奥で、青い影が揺れる。
スライム。
単体。
「……よし」
剣を構える。
距離を測る。
さっきまでの自分なら、焦って突っ込んでいた。
でも、違う。
待つ。
スライムが跳ねる瞬間を。
——来る。
地面を蹴るようにして飛び込んでくる。
それを、横に一歩ずれて避ける。
「今だ!」
振り下ろす。
刃が、柔らかな体を裂いた。
手応えは浅い。
だが——
今までより、確かだった。
追撃。
もう一度、振るう。
今度はしっかりと切り裂いた。
スライムが崩れ、床に広がる。
静寂。
「……倒せた」
一人で。
ちゃんと。
胸の奥に、小さな達成感が灯る。
しゃがみ込み、魔石を拾う。
手のひらに収まる、青い石。
ほんのわずかな価値しかない。
それでも——
「これで、少しは」
あの場所に、近づく。
そう思うと、自然と力が入った。
その後も、ロヒトは慎重に進んだ。
無理はしない。
囲まれないように動く。
少しずつ、少しずつ。
魔石を集めていく。
だが——
「っ……!」
油断した。
曲がり角を抜けた瞬間、二体のスライムが同時に現れる。
距離が近い。
「くそ……!」
片方を牽制する。
だが、もう一体が回り込んでくる。
焦るな。
焦るな。
自分に言い聞かせる。
でも、体は強張る。
——来る。
一体が飛び込む。
避ける。
だが、もう一体の位置が——
「——っ!」
遅れた。
衝撃が、肩に入る。
バランスを崩す。
転びかける。
その瞬間——
頭に浮かんだのは、ダンジョンでも、痛みでもなかった。
ユウキの顔だった。
『頑張ってる人、好きですよ』
「……っ!」
歯を食いしばる。
踏みとどまる。
倒れない。
剣を握り直す。
「——まだだ!」
振るう。
至近距離。
ほとんど反射での一撃。
刃が、スライムを裂く。
もう一体が跳ねる。
今度は見えている。
横に避ける。
深呼吸。
落ち着け。
動きを見ろ。
そして——
一歩踏み込む。
「はっ!」
振り下ろす。
今度は、しっかりと。
手応えがあった。
スライムが崩れ落ちる。
静寂が戻る。
「……はぁ……っ、はぁ……」
息が荒い。
膝に手をつき、しばらく動けなかった。
怖かった。
さっきの一瞬、完全に崩れかけた。
前と同じだ。
何も変わっていないはずなのに——
「……でも」
倒せた。
逃げなかった。
それだけで、十分だった。
ゆっくりと立ち上がる。
床に転がる魔石を拾う。
手の中に、二つ。
ほんの少しの成果。
でも、それが妙に重く感じた。
その日は、無理をせずに引き返した。
地上の光が、目に刺さる。
思わず目を細める。
ダンジョンの外。
生きて帰ってきた。
それだけで、少しだけ胸を撫で下ろす。
換金所へ向かう。
魔石を差し出す。
「……これで、これだけだな」
提示された金額は、決して多くはない。
むしろ、少ない。
それでも——
ロヒトは、それをしっかりと握りしめた。
「……よし」
足りない。
全然足りない。
あの場所に行くには、まだ遠い。
でも。
ゼロじゃない。
それが、何より大きかった。
ダンジョン入口を、振り返る。
暗い穴。
恐怖の象徴。
でも今は、少しだけ違って見える。
あそこに潜れば——
また、あの場所に行ける。
あの人に、会える。
「……明日も潜る」
自然と、言葉が出た。
昨日よりも、少しだけ強い声で。
ロヒトは、歩き出す。
まだ弱いまま。
でも確かに、一歩だけ前に進んでいた。




