第2話 立ち止まったままの数日間
朝なのか、昼なのか。
よく分からないまま、ロヒトは目を覚ました。
薄暗い部屋。
安宿の天井は、相変わらず汚れている。
身体が重い。
昨日の酒のせいか、それとも——
「……ああ」
思い出す。
パーティを、外された。
その事実だけが、妙にくっきりと頭に残っていた。
ゆっくりと体を起こす。
床に置いたままの装備が、目に入る。
剣。
革鎧。
使い込まれているが、決して上等ではない。
それでも、昨日までは——
“これでやっていける”と思っていた。
「……行くか」
口に出してみる。
ダンジョンへ。
いつも通り。
そうしなければ、金がない。
分かっている。
分かっているのに——
体が、動かなかった。
結局、その日は何もせずに終わった。
部屋の中でぼんやり過ごし、気づけば夜になっている。
腹は減る。
だが、外に出る気力がわかない。
手持ちの硬貨を数える。
わずか。
数日もすれば、底をつく。
「……やばいな」
他人事のように呟く。
本当は、分かっている。
やばいどころじゃない。
このままだと、生活が破綻する。
それでも——
動けなかった。
二日目。
無理やり外に出た。
王都トーキョーは、今日も変わらず騒がしい。
冒険者ギルドの前を通る。
掲示板には、パーティ募集の紙がいくつも貼られていた。
条件付き。
実績必須。
中級層以上。
自分に当てはまるものは、ほとんどない。
立ち止まり、しばらく眺める。
だが——
声をかける勇気は、出なかった。
あの視線を思い出す。
あの空気を。
また同じことになるんじゃないか。
そう思うと、足がすくむ。
「……やめとくか」
小さく呟き、その場を離れた。
三日目。
気づけば、昼間から酒を飲んでいた。
安酒だ。
味なんて分からない。
ただ、頭がぼんやりするのが楽だった。
周りの会話が、耳に入ってくる。
「昨日のドロップ、マジで当たりだったわ」
「第十層まで行けるようになったんだよな」
楽しそうな声。
笑い声。
どこか遠くの世界の話のように感じた。
ロヒトは、ジョッキを傾ける。
空になる。
また頼む。
繰り返す。
何も考えないように。
数日が過ぎた。
何も変わらないまま。
金だけが、減っていく。
残りは、ほんのわずか。
そろそろ、本当に動かなければならない。
頭では分かっている。
でも——
ダンジョンの入口に立つと、足が止まる。
あの暗さ。
あの空気。
あの視線。
思い出すだけで、胸が重くなる。
「……無理か」
結局、その日も引き返した。
「おい」
声をかけられたのは、その帰り道だった。
「ロヒトじゃねぇか」
振り向く。
そこにいたのは——
「ユジーン」
懐かしい友人の顔だった。
短く整えられた髪。
軽い笑み。
装備はしっかりしている。
少なくとも、自分よりはずっと稼いでいるのが分かる。
「何してんだよ、こんなとこで」
「……いや、別に」
「別に、じゃねぇだろ。その顔」
じっと見られる。
目を逸らしたくなる。
「聞いたぞ。パーティ外されたんだって?」
「……まあ」
「だろうな」
あっさりと言う。
だが、その声に悪意はなかった。
「で、そのまま腐ってるってわけか」
「……」
否定できない。
何も言えないまま、沈黙する。
「はぁ……」
ユジーンが、わざとらしくため息をつく。
「分かりやすいな、お前」
「うるさい」
思わず返す。
それでも、少しだけ気が楽になった。
「なあ」
ユジーンが、軽く肩を叩いた。
「たまには遊べよ」
「……遊ぶって」
「いいから。付き合え」
「いや、金ないし——」
「今日は俺が出す」
即答だった。
「いや、だから悪いって」
「いいって言ってんだろ」
ぐい、と腕を引かれる。
「たまには、ダンジョン以外の空気吸えって」
軽い口調。
でも、その言葉は妙に引っかかった。
ダンジョン以外の空気。
そんなもの、考えたこともなかった。
「……どこ行くんだよ」
観念して聞く。
ユジーンが、にやりと笑った。
「イイとこさ」
そのまま歩き出す。
人混みの中へ。
夜の灯りが、少しずつ増えていく通りへ。
ロヒトは、少しだけ迷って——
結局、その後をついていった。
向かった先は、見たことのない通りだった。
ネオンが多い。
人の服装も、どこか派手だ。
笑い声が、昼間よりも濃い。
「……ここって」
「まあ見てろって」
ユジーンは迷いなく進む。
そして——
一つの店の前で立ち止まった。
煌びやかな看板。
整えられた入口。
明らかに、自分とは無縁の場所。
ロヒトは、思わず足を止めた。
「……いや、ちょっと待て」
「なんだよ」
「ここ、さすがに無理だろ」
案内された場所はまさかのキャバクラだった。
急に喉が乾く。
場違いにもほどがある。
「大丈夫だって」
ユジーンは、軽く笑った。
「世界変わるぞ?」
その言葉の意味を、ロヒトはまだ知らない。
ただ——
目の前の扉が、やけに重く見えた。
開けてしまえば、何かが変わる気がして。
いい意味でも、悪い意味でも。
「ほら、行くぞ」
ユジーンが扉に手をかける。
ロヒトは、一瞬だけ迷って——
そのまま、目を閉じて進んだ。




