第1話 見放される側の人間
ダンジョンは、いつだって同じ顔をしている。
湿った空気。
石壁にこびりついた苔。
遠くで滴る水音。
その“変わらなさ”が、ロヒトにはひどく重たかった。
「前、詰めろロヒト! 後ろがつかえてる!」
「ご、ごめん!」
慌てて一歩踏み出す。
足元のぬかるみに靴が沈み、わずかに体勢を崩す。
ほんの一瞬の遅れ。
だが、それで十分だった。
「来るぞ!」
青い影が跳ねる。
スライム。
視界に捉えた時には、もう距離は詰まっていた。
「——っ!」
剣を構えるのが遅れる。
直後、衝撃が胸に叩き込まれた。
息が詰まり、体が後ろへ弾かれる。
背中が石壁にぶつかり、鈍い痛みが走った。
「はぁ……っ、は……っ」
呼吸が整わない。
「だから遅いって言ってんだろ!」
横から怒鳴り声。
一閃。
仲間の剣がスライムを真っ二つに裂いた。
床に崩れた残骸から、小さな魔石が転がる。
「……大丈夫かよ」
そう言いながらも、声には苛立ちが滲んでいた。
「ごめん……助かった」
「助かった、じゃねぇんだよ」
吐き捨てるような言い方。
ロヒトは、何も言えなかった。
——分かっているからだ。
自分が足を引っ張っていることくらい。
その後も、戦闘は続いた。
だが結果は変わらない。
攻撃は浅く。
判断は遅く。
位置取りも悪い。
仲間の動きに、ついていけない。
視線が刺さる。
何も言われなくても、分かる。
——いらない。
そう思われていることが。
「……今日はこの辺で切り上げるぞ」
リーダーの声。
探索終了の合図だった。
誰も異論を挟まない。
むしろ、どこか安堵しているようにすら感じた。
それが、自分のせいだと分かるのがつらかった。
地上に戻ると、空気が軽かった。
夜に近い時間。
王都トーキョーは、まだ賑わっている。
だがロヒトたちは、そのまま喧騒には混ざらず——
いつもの酒場へと入った。
木の扉を開けると、酒と煙の匂いが流れ込んでくる。
笑い声。
ジョッキのぶつかる音。
冒険者たちの拠点のような場所だ。
ロヒトたちは、奥の席に腰を下ろした。
無言のまま、荷物を置く。
やがて店員が来て、酒が運ばれてくる。
だが、誰もすぐには手をつけなかった。
妙な空気だった。
重い。
言葉にしづらい何かが、そこにある。
ロヒトは、分かっていた。
この空気の理由を。
「……なあ」
やがて、一人が口を開いた。
軽い調子を装っているが、声は少し硬い。
「最近さ、効率落ちてるよな」
その一言で、全員の意識がそこに集まる。
「……まあな」
リーダーが短く答える。
「このままだと、正直きついって」
誰も否定しない。
ジョッキに手を伸ばす者もいない。
ただ、沈黙だけが積み重なる。
ロヒトは、視線を落としていた。
木のテーブルの傷を、ぼんやりと見つめる。
分かっている。
これは、自分の話だ。
「だからさ」
男が、ちらりとロヒトを見る。
一瞬だけ。
でも、それで十分だった。
「一回、パーティ整理しないか?」
遠回しな言い方。
だが意味は明確だ。
——切るべき奴を切る。
ロヒトの指先が、わずかに震えた。
何か言わなければと思う。
でも、言葉が出てこない。
喉が固まっている。
「……ロヒト」
リーダーが名前を呼ぶ。
穏やかな声。
それが、余計に残酷だった。
「悪いな」
一拍。
「このまま続けるのは、難しいと思う」
はっきりと告げられた。
逃げ場のない言葉だった。
頭が、少しだけ真っ白になる。
「……そっか」
やっと、それだけを返す。
情けないほど、短い言葉。
「今までありがとな」
形式的な言葉。
でも、その奥にほんの少しだけ本音が混ざっているのが分かる。
だからこそ、余計に何も言えなかった。
「うん……こっちこそ」
笑おうとする。
うまくいったかは、自分でも分からない。
会話は、それで終わった。
誰も深く触れようとはしない。
酒が進む。
だが味は、ほとんど感じなかった。
やがてロヒトは、静かに席を立つ。
「……先、帰るわ」
「ああ」
短い返事。
引き止める声はない。
それが、すべてだった。
夜の街に出る。
空気は冷たく、少しだけ心地よかった。
酒場の喧騒が、背後で遠ざかっていく。
一人になる。
完全に。
「……はは」
小さく、笑う。
乾いた音だった。
弱いから。
使えないから。
いらないから。
——切られた。
それだけの話だ。
王都は、今日も賑やかだ。
成功者も、失敗者も、関係なく飲み込んでいく。
その中で、自分だけが取り残されたような気がした。
足が、自然と止まる。
どこへ行けばいいのか、分からない。
帰る場所はある。
でも、戻る理由が見つからない。
「……俺、何やってんだろ」
呟きは、夜に溶けて消えた。
今、答える者は、誰もいない。




