第五章 すべての案が駄目である
最終会議が始まる頃には、誰も「最終」という言葉を信じていなかった。
王宮の小会議室には、いつもの重臣たちが集まっていた。
ただし、前回までとは様子が違っていた。
宰相ベルナールの目の下には濃い隈があり、法務卿セドリックは法典を枕にして眠りかけていた。王室歴史官マティアスの前には、もはや何冊あるのか分からないほどの年代記が積まれ、大神官オルドは朝の祈祷を会議室で済ませていた。
財務卿は計算尺を握ったまま動かず、軍務卿は窓の外を見つめ、外務卿は新しく届いた外国書簡の封を切ることすら諦めていた。
若い書記官リオだけが、まだ姿勢を正していた。
しかし記録板の端には、本人も気づかぬうちに「帰りたい」と三度書かれていた。
王アルベルト三世は玉座ではなく、普通の椅子に座っていた。
威厳を保つ体力が尽きたのである。
「では、始める」
誰も返事をしなかった。
「始めるぞ」
ベルナールが顔を上げる。
「陛下。まず問題を整理しましょう」
「まだ整理するのか」
「整理しなければ、何が問題だったのか分からなくなります」
「王妃を求められた。それだけであろう」
「現在は、それだけではございません」
ベルナールは長い紙を広げた。
机から垂れた紙は床へ落ち、反対側まで伸びていた。
「現在の問題は、王の信用、恩賞令、婚姻法、王命法、宗教上の誓約、王位継承、軍の士気、外国の反応、財政負担、市民の賭博、敗戦国の宣伝、王都の治安――」
「もうよい」
「まだ半分です」
「聞きたくない」
王は両手で耳を塞いだ。
ベルナールは紙を巻き戻した。
「本日は各自が最終案を提示し、その中からもっとも被害の少ないものを選びます」
「被害がない案ではないのか」
「そのようなものはありません」
会議室が静かになった。
最初に手を挙げたのは財務卿だった。
「私から申し上げます」
机の上へ新しい帳簿が置かれる。
「将軍に対し、黄金二十万枚、三州、六つの城、王都の屋敷三十棟、終身年金、租税免除権を与えます」
王が眉をひそめた。
「国は残るのか」
「ぎりぎり残ります」
「ぎりぎりでは困る」
バルツが首を振った。
「要りません」
「まだ全部申し上げておりません」
「お后様でなければ要りません」
財務卿は帳簿を閉じた。
「財政案、失敗です」
次に軍務卿が進み出た。
「では、将軍を王族に加えてはいかがでしょう」
王が顔を上げた。
「王族に?」
「養子とし、王弟の位を与えるのです。王妃陛下を得ることはできませんが、王家の一員にはなれます」
セドリックが法典を開いた。
「条文に照らしますと、王弟が王妃へ求婚することは、現行法上さらに問題を複雑化させます」
「なぜ求婚する前提なのだ」
「将軍ですから」
全員がバルツを見た。
「自分はお后様が好きです」
王は机へ額をつけた。
軍務卿は静かに案を引っ込めた。
外務卿が書簡を一通掲げた。
「外交的解決案があります」
王が警戒しながら尋ねる。
「どのような案だ」
「将軍を外国王女と婚姻させます。王妃陛下に匹敵する身分の女性であれば、代替として受け入れる可能性があります」
「自分はお后様だけが好きです」
バルツは即答した。
外務卿は手紙を机に置いた。
「交渉開始前に破綻しました」
大神官オルドが両手を組んだ。
「教義では、欲望を捨てることに価値があります」
王が期待を込めて身を乗り出す。
「つまり、将軍を説得できるのか」
「四十日の断食と祈りを行わせます」
バルツが少し考えた。
「食事をしなくても、お后様は好きだと思います」
「試してみなければ分かりません」
「四十日も待てぬ」
王が却下した。
マティアスがうれしそうに手を挙げた。
「前例がございます」
「ないことにせよ」
「しかし、千二百年前の――」
「千二百年前の王朝はどうなった」
「滅びました」
「では黙っておれ」
マティアスは不満そうに年代記を閉じた。
法務卿セドリックが咳払いした。
「私からは、法的解決案を提示します」
王が恐る恐る顔を上げる。
「聞こう」
「恩賞令を改正し、王妃、王子、王女、王位、王宮、国庫、国土、国民その他国王が所有しないものを、恩賞の対象から除外します」
ベルナールがうなずいた。
「今後の再発防止にはなります」
「今回には間に合いません」
「意味がないではないか」
「法は未来のためにも存在します」
「余は現在を救ってほしいのだ」
セドリックは少し考えた。
「では、改正法を過去に遡って適用します」
「それは許されるのか」
「原則として許されません」
「駄目ではないか」
「ですから、例外規定を作ります」
ベルナールが止めた。
「その例外を作れば、今後、王に不都合な約束はすべて遡って無効にできます」
「よいではないか」
王が言った。
室内の全員が王を見た。
王は咳払いした。
「今のは忘れよ」
リオは記録板から一行を消した。
文字は薄く残った。
宰相ベルナールが最後に立ち上がった。
「私からは政治的解決案を申し上げます」
その場の全員が彼を見た。
これまで多くの難局を収めてきた宰相である。
最後に頼れるのはベルナールしかいなかった。
「陛下は国民に向けて演説を行い、今回の発言が比喩であったと説明なさいます」
王が眉を上げる。
「比喩?」
「『望みは何でも申せ』とは、文字通り何でも与える意味ではなく、功績を最大限に評価するという修辞表現だった、と」
セドリックが首を振った。
「凱旋式の記録には、『本当に何でもよろしいのですか』との問いに、陛下が『無論である』と返答したことが残っております」
全員がリオを見た。
リオは申し訳なさそうに記録板を抱えた。
「正確に記録するのが仕事ですので」
王が小声で言った。
「そこだけ誤記ということにはできぬか」
「できません」
「書記官とは融通が利かぬものだな」
セドリックがうなずいた。
「記録とは、そのために存在します」
ベルナールは別の案を出した。
「では、将軍に要求を撤回してもらう代わりに、陛下が個人的に謝罪する」
王の顔が強張った。
「余が謝るのか」
「陛下の失言です」
「だが、王が臣下に謝れば権威が――」
「では王の信用か、王の威厳か、どちらを捨てるかお選びください」
王は黙った。
選べと言われて選べるなら、ここまで会議は続いていなかった。
バルツが遠慮がちに口を開いた。
「自分は、陛下に謝ってほしいわけではありません」
「では何が欲しい」
「お后様です」
全員が椅子へ崩れ落ちた。
王は天井を見上げた。
どれほど複雑な案を出しても、最後には同じ言葉へ戻る。
お后様です。
その言葉が、法律より強く、歴史より古く、宗教より揺るがず、国庫より高価だった。
王妃エレオノーラは、この日も会議へ出席していなかった。
しかし昼過ぎ、侍女を通じて短い伝言を送ってきた。
――夕食までには終わりますか。
王は伝言を読んだ。
そしてベルナールを見た。
「終わるか」
「分かりません」
「では、終わらせよ」
「方法がありません」
王は再び伝言を見た。
夕食。
その言葉を聞いた瞬間、会議室の全員が、自分たちが朝から何も食べていないことに気づいた。
財務卿は腹を鳴らした。
大神官は空腹を修行と呼ぼうとしたが、二度目の音が鳴ったため黙った。
バルツが周囲を見回した。
「皆さん、疲れていますね」
誰も答えなかった。
「自分のせいですか」
王は即答した。
「余のせいでもある」
ベルナールが付け加える。
「主として陛下のせいです」
「主として、は要らぬ」
バルツは、机の上に広がる法典、年代記、書簡、帳簿、祈祷書を眺めた。
戦場では、敵がどこにいて、何を倒せば勝ちなのか分かった。
しかし、この会議では誰も敵ではない。
全員が正しいことを言いながら、全員が疲れていた。
バルツは何かを言いかけた。
だが、そのとき王は椅子から立ち上がった。
「本日は終わりとする」
ベルナールが顔を上げる。
「しかし、結論が」
「出ぬものは出ぬ」
王の声には、もう威厳も見栄も残っていなかった。
「明日、余が決める」
室内が静まり返った。
これまで王は、会議へ判断を預け続けてきた。
その王が、自ら決めると言ったのである。
リオは記録板へ、大きく一行を書いた。
――明日、国王が決断する。
会議は散会となった。
誰も解決策を持たず、誰も勝たず、ただ疲労だけを抱えて退出した。
バルツだけは扉の前で立ち止まり、空になった会議室を振り返った。
そして、何かを考えるように首をかしげた。
戦場では見せたことのない、困った顔だった。




