表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/5

第三章 歴史は何を語る

翌朝、王宮の会議室には昨日と同じ面々が顔をそろえていた。


違っていたのは、机の上に積まれた本の数だけである。

王室歴史官マティアスの前には、革装丁の年代記が二十冊以上積み上げられていた。その高さは本人の顔が半分隠れるほどで、書記官リオは「歴史とは重いものなのですね」と感心したが、ベルナールは「嫌な予感しかしない」と小さくつぶやいた。


王アルベルト三世は開口一番に言った。

「今日は前例だけを聞く。昨日のように問題を増やしてはならぬ」

「承知いたしました。」

マティアスは嬉しそうに立ち上がる。

「前例がございます。」

「あるのか……」

王は早くも疲れた表情になった。

「まず三百二十七年前、第八王朝時代――」

マティアスは一冊目を開いた。

「王が寵姫を家臣へ下賜した例がございます。」

王の顔が明るくなる。

「ほう!」

ベルナールも身を乗り出した。

「参考になるかもしれません。」

ところがマティアスは平然と続きを読んだ。

「その結果、王子が反乱を起こし、王朝は八年後に滅亡しました。」

会議室が静まり返る。

王は静かに言った。


「……次。」

「次の前例がございます。」

二冊目が開かれる。

「五百十一年前、西方諸侯連盟において、王妃ではありませんが、公爵夫人を褒美として要求した騎士がおりました。」

「どうなった。」

「騎士は決闘で死亡しました。」

「参考にならぬ。」

「では、その後の政治的影響を。」

「結構。」

王は少し不機嫌になっている。

マティアスは残念そうに本を閉じた。


しかし、すぐに三冊目を取り出す。

「七百年前にも前例がございます。」

ベルナールが頭を抱えた。

「まだあるのですか。」

「歴史とは豊かなものです。」

「豊かすぎます。」

「この事例では、王が約束を破りました。」

王は目を輝かせた。

「それだ。」

「その場では解決しました。」

「素晴らしい。」

「しかし二十年後、孫の代になって『約束を破る王家』という評判が広まり、王位継承戦争が勃発しました。」

王は静かに椅子へ座り直した。

「……次。」


リオは必死に記録を取っていた。

『前例一、王朝滅亡。前例二、騎士死亡。前例三、内戦。』

書き終えてから、前例とは人を安心させるためにあるものではないのか、と首をかしげた。

一方、バルツは感心したようにマティアスを見ていた。


「昔から皆さん苦労していたのですね。」

「その通りです。」

マティアスは誇らしげに胸を張った。

「歴史は繰り返します。」

ベルナールが小声でつぶやく。

「今回は繰り返さなくてよい。」

すると、今度は大神官オルドが静かに立ち上がった。

「歴史だけでは結論は出ません。」

「嫌な予感しかしない。」

王が漏らす。

「神の御心に照らせば、この問題は婚姻の問題であります。」

オルドは分厚い聖典を机へ置いた。

その厚さは、マティアスの年代記に負けていなかった。

ベルナールが思わず尋ねる。

「まさか、その聖典にも前例が。」

「ございます。」

王は両手で顔を覆った。

「歴史にもあり、宗教にもあるのか。」

「神は人間より長く世界をご覧になっております。」

「余は短い例だけ聞きたい。」

オルドはゆっくり聖典を開いた。

「まず創世の書から説明いたします。」

ベルナールは時計代わりの砂時計を見た。

砂は、まだ一粒も落ちきっていなかった。


大神官オルドは静かに聖典を閉じた。

「結論から申し上げます。」

王は椅子に座りなおした。

創世から説かれる覚悟をしていたからである。

「教義では、婚姻は神前の誓約であります。」

「それは昨日も聞いた。」

「ゆえに、人が勝手に授受できるものではありません。つまり、后は与えられません。」

王は安堵の息を漏らした。

「ただし。」

会議室の空気が再び重くなる。

「陛下が神前の誓約を解かれるなら話は別です。」

王は勢いよく立ち上がった。

「余が妻と離縁せよと言うのか。」

「教義では可能性を申し上げたまでです。」

「可能でも駄目だ。」

ベルナールもうなずいた。

「政治的にも不可能です。」

「ならば結論は出たではないか。」

王が笑顔を見せた、その瞬間だった。

オルドは静かに首を振る。

「まだ教義上の問題が残っております。」

「まだあるのか。」

「陛下は神の御前で誓われました。」

「誓っておらぬ。」

「『余は約束を守る王である』と、公衆の前で宣言なさいました。」

王は固まった。

「神は、王の言葉も見ておられます。」

ベルナールが机に額をつける。

「結局、約束を守れという話ではありませんか。」

「その通りです。」

「昨日と同じ場所へ戻った……。」


リオは記録板を見た。

政治は約束を守れと言い、法律も約束を守れと言い、宗教も約束を守れと言っている。

違う言葉で、同じことを書いているだけだった。


そこへ、バルツが遠慮がちに手を挙げた。

「あの。」

全員が振り向く。

「何だ。」

王が疲れ切った声で尋ねる。

「そんなに難しい話だったんですね。」

部屋が静まり返る。

バルツは続けた。

「自分は、好きだからお願いしただけでした。」

「それは全員知っておる。」

ベルナールは深く息を吐いた。

「将軍。」

「はい。」

「その理由以外はありませんか。」

「ありません。」

「政治的意図は。」

「ありません。」

「王位継承権は。」

「要りません。」

「派閥形成は。」

「興味ありません。」

「外国との関係は。」

「考えたことありません。」

「……そうですか。」


ベルナールは椅子にもたれた。

問題が複雑なのは政治でも宗教でもなかった。

相手が、どこまでも単純だったのである。

その単純さを覆す理屈を、誰も持っていなかった。

王はゆっくり立ち上がった。

「本日の会議を終える。」

誰も異議を唱えなかった。

政治は堂々巡り。

法律も堂々巡り。

歴史は滅亡ばかり。

宗教は約束を守れと言う。

それぞれが自分の専門分野では正しかった。

しかし、それらを合わせても答えは一つも生まれなかった。

会議室を出ようとしたそのとき、扉が開いた。

近衛隊長が敬礼する。

「失礼いたします。」

「何事だ。」

「各国の使節が、今回の件について正式な説明を求めております。」

王はその場で固まった。

ベルナールは静かに目を閉じる。

「……外交問題になりましたか。」

近衛隊長は無言でうなずいた。

王は天井を見上げた。

「余としたことが……。」

その一言だけが、静かな会議室に響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ