第二話「きっかけは百六十円」
金星七瀬はケチではない。
そう、“節約上手”なのだ。
そう確信したのは、昨日の昼休みのことだった。
俺は金星さんの秘密を教えてもらうために、それと借りた百六十円を返すために、屋上へ向かっていた。
金星さんは、昼休みになるといつも屋上で弁当を食べている。
購買にできた長い列には目もくれず、弁当箱の入った袋を手に、ひとりで階段を上っていく。
その後ろ姿を、俺は何度か見かけたことがあった。
いやはや。
購買の人気メニュー、「極上メロンパン」に一度も屈しない女子高生を、俺は金星さん以外に知らない。
〜
“ガチャ。”
空は腹が立つほど快晴で、フェンスの向こうには、田舎のようで都会のような、いわゆる“トカイナカ”の景色が広がっている。
「金星さー…ん?」
大きな給水タンクの裏に、女の子の影があった。
金星さんだ。
そしてその腕の中には、小さな段ボール箱。
「田上くん…」
「金星さん、それ」
俺が箱を指さすと、彼女はぎゅっと段ボールを抱え直した。
ニャオニャオニャ〜〜〜
箱の中から、声がした。
のぞき込むと、そこには真っ黒の子猫がいた。
「子猫?」
「……そう」
「飼ってる、のか?」
「わからない」
金星さんは、困ったように目を伏せた。
「お弁当食べてたら、来たの。母猫もいなくて。放っておけなくて…それで、お昼と放課後に、ごはんをあげてる」
そう言って、彼女は足元に置かれたキャットフードと、猫用ミルクのパックを指さした。
そういうことか。
金星さんが最近、放課後も遅くまで学校に残っていた理由が、ようやくわかった。
昨日バッグに入れていたのは、病院に連れて行ったらしい。
「だから、バイトもあまり入れられなくて…」
金星さんは続ける。
「フードも、ミルクも、ペットシーツもいるし……もし飼うことになった時のために、お金も残しておきたくて」
「なるほどな」
三千五百円の焼肉食べ放題を断った理由が、今ここで完全に判明した。
ケチではない。
本当に、まったくケチではない。
この人はただ、目の前の小さな命を放っておけなかっただけなのだ。
「うーん……」
困った。
屋上で子猫を飼い続けるわけにはいかないよな。
というか、この子猫、どうやって屋上まで来たんだ。階段を登ってきたのか。それとも鳥にでも運ばれて、ここに落ちたのか。
いや、今はそんなことどうでもいい。
とにかくこの状況をなんとかしないと。
「先生に言う、か?」
「そ、それはダメっ」
金星さんが珍しく大きい声を出して、俺は少しだけ驚いた。
「もう言ったの。そしたら、保健所に連絡しようって言われて…だから、やっぱりいなくなっちゃいましたって、嘘ついた」
「それで、面倒みてるってわけか」
言ってから、俺は黙った。
子猫が、段ボールの中からこっちを見上げている。
そしてなぜか、金星さんまで、俺を見ていた。
じーっ。
子猫も、じーっ。
じーーーーーーーーーー。
おいおい、ずるいぞ。
「わ、わかった。わかったって!親に聞いてみるよ」
そう言った瞬間、金星さんの表情がふっと明るくなった。
「田上くん、ありがとう。本当に、ありがとう」
「お、おう。ま、まかせろっ」
俺はなぜか、百六十円を返しに来ただけのはずなのに、ものすごく大きなことをした気分になってしまった。
「ところで、金星さんは飼えないのか?」
「うちは、一人暮らしだから」
「一人暮らし?」
「うん。アパートがペット禁止なの。今は、引っ越すお金もないし」
「あー……」
俺は、聞いてはいけないことを聞いた気がした。
高校生で一人暮らし。
節約。
いつも一人で食べている弁当。
気になることは、いくらでもあった。
でも今、そこに踏み込むのは違う気がした。
「ま、とりあえず俺ん家、昔猫飼ってたことあるから。多分、大丈夫だと思う」
「…ほんと?」
「たぶんだけどな」
「よかったねえ、ゴマっ」
金星さんが箱の中に向かって、優しく笑った。
ゴマ。
そう呼ばれた黒い子猫は、ミャオ!、と返事みたいに鳴いた。
「ゴマっていうのか。よろしくな」
俺が指を差し出すと、次の瞬間。
ゴマは俺の腕をよじ登り、そのまま肩に乗ってきた。
「うおっ」
ザリ、ザリ、と小さな舌が頬をなめる。
「い、いてぇ」
だけど不思議と嫌じゃなかった。むしろ、ちょっと嬉しい。
「……好きみたい」
!?
金星さんがそう言って、ふふっと笑った。
その顔を見た瞬間、俺の胸が変なふうに跳ねた。
いやいやいや、違う。違うから!
これは”子猫が俺を”好きみたい、ということであってだな…。
「あ、そうだ。これ、借りてた百六十円」
俺はポケットから小銭を取り出して、金星さんに渡した。
金星さんは両手で受け取ると、財布へしまった。
「助かるっ」
「しっかり受け取るんだな」
彼女は少しだけ照れたように目をそらした。
“キーンコーンカーンコーン。”
予鈴が鳴った。
「やば。あと五分で授業始まる。とりあえず一旦戻ろう、金星さん」
「…」
「金星さん?」
「あの、田上くん」
金星さんが、段ボールを抱えたまま俺を見上げた。
いつもの落ち着いた声じゃなかった。
「…よかったら……うち、来ない?」
「……え?」
一瞬、屋上の風の音が消えた。
うち?
金星さんの、うち?
金星さんの、部屋?
つまり、それって。
「ゴマのこと、ちゃんと相談したいから」
「あ、ああ。そうだよね!」
そうだよね、そういうことだよねー。
なぜか俺の心臓は、さっきから全然そういうことじゃない音を立てている。
「ミャオんっ!」
ゴマが、俺の肩の上でのんきに鳴いた。
その後、俺たちふたりは、ギリギリ授業に間に合わなかった。
午後の授業で先生が何を話していたのか、正直まったく覚えていない。
こうして俺は今週の休日、金星さんの家に行くことになったのだった。
女の子の家に行く時って、何か土産でも持って行くべきなのか?
相応しい服もねえし…、
仕方がない。頼んだぞ、未来の俺!




