第五話 テラカドトミコトイウヒト
若い刑事が足早に出ていくと、警部は角倉たちに再び向き合った。
「誰か寺門さんを恨むような人に心当たりはありませんか?」
「富子に限ってそんな人いないはずよ。」
末子が手の中から顔を上げると、鼻声で声を上げた。
「富子は綺麗で優しくて、面倒見がいいもの。逆恨みでもなければ恨むなんて考えられないわ。」
「どうだろうな。たしかに富子は美しくて、優しくて、面倒見がいい。でもお金も持っていた。そのお金に群がるやつらだったら殺そうとするかもしれない。ねえ、末子さん。」
勇に疑いの視線を向けられた末子は、顔を茹でダコの如く赤くすると、怒鳴った。
「それはどういう意味!私は富子と腐れ縁なのよ、私が富子を殺す訳無いでしょ!
お金に群がるというのなら勇さん、あなただってそうじゃなくて!
そういえば、北村社長も前富子と出資がどうのって揉めていましたわよね。出資を断られて殺したんじゃないのかしら。」
「なにを言う!たしかに富子さんとは揉めたが、すでに和解済みだ。和解したことをぶり返して殺すものか。私のことを疑う前に自分の行いを考えたらどうだ。」
「そうだぞ、前に富子さんが末子さんにお金を貸していると言っていた。今一番怪しいのは君だぞ。」
「まあ、浮気者がよくもそんなことを。私見ましたもの、この前若い女性ととても親密そうに歩いていらしたわよね。」
「人違いではないですか?もうお年ですし、目が悪くなったのでは。僕には富子さんだけですよ。」
「皆様、少し落ち着いてください。警部さんは富子様を恨むような人がいるかどうか聞いているだけです。」
罪の擦り付け合いが過熱する中、文子の一声が場を冷ました。
「ごほん、つまり寺門さんの死を願う人は少なからずいたという事ですね。寺門さんの過去や人柄等について、知っている限りで結構ですので教えていただけますか?」
この警部の問いにも末子を始めその場にいた者のほとんどが脱線しながら話したため、要約すると、富子は寺門家の長女として生まれた。
兄が一人いたが、その兄一家は十五年前の事件で一家全員死んでいる。その後兄の遺産を相続し、今の資産家としての地位を築いた。舞踏会が行われたこの館はもともと兄一家が住んでいた館があった場所に後から建てられたものなのだそうだ。富子は資産家によくいる、いわゆる味方も多いが敵はもっと多い人ではなく、出来るだけ敵を作らないように行動する人物だった。
そのほかの情報は人によって異なったため割愛する。
全ての事情聴取が終わった頃、真夜中を知らせる鐘が鳴った。捜査していた刑事によると、外部からの侵入はなく、参加者の中にも不審な人物は見当たらなかったため、結局その夜は富子が倒れた部屋にいたもっとも怪しい人達以外は家へ帰された。まだ疑いが消えない角倉たちは、文子が手配した館の部屋でひとまず休むこととなった。
館中が眠りにつく中、ただ一人角倉だけは休めずにいた。というのも部屋が綺麗に整えられ過ぎていたのだ。散らかった部屋で眠るのに慣れている角倉は、窓を開けると、月明かりが注ぐ湖に目を落とした。深夜の静かな風に吹かれていると、ふと誰かの叫び声のような、深い苦しみのようなものを感じた。不気味に思った角倉はいそいそと窓を閉めると、ベッドに潜り込んだ。
窓の外で烏が鳴くのが聞こえる。
翌朝、角倉が目を覚ますと窓の外には霧が広がっていた。
全てを包み隠すような霧に鋭い眼差しを向けると、角倉は廊下へと這い出た。朝食までは時間があるようなので、散歩という名の探検に出ることにしたのだ。深みのある赤い絨毯が敷き詰められた廊下を少し進むと、刑事さんが立っていた。夜通し見張っていたのだろうか、目の下に黒いクマが見受けられる。部屋に戻れと言われるのは目に見えているので、刑事を避けながらさらに進むと小さい広間に出た。
広間には重厚な作りの腰掛が一脚置かれていた。その腰掛の上には美しい女性が描かれた絵画が掛けられている。女性は黒い髪を綺麗にまとめ、口元に笑みを浮かべている。その女性と目が合うと、その冷酷な、見下ろすような目に角倉は思わず身震いした。
角倉は逃げるように廊下や階段を進むといつの間にか船着き場にまで来ていた。船着き場では船乗りたちが船を固定していた。しばらく角倉が突っ立っていると一人の船乗りが近づいてきた。だんだん大きくなる日に焼けた顔を見て角倉は気づいた。
(あの失礼な船乗りじゃないか。また難癖付けようとしに来たのか。)
「そこの旦那、そんなところにいると水が跳ねますよ。湖を眺めるなら、どうぞこちらへいらしてください。」
また威圧的な態度で接してくると思っていたが、予想に反して船乗りは丁寧な口調で話しかけてきた。
(そこの旦那だと。ははーん、さてはこの僕を覚えていないんだな。)
角倉はいたずらっ子な笑みを浮かべると、皮肉交じりに返した。
「ははっ、大丈夫だ。今回もちゃんと招待状は持っているからね。」
船乗りの顔が不思議な表情を映し出す。それもそのはず、船乗りが前回見たのはよれよれの二日酔いの兄ちゃん、今目の前にいるのは文子が用意したハイカラなスーツを身に着けたお坊ちゃん。角倉はしばらくその滑稽な表情の移り変わりを楽しんだ。
「えっ、あっ、もしかして、あの時の・・・。その節は大変失礼しました!」
勢いよく頭を下げる様子に満足した角倉は、ついでに富子のことを尋ねることにした。
「富子様ですか?そりゃあもう良くしていただきましたよ。船乗りの仕事は過酷と相場が決まっているのですが、この仕事はお給料も待遇もいいんですよ。富子様はあんなつらい過去があるのに腐らず成功されて。今回のことは本当に可哀想でなりません。」
「辛い過去?」
「あれ、ご存じない?まあお若いから無理もない。十五年ぐらい前にここでお兄さん家族を一気に亡くされたんですよ。殺人事件でまだ犯人は捕まっていないんだって話です。もう大事件だったもので、ここらじゃあしばらくその話で持ち切りでしたよ。」
「それなら少し耳にしたことがある。君はその時もここで働いていたのかい?」
「いやいや、私が雇われたのは十年ぐらい前、ここで働く者は皆大体そんなものですよ。」
「富子さんのお兄さんの時に働いていた人はもう残っていないの?」
「へえ、そうです。たしか富子様がここに移られる際に皆解雇されたらしいです。お兄さんご一家の面影を感じて苦しいからとかなんとか。」
角倉の頬に湿った風がぶつかった。二人が風上へ目線を向けるとそこには一面灰色の世界が広がっていた。
「今夜は荒れますよ。こういう時はセイレーンが出るんです。」
「セイレーン?」
角倉が繰り返すと、船乗りは顔を近づけて低い声で話し出した。
「人魚ですよ。嵐の中でその美しい歌声を聞いたら最後、その船は海に引きずり込まれる。船乗りの中じゃ有名な話で、恐れられています。それにここの湖には昔からいると言われているんですよ。
そういえばお兄さん一家の事件が起きた夜も水辺を散歩していた漁師が見たそうです。美しいけど悲鳴のような歌声を奏でながら湖を泳ぐ姿が。まあ、酔っぱらったあの爺さんの見間違えでしょうけど、へへ。」
船乗りが乾いた笑いを出すと、船を固定していた他の船乗りの怒号が響いた。角倉は船乗りにお礼を言うと来た道を戻った。
そろそろ朝食の時間だ。




