第二話 コトウノヤカタ
一か月後、角倉は水鏡町という町の船着き場にいた。目の前に広がる湖には一つの島があり、その島には大きく立派でどこか人を寄せ付けない雰囲気を漂わせた館が立っている。船着き場は招待されたと見える客でいっぱいだった。
(まさか会場が湖の上とは。)
角倉が館の威圧感に圧倒されていると、一人のしかめ面な船員がこれまた館と同じぐらい威圧的に話しかけてきた。
「招待状をお持ちですか?無いなら乗れませんよ。」
(なんだこいつは)
と内心思いながら角倉は送られてきた招待状を見せた。すると船員は今度はひょっとこのような変な顔をして慌てだした。
「えっ、あっ、持ってるの。しっ失礼しました!どうぞこちらへ。」
(ははーん、さてはこの僕を野次馬かなんかと勘違いしたんだな。なんて失礼な奴なんだ。)
角倉は心の中でぶつぶつ文句を言った。しかしながら角倉の格好は長旅とだらしのない性格のおかげでやつれた着物と下駄。野次馬どころか二日酔いの兄ちゃんと間違われても仕方がない身なりだったが、高いプライドを傷つけられた角倉は大げさに胸を張って乗船した。
船は館目指してシルクの湖面を切り裂いて進む。
やがて館が近づいてくると、それが石造りで両脇に高い塔を抱えた、ヨーロッパのお城のようであることが分かった。館がまとう重々しく、壮大な空気に乗客は皆思わずつばを飲み込んだ。
華やかな服を身に着けた乗客の中でただ一人場違いな雰囲気を醸し出していた角倉はその空気に何か悲しい苦痛を感じた。
孤島に着くと、角倉に一人の女性が近づいてきた。
「角倉様でしょうか?ようこそおいでくださいました。寺門富子の秘書を務めております、村田文子です。どうぞこちらへ。」
その女性は長い黒い髪を一つに束ね、黒い眼鏡をした、ぱっと見地味な見た目の人だった。しかし話し方や所作のところどころに知性を感じさせ、角倉に感じの良い印象を持たせた。資産家の秘書についていく前に角倉はお手洗いに行きたいと伝えた。さすがにこのだらしない、疲れた服装で有名人に会うのは気が引ける。
角倉は持ってきた風呂敷から氷室が選んで持たせた着物と羽織を出して着替えた。ちなみに、角倉はその育ちゆえに一応服はたくさん持っている。顔立ちも悪くないので氷室が選んだ趣味の良い着物と羽織を身に着けると、先ほどの二日酔いのお兄さんから、あら、不思議、育ちのよさそうな坊ちゃんにあっと言う間に変身した。お手洗いから出ると、待っていた資産家の秘書も思わず目を丸くしたほどの変貌ぶりだ。
角倉は館の最上階にある事務所の倍はあると見える部屋に通された。部屋は豪華な装飾で飾られ、何やらいい匂いがした。
「失礼いたします。富子様、角倉様がお見えになりました。」
「あらまあ、角倉先生、ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらにお座りになって。」
部屋の真ん中に置かれている立派な机から一人の中年の女性が顔をあげた。深紅のドレスに身を包んだ女性は角倉を見ると、愛想の良い笑顔を見せて角倉にソファーに座るよう勧めた。角倉が女性と対面するように座ると、先ほどの秘書が紅茶を入れてくれた。
「今日のお召し物もとてもお似合いですわ。角倉先生の知性と勇敢さがよく表されています。」
「はあ、どうも。」
角倉は少し戸惑った。
急に褒められたこともあるが、富子の話し方がまるで古くからの知り合いに対してのように感じられたからだ。記憶がないほど幼いころは分からないが、少なくとも意識がはっきりしてからはこの人に会ったことはないはず。
誰かと間違えているのではないだろうかと角倉は不安になった。しかしなぜ富子がそのように話すのか、答えはすぐに分かった。秘書が紅茶を入れ終え部屋を出ていくと、富子が再び口を開き一気に話し始めた。
「馴れ馴れしい態度を取った失礼と急にお手紙を差し上げましたことをお許しください。私は寺門富子と申します。急に招待状が届いて驚かれたかと思いますが、角倉先生にぜひともお受けいただきたい依頼がございまして。依頼内容は単純です。この後行われる舞踏会にご参加いただき、何か不可思議な行動をする者がいないか見張っていただきたいのです。」
「えと、つまり、私は舞踏会に参加し、そこで見張っていればいいのですね。」
「はい。見張るのに先生が探偵であることが知られては何かと不都合でしょう。先ほどの秘書も含めたこの家の者には勝手ながら、角倉先生は私の古くから知り合いの学校の先生ということにしています。」
「古くから知り合いの学校の先生?だから先ほど私にあのように話しかけたのですね。この家の者ということは見張る対象は秘書や女中も含めた参加者全員ということになりますが、私一人で見張れる人数はたかが知れています。」
「今宵の舞踏会には百何十人参加いたします。もちろん、そのすべてを見ていただこうとは思っていません。その中でもある部屋にいる数人だけでいいのです。時間になりましたら先ほどの文子が迎えに参ります。」
「承知しました。ご依頼、お受けしましょう。それとあの先生はやめていただけませんか?私はたいした探偵ではありませんし呼ばれ慣れていないもので、はは。」
「まあ、ご謙遜を。この前なんかあっという間に迷子だった子猫を見つけ出したとお聞きしましたよ。あっそうそう、角倉先生こちらをお納めください。今回の報酬です。」
富子は美しい厚い封筒を取り出した。
「こんなに頂くような依頼内容ではないのですが。」
「いえいえ、わざわざ先生にはご足労いただきましたから。」
尚も角倉のことを先生と呼ぶ富子に押し切られ、しぶしぶ嬉しそうにその分厚い封筒を大事に懐にしまった。お金はいくらもらっても困ることはない。
その後角倉は富子に案内されるがまま舞踏会が行われる会場に降りて行った。既に参加者は会場に入ったと見えて、入り口には重たい赤い幕が下がっていた。その入り口の近くに一人の男が立っていた。端正な顔立ちの三十代ぐらいの男の胸ポケットからは富子のドレスと同じ深紅のハンカチが顔を出していた。富子は男に親しげに話しかけた。
「勇さん、お待たせ。今日の私はいかが?」
「とても綺麗。首のルビーが霞んで見えます。他の者に見せたくないぐらいだ。」
「まあ、勇さんたら褒めすぎよ。勇さんもとっても格好いいわ。私たちお似合いじゃない。」
(愛人か。まったくよそでやってくれ、胃もたれがする。)
角倉は目の前で甘い言葉をささやきあう二人を見て心の中でつぶやいた。こういった状況は気まずくて苦手なのだ。角倉がその場をそっと離れようとすると、富子が止めた。
「勇さん、こちら私の知り合いの角倉先生。角倉先生、こちらは私の恋人の畑山勇です。」
(まさかの愛人じゃなく恋人、ずいぶんと年の差が、いや、世の中にはそういう恋人もいるか。」)
角倉は表情に思ったことが出ないようにつくろった。勇は口角を上げると角倉と握手を交わした。その時、いつの間にか影のように横にいた秘書の村田文子が声を出した。
「富子様、畑山様、そろそろお時間です。」
「分かったわ。角倉先生それではまた後で。お時間になりましたら秘書の村田がお迎えに参りますわ。」
富子は笑顔でそう言った。




