夢
夢を見ていた。
山の上の城に銀髪灼眼の少年が独り。
最上階の部屋に待つのは魔王だった。
超級魔族の大淫魔である。
携えた銀剣を鞘から抜き払い少年は言う。
「僕があなたを倒して人間の希望にならなきゃいけない。だから……倒させてください」
魔王は首をかしげた。
「どうしてキミみたいな子供が来たのかしら。名前は?」
「エイデン。あなたは?」
「あたしはイヴ・ルヴェリア。超級魔族の中でも五指には入る最強の魔族の一角ってとこね」
玉座から見下ろしてイヴは足を組み直す。
「僕じゃ勝てないっていうんですか?」
「そんなことキミが一番わかってるでしょ。悪い大人に騙されて人身御供にされちゃったのかしら」
目を細める魔王に少年は首を左右に振った。
「僕の意思です。確かに、万に一つも僕に勝ち目はありません。この剣だって聖剣といわれてますが、僕には扱いきれない代物です」
銀剣の柄の端につけられたオーブは無反応だった。
力を持たない人間という種族が手にしても、ただの剣でしかない。
「じゃあ戦うのなんてやめて、あたしと楽しみましょうよ? キミ、結構かわいいし好みの顔よ」
魔王は舌なめずりをしながら少年を値踏みするように見つめた。
「それじゃあダメですから。僕は人間の希望にならなきゃいけない。魔族に蹂躙されるばかりの人間が一丸となって戦うためにも、あなたに挑んだ人間がいたと示さなきゃいけないんです」
「最初から死にに来たんだ。ま、そうよね。魔印を持たない人間なんて、あたしたちからすれば玩具みたいなものだし」
少年――エイデンは銀剣を構える。
「僕はもうこれ以上、魔族に人間が虐げられるのを見たくないんです」
家族も家も町もすべてを失った。
だから人間を救うため。希望になるために志願し、ここにいる。
赤い瞳がじっと魔王の玉虫色を見つめ返す。
「キミってもしかして、すごく良い子かも。うんうん、わかったわ。ここはおねーさんに任せなさい」
「おねー……さん?」
少年はあっけにとられた。
女は玉座を降りる。
ここは魔王が生み出した世界――泡界だ。玉座は消えてベッドに変わり、部屋には財貨があふれた。
「契約しましょ」
「魔族と……契約?」
「エイデン君に教えてあげる。魔族は眷族を増やしたいの。キミがあたしの眷族になってくれたら嬉しいな」
「で、できるわけないよ! 魔族の軍門に降るなんて」
「もう人間は滅びかけてるんでしょ? 遅かれ早かれどっかの強い魔族に支配されて奴隷になるのがオチじゃない?」
「それは……いや、だからこそ僕が希望にならなきゃいけないんだ!」
魔王は少年にそっと近づくと抱擁し、耳元で囁いた。
「もちろんよ。キミが希望になるの。シナリオはこう。あなたは魔王を倒し女神の祝福を受けて、人間に魔印をを持ち帰るのよ」
「魔印?」
「ええ。あたしの眷族になった証ね。どーんと力をわけてあげるわ」
「そんなことしておねーさ……あなたになんの得があるんですか?」
魔王は目を細めた。
「疑う気持ちはわかるけど、あたしのメリットは莫大よ。まず人間という種族全体があたしの眷族になるの。魔族って基本ぼっちだから、家族が増えたねやったねイヴちゃんって感じ」
「意味がわかりません」
「わかんないとこはスルー推奨ね。で、あなたはあたしから得た力を人間に広めていくの。ハーレム作っていっぱい子孫を残していってね」
少年の顔が真っ赤になった。
「は、はははハーレムなんて破廉恥じゃないですか!?」
「破廉恥でもエッチでもいいじゃない。あなたの子孫たちにはあたしの魔印……ううん、そうね! ここはかっこよく聖印にしましょ! 聖印は遺伝していくわ。魔族と違って人間って互換性がありつつも多様性があるし、他の種族とも子作りできちゃうから、きっといろんな力をもった人間が出てくるはずよ」
「はず……って無責任ですよ?」
「しょうがないでしょ。やったことないんだもの。けど、聖印持ちの人間が増えれば魔族にも対抗できるようになる。人間という種そのものがアップグレードされて強くなるわよ!」
少年は魔王を押しのけ剣を構え直した。
「あなたに人間を売り渡せというんですか?」
「ええ! その通り! 言い方は悪いけどね。人間が強くなって、あたし以外の魔族に対抗できるようになると、あたしとしては嬉しいわけ」
「嬉しい……って」
「魔族は自分が住みよい世界を作りたいの。あたしはみんなに愛されたい。人間があたしを愛してくれるなら嬉しいでしょ? 人間も他の魔族に脅かされずに済む。これってWin-Winな関係じゃない」
「変な魔族なんですね。あなたって」
「あっ! んもー失礼だよキミってば」
「ごめんなさい」
「素直でよろしい。ね? 悪い取引じゃないと思うの」
少年は小さく呼吸を整える。
人間という種が終わる前に、庇護してくれる強大な力を引き込むことができれば――
いや、目の前の魔族を本当に信じていいのだろうか。
悪い人……もとい魔族じゃない気もするけど、そもそも自分の独断で決めていいとも思えない。
迷う少年に魔王は告げる。
「キミは今、人間の代表なんでしょ?」
「そういうことになるといえば、そうかもしれません」
押しつけられた役割だとしても、魔王を倒すと全権委任されて聖剣までも託されたのだ。
「だったらキミが決めなさい。あたしと一緒に人間を救うか、ここであたしに倒されて人間を虐げられ続けるだけの種にするか。ところで、あなたが死んで悲しむ人はいないの?」
「家族はみんな魔族に殺されました」
「そう。なら、こっちも遠慮無く戦えるわね。望み通り、キミを人間たちの希望にしてあげる。その命をとして戦い善戦むなしく敗れたかりそめの希望にね」
魔王の背中に翼が開き、蛇のように尻尾がうねると瞳に魔力が満ちる。
気圧されひざまずきそうになりながら、少年は歯を食いしばって耐えた。
弱き者でありながら、必死にあらがう姿に魔王はフッと力を緩める。
少年は肩で息をした。少し本気になられただけで呼吸が止まる思いだ。
自分の力のなさをむざむざ見せつけられた。
それでも――
銀剣は手放さない。
魔王に訊く。
「取引は……対等なものなんですか?」
「原理的には眷族化なんだけど、あたしはそのつもりよ。印の管理者権限を共有するわ。あなたの力を悪用する人間がでたら剥奪もできちゃう感じ」
「はぁ……ちょっとよくわからないです」
「使っていけばわかるわよ。ただ……あたしの力の大半をキミに託すことになるから、あたし自身はしばらく自分で自分を封印することになると思うの」
「封印?」
「ええ。もろもろの影響できっと記憶も意識も、あやふやになっちゃうと思う。けど、キミが迎えに来てくれたらきっと思い出すから」
「僕が迎えに来なかったら?」
「それされちゃうと弱いかも」
「いいんですか? 僕にはあなたが不利な取引をしようとしているように思えるんですけど」
「そうかしら?」
「そうですよ。一方的に力を譲って封印されるなんて……意味がわからないです」
魔王は目を細める。
「だから警戒しちゃってるのね」
「僕が納得できる理由が欲しい。そうすればあなたを……信用します」
少年の灼眼はまだ迷っていた。
魔王は白魚のような指をそっと自身の口元に添える。
「あなたに同情しちゃったのよ。何もかも失い自暴自棄で勇者やらされて、最後は勝ち目の無い戦いを強いられるなんて酷い話だもの」
「哀れみなんて必要ありません」
ピンク髪が左右に揺れる。豊満な胸が少年の目の前に迫った。
剣を構えていたはずが、切っ先が床に落ちてそのままエイデンは魔王にもう一度、今度はぎゅうっと抱きしめられた。
頭を撫でられる。
密着する。体温が伝わる。魔王の包み込む抱擁はただただ、少年には温かかった。
春の日差しを思い出す。
桃のような香りに包まれて少年はハッとなった。
「なに……してるんです?」
「キミが人間の世界にあたしの力を広めたら、最後に迎えに来てちょうだい。それだけが、あたしの望み。願いだから」
「僕を信じると?」
「ええ。そうよ」
少年は――
小さく頷いた。
目の前の魔王は強大な力を持っている。
持っているが故に孤独なのかもしれない。
「わかりました。その契約、お受けします」
「やったー! エイデン君は物わかりがいいわね! じゃあ、誓いのキスね」
有無を言わさず魔王は少年の前髪を手で上げると、額にそっと口づけをした。
彼女の腹部の魔印が輝き、上下左右が反転してエイデンの額に転写される。
「これで契約完了。今のキミならあたしをそのぶっとくてカチカチので貫けちゃうわよ」
「貫くって、あなたに剣を向ける必要はないんじゃありませんか? 人間に力を貸してくれるというなら、僕と一緒にここを出ましょう」
再び、ピンク髪が左右に揺れる。
「今のあたしは弱いわ。キミに守ってもらわないと人間に殺されちゃうの。そうすると託した力もなくなっちゃうわけ」
「じゃあ僕が守ります」
「キミはあたしじゃなくて人間という種の守護者になったんでしょ? あたしはこの『泡界』にセルフ封印されてた方が安全なの。少し眠って力を取り戻すから、その間にいっぱい子作りしなさい。これは命令です」
「けど……それじゃあ……」
「あなたが英雄になるには魔王を倒したっていう箔が必要なんだし、遠慮無くぶち込んじゃっていいわよ! お楽しみはあなたが人間を救って、迎えにきてくれた時に……ね?」
魔王は少年の体を解放すると、ゆったりとした仕草で壁の前に立った。
少年もここで止めるわけにはいかない。
もちろん、迷いというか本当にこれでいいのかという気持ちは残っている。
魔王から与えられた聖印で人々を救い、この力を広めるのにどれほどの時を費やすだろう。
迎えにこられないかもしれない。自分の代で無理なら、この役目は彼女の望む「子孫」に託すことになる。
玉虫色の瞳が銀剣を注視する。
「その聖剣をあたしたちの契約の証にしましょう」
「証にするって……僕はどうすればいいんですか?」
「剣であたしを封印したってみんなに伝えればいいわ。キミが抜いてくれるまで、聖剣が守護者になるの。あたしを見つける目印みたいなものね」
「他に方法はないんですか? あなたを犠牲にするみたいで……心苦しい」
「気持ちだけで十分よ。あたしに優しい言葉を掛けてくれる人なんていなかったもの。さあ、行ってらっしゃい。あなたはあなたの守るべき世界を作り上げて、いつかあたしを迎えに来てね」
エイデンは銀剣に魔力……いや、聖力を込めた。魔王から与えられた力だが、彼女ならきっとそう名付けるだろう。
剣の刃に銘が浮かぶ。
聖力絶倫――
「必ず……戻ります」
「うん! 楽しみにしてるわ! 次に目が覚めた時、あたしはちょっとぽやっとしてるかもだけど、キミの聖印を見ればきっと思い出せるから」
聖剣を構えて少年は頷いた。想いとともに銀の刃の先端を突き入れる。
聖剣は女の柔らかい腹をたやすく貫通した。
壁に貼り付けられた格好で魔王は白く美しい大理石像のような姿になる。
エイデンの額には魔王から授けられた聖印が煌々と光り続けていた。
そうか。イヴはずっとエイデンを待ってたんだな。
けどリンの話じゃもうエイデンは死んでる。
つーかよ。
この国の最初の王様の名前だよなエイデンって。
そもそも国名だって……ルヴェリア聖王国だ。
国教とか女神教団って、もしかしてイヴを祀ってんじゃねぇか?
でだ。
俺の額に浮かんだのがエイデンの聖印と同じなら……。
銀髪灼眼だけじゃなく、受け継いだってことならさ。
俺がイヴと再会して解き放つのは、もうずっと千年も前からの約束だったのかもしれん。
この夢がどこまで本当かはわからんけど。
視界がだんだんと白く染まって意識が再び遠のく。
いや、戻っていく感覚がした。




