覚醒
少し離れたところでクロエが立ち尽くす。
鎖を腕に巻き直し、半獣化を解くなり、ぼそりと呟いた。
「ダーは股間に竜を飼う男であったか。これは教団に報告し冒険者ギルドにも広めねばならんな」
「おいやめろ! 変な噂を広めるんじゃねぇよ!」
「噂ではない。事実だ」
キリッとどや顔をするクロエ。
が、俺に向かって飛び込んでくる。
急にどうした? と、思ったのもつかの間。
「避けろダー!」
反応が遅れた。
俺の背後で巨体が蠢く。
振り返る。
そこにいたのはフォーボスだ。
白く染まった体は黒く戻っていた。
カメレオンや水中のタコみたいに擬態して、死んだふりをしてやがったんだ。
ここまで思考を巡らせるよりも早く――
クロエが体当たりをして俺を突き飛ばした。
つかの間――
フォーボスの拳がクロエの胸を貫いた。
聖印ごと。
あまりに突然だった。
あっけなさ過ぎる。
フォーボスが舌打ち混じりに嗤う。
「チッ……嬢ちゃんの恐怖を喰いたかったんだが、まあいい」
イヴが声にならない悲鳴をあげた。
俺は受け身もとらず転がりながら地面を蹴り、リンを手に呼ぶ。
銀剣が舞い戻った。振るう。クロエを貫いたフォーボスの腕を切り飛ばす。
分断されたフォーボスの腕が、今度こそ白化した。
「イヴッ! クロエを治癒してくれッ!」
「無理よダーリン! だって……もう……命が……」
「お前なら出来んだろ!? 俺の傷だってあっという間に治してくれたじゃねぇかよ!」
叫びながらフォーボスを斬り刻む。が、こちらの攻撃を上回る再生速度でますます異形化するばかりだ。
角のある頭部を引っ込めて厳重に守ってやがる。
「仲間の死に絶望しろ小僧」
「まだ死んじゃいねぇよ」
普通なら即死だ。けど、クロエほどの使い手がこうもあっさり死ぬはずがない。
それにイヴなら……イヴなら治療できるんだ。
フォーボスは銀剣に斬り刻まれながら勝ち誇る。
「失いたくなければ最初から得るな。望むな。手にしたものはすべて壊れる。それがお前なんだよクソガキ」
呼吸が荒い。自分の心音がやたらと大きく感じた。
クロエは……死んだのか。
本当に。
なら俺が殺したようなもんだ。
かばわれるなんて……なんでそんなことしたんだよ。
おかげで助かったって言えるのも、思えるのも、お前が生きててくれればこそだ。
視界がぼやける。それでも目の前の敵を斬り刻み続ける。
「ダーリン泣かないで」
俺はぼろぼろに泣いていたらしい。
「……救う方法……あるかもしれないから」
イヴが言う。そばに駆け寄りしゃがむと動かなくなったクロエを聖母のように抱きしめ、いたわるようにしてサキュバスは続けた。
「あたしの命を……クロエにあげれば……」
選べって……いうのか。
「だめだ。それだけは」
「でも……ダーリンが救ってくれた命だから……望むなら……」
戦いながら首を左右に振る。
フォーボスの野郎は、腕だけじゃなく触手まで生やして反撃してきやがった。
銀剣を手にして舞う。触手を切り飛ばしイヴを守る。
「なら俺の命も半分やるよ。寿命でもなんでも。そういうわけにはいかんのか?」
そう都合良くはいかんよな。
けどよ……俺をかばったクロエを救うのに俺がなんもしないわけにもいかんだろうが。
目の前でぶくぶくと膨れ上がるフォーボスの肉塊が愉快げに震えた。
もはや弱点の角を肩だの腕だのの筋肉が丸く包みこんで、完全防御体勢だ。
腕だ足だ尻尾だ触手だのを生やしまくり、攻撃の手は緩めない。
「なにするつもりか知らんが、いつまで続くかねぇ? こっちはまだまだ食らってきた連中のパーツがいくらでもあるんだぜぇ?」
イヴがうつむいた。
「ねえダーリン……ううん。ダリン・イサリビ」
普段のおちゃらけたトーンが消える。
背筋が寒くなるような威圧感をサキュバスは放った。
今まで遭遇したどの魔族よりも恐ろしいと感じる。
恐怖を煽るだけのフォーボスとは比べものにならない。
もっと根源的でひざまずきたくなるほどの畏怖だ。
「どうした……イヴ?」
剣を振るいながら聞き返す。
彼女は静かな口ぶりで続けた。
「封印されてたから、どうしてそうなったのかはわからない。けど……あなたの聖印は誰かに削り取られて封印されてしまったの」
「それで……?」
「あたしなら元に戻せる。完全ではないかもしれないけど、復元できる。あなたは強大な力を得られるわ。目の前のちんけな魔族なんて問題にもならないほどのね」
「もったいぶるんじゃねぇよ。こっちは今、手一杯なんだ」
「クロエを救ってフォーボスを倒す。もちろん……あたしも犠牲にしない」
「俺の支払う代償はなんだ?」
なんだろうと、もう俺の心は決まっていた。
魔族は言う。
「力を解放したら、あなたが恐怖そのものになるかもしれない。すべての人間がひれ伏しひざまずく。きっと、今まで以上に孤独になるわ」
俺の旅のきっかけ。
それは故郷で世話になったガフマンのじじいを、村の一員に戻すためだった。
俺がいるから村八分にされてたようなもんだしな。
こっちはこっちで、受け入れてくれる場所を探すって決めたセルフ追放。
世間知らずの俺だったが、島の中以上に外の世界は世知辛い。
まともに会話できる人間の方が少なかった。
それでもどこかにあるかもしれない、俺を受け入れてくれる場所を探す――
イヴの言葉が本当なら、俺の旅の目的は果たせなくなる。
誰からも怖がられるような力を得るんだもんな。
「かまわん。やってくれ」
「本当にいいの?」
「お前が俺に言ったんじゃあねぇか。居場所は作るものだって」
出会っちまった以上、クロエはもう他人じゃない。
俺と世界の境界線があるとしたら――
イヴもリンもクロエも「内側」だ。
ここが居場所なのかもしれない。
譲れねぇよ。この一線だけは。
たとえこれから先、外の世界とのつながりが全部閉ざされても後悔はしない。
きっと、見つけたこの「内側」を失うことの方がつらいから。
クロエを優しく横たわらせて、イヴは俺の背後に立つと、そっと腕を回して額に触れた。
癒やしの力が傷を消し去り復元する。
なんだよ。自分の顔なんてまじまじ見ねぇし気づかなかった。
前にクロエが言ってたんだよな。
俺の体のどこにも聖印が無いって。
ここだったのか。灯台もと暗しってやつだ。
コメディとシリアスの温度差よ……




