4話 ゴブリンと学ぶ『ラ行』の発音練習
スープらしきものを持ってきた冒険者を見て違和感を覚える。
鎧は脱いだようで簡易的な鎧下に鎖帷子を着ていたが何故か兜は被ったまんまだ。
兜は顔を全体を覆っておりくちばしの様に尖っている。
顔を覆う金属に付いている覗き穴用のスリットからは表情を窺うことはできない。
まるで誰かに顔を見られたくないように…。
上半身はラフな格好なのに顔は無機物で覆われている姿が異様な雰囲気を漂わせている。
わざわざ真夜中でしかも休憩中で被ってるということはワケありなのだろう。
オレにとってはどうでもいいことなのだが…
だが顔が見えないというのはここまで不安にさせるものなのか。
そう考えているうちに皿が目の前に置かれてスプーンも用意されたが食べる気にはなれなかった。
【本能】は〈腹減った!早く食べたい〉と騒いでいるが【理性】で抑えつける。
奴から発せられる異様な雰囲気に押されてしまったりまだ身体がうまく動かせないのもあるが…
あまりにもゴブリンを軽視して隙だらけだった為、却って警戒を強めてしまったのだ。
とはいえ身に着けてる剣帯に短剣が装備されていたのもある。
本来は敵同士で相容れることないので決して油断しない方が良いのだ。
-ゴブリンとは、人から良心と倫理を除いた人の欲望とされる魔物だ。
自分が一番で最も優れてるという利己主義に基づいて行動し
弱者を虐める一方で、強者を見かけたり命の危険を感じるとすぐに逃げる臆病者である。
そう、こうやってゴブリンに親切にしても恩義を感じず隙あれば寝首を搔こうと虎視眈々と狙っている屑野郎だ。
それにも関わらずゴブリンであるオレに助けて食事まで与えるとはとんだお人好し過ぎる。
以前のオレだったら本能に基づいて食事をとった後、寝込みを襲って殺して略奪して巣穴に帰るだろう。
人間の記憶と知識があるにも関わらず【血】がそう囁いてくるんだからどうしようもない。
「どうした?食べないのか?」
兜を被った冒険者は首をかしげてオレの方をじっくり見てきた。
ここであえて目を逸らす。
警戒してたもあるが恩を仇で返す思考をしてしまい申し訳が無いのもあったからだ。
「ハァー、やっぱりバイザーで警戒されたか。ちょっと待ってろ。すぐに押し上げるから」
ため息をついて軽く首を振ってやれやれと言わんばかりに自嘲したかと思うと
オレが警戒してるのを察したのかバイザーと呼ばれる物を押し上げ始める。
そして、バイザーを完全に押し上げたのを確認し覗き込んで何故奴が顔を隠していたか理解することとなる。
まず目に入ったのは口の下半分と首の一部が痣らしきもので覆われている。
火傷なのかは分からないが傍から見てかなり痛々しい顔であった。
また、右まぶたに軽い傷があり激戦を生き抜いてきたこと察することができる。
まるで宝石のような淡い碧眼があり覗き込む全ての物を見据える眼力がある。
うん、どう見てもゴブリンを軽視する新人冒険者には見えなかった。
この後、奴はスプーンをもって謎のジェスチャーを繰り返したがそれが『食べさせたあげるから口を開けて』という意味を理解するにしばし時間が掛かってしまった。
気付いた瞬間、腹が鳴り今まで何も食べてこなかったのを思い出したオレは
背に腹は代えられないので口を開けて食べさせたもらう。
どうせなら絶世の美女にあーんして欲しかったがゴブリンじゃ無理なので早急に思考を振り払う。
「まさかゴブリンに助けれるとは思わなかったよ」
スープを平らげて満足そうなオレを見て笑みで頭を撫でながら話しかけてくる。
正直、頭を撫でれるのは違和感があったが悪い気がしないのでそのままじっとしている。
「しかし、格上の森牙狼を倒すとはただのゴブリンじゃないな」
そういって右手の指を立てて傍で転がっている物体を指す。
指が示す物体をよく見ると焦げている森牙狼だった。
頭の上でクエスチョンマークが出た気がする。
いやだって、オレは噛み付いて抵抗しただけで『火炎魔法』で焼いた覚えなんてない。
せいぜい片目を潰したが反撃されて巨体でこちらが押しつぶされそうになり意識が飛んだからだ。
間違っても焼いてないしそもそも『あいつ』は『火炎属性の耐性』があったと記憶している。
いや、前世の記憶で曖昧だと思うがそれでもゴブリン程度じゃ勝てない相手だった。
てっきり獲物であるオレに夢中な【間抜け】に不意打ちを仕掛けて討伐したのかと。
考えれば考えるほど新たな疑問が生じて頭が痛くなってくる。
湧き出る疑問は、次の一言で解決されることになる。
「噛み付いて電撃を放つとは思ってみなかったよ。上位種のゴブリンは『電撃魔法』を使うのは知っていたがそれを見るのは初めてだよ」
「あの凶暴で鋼より硬い巨体が断末魔を上げてすぐに死んだのは圧巻だった。ゴブリンってすごいんだな」
いやいや、ゴブリンにそんなことできないから!
ゴブリン祈祷師ならともかくただのゴブリンにできないから!
だから目を輝かせてこっちを見んな!なんか申し訳なくてしまうわ!
「気のせいじゃないのか?何者かが遠くから『電撃魔法』を放ったんじゃないのか?」
「いや、間違いなくお前が放っていた。現にお前は負傷してるとはいえ電撃を浴びてたのにピンピンしてるじゃないか」
オレが考えた説は、即答で否定されてなんとも言えなくなる。
確かに意識を失うまで噛み付いていたが…『電撃魔法』なんて覚えた記憶はなくそもそも魔法を覚えてないので意識することもなかった。
もしかして落雷のショックで『電撃魔法』を使えるようになったとか。まさかな。
と、もう少し詳しく訊く為に話しかけようとして口から声を出すのを止めて息を呑む。
恐る恐る顔を覗いてみる。
相手も事の重要さに気付いたようだった。
【ゴブリンが人語を喋った】
その事実がその場の空気を凍り付かせた。
あまりにも静かで背筋が凍り付く感覚がし自分の犯した失態を深く認識させてくる。
「おい、今、人語を喋ったよな?」
思わず顔を背けて口笛を吹く。
しかし、吹いたことが無い口笛は『ヒューヒュー』と空しく音を立てる。
もちろん、誤魔化せるわけもなく下顎を掴まれて無理やり顔を覗き込まれる。
「オッドアイの時点でただのゴブリンじゃないと思ったが一体何者なんだ?」
ああ、【沈黙は金】というがこれはどう足掻いても逃れられないな。
【本能】は〈そいつの剣帯から短剣を抜き取り反撃しろ〉と騒いでいるが
普段使わない頭をフル稼働させた結果、技量からこっちが逆に返り討ちに遭うと考える。
深呼吸し落ち着かせてこちらから話を切り出すこととした。
「そうだ。何か問題でも?」
「いや、そんなことはないが…。でもゴブリンが人語を話せるとは」
飽きれた顔であたかも【ゴブリン界の常識】と言わんばかりの口ぶりが功を奏したようだ。
「なんで人語を話せるんだ?人間だって教えられないと覚えられないのに」
話題を【人語を話せるゴブリン】という【珍獣】から【言語を話せる理由】にうまく逸らせたのは不幸中の幸いだといえる。
間違っても珍獣として売り飛ばされないように誘導する必要もあるが自分が人類に害をなす【変異種】じゃないことをはっきり示さないといけない。
まずオレが前世は人間であるということと敵意が無いのを明確に示さなければ身の保証はできないとすっからかんの頭脳が判断する。
幸いなことに話の主導権はこっちに傾いてきたのでここから畳みかけるとしよう。
ちょうど身体が思い通りに動けるようになったので手を振り払って勢いよく立ち上がり親指を立て自分に向けて胸を張る!
こういう時は、身体を使って宣言してインパクトで押し切るのが一番だ!
深呼吸してひと呼吸おいてからオレは宣言をする!
「だってオデェは前世の人間としての記憶と知識を受け継いだ『ゴブギィン』だから」
あれだけ緊迫感があった空気はオレの失態で薄れてしまった。
重要なセリフを噛んでしまい空気が微妙な感じになったなオイ。
「…『ゴブギィン』なんだから ゴ 『ゴブギィン』だからあぁ!!」
うう、滑舌が悪くて『リ』が発音できない…。
やめろ!そんな哀れむような顔でオレを見るな!
仕方ないだろう!普段ゴブリン語だったのに急に人語を話すことになったんだもん!
いきなりスムーズに話せるのがおかしいんだよ!だからそんな顔をするなよ!
と思ったら人語以前にゴブリン語も滑舌が悪くて同族に馬鹿にされてたのを思い出した。
「畜生めぇ!!」
オレが主演の一世一代の晴れ舞台は華麗に決まらず滑って終わった結果になってしまった。
ゴブリンらしいと言えばそこまでだけど。
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【ゴブリンと学ぶ『ラ行』の発音練習】
オレは冒険者と向かい合って座っている。
どうしてこうなっただろう?
いや、なんでこうなっただろう!?
あの後、どうしても『ラ行』をうまく発音できなくて途方に暮れていたら肩をつかまれた。
何事かと思い慌てて顔を覗き込んだ。
「ラ行の発音練習をやろう!」
それはとっても笑顔だった。
まるで有無を言わせずにオレを従わせるような不気味な笑顔だった。
そして今に至る。
「いいか!『ラ行』は意識しようと発音すると失敗しやすい。だから最初は力を抜いてゆっくり発音すると良いと思う。よし『ラ』から練習してみようか」
まるで長年前線から退いた教師が久しぶりにできた教え子に教育するようにウキウキしてる姿を見て抗議する気力も失ってしまった。
「まず舌を上の歯茎の裏に軽くつけてみよう。そして舌を弾くように…『ンッラァ』とやるんだ」
オレはそういわれて舌を丸めて歯茎に当てて発音しようとして不可思議な事に気付く。
良いから早くやれよ!という視線があるがそれでも我慢できないのがある。
「おいちょっと待って!ゴブギィンが『歯茎』なんて単語を知ってどぅわけないだろう!?」
「でもあんた知ってんじゃん!」
…なんだろう。
こいつと口喧嘩して勝てる気がしない。
不本意だがこれ以上の反論は無意味と判断してしぶしぶ発音練習に戻る。
「Да!」
「違う!『ダー』じゃない!『ンッラァ』だ。舌をちゃんと歯茎に付けて弾くようにやるんだ」
「Ура!!」
「おしい!ちょっと『ラ』の発音を意識し過ぎて力み過ぎてるぞ。あと『ウ』はいらない」
…なんだろう。
発音練習をしてると、見たことが無い筆髭おじさんがにっこり微笑んでるのを思い浮かべる。
両手にはそれぞれ鎌とハンマーをもっており何故かこっちに渡そうとしている。
こんな人と接点あったっけ?
…と深く考えても頭が痛くなるだけなのでオレはがむしゃらに練習をする。
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「ラ、リ、ル、レ、ロ!」
よし、うまく言えた。
時間をかけて練習した甲斐があった。
どれくらい練習したか分からないが夜はまだ明けてないのでそれほど時間は経過してないだろう。
ふと【教師役】を見れば感動して涙を流しながら拍手をしているが…泣くほどか?
まあ、いい!あとは実践あるのみだ!
「オレはゴブリンである。名前はまだ無い。なんで電撃魔法が使えるようになったかとんと見当もつかん」
「オレの目標は、長生きして天寿を全うしたいな…と思っている。具体的な計画なんてない」
「とりあえず滑舌が良くなったのでコミュニケーション能力は上がったと自負している」
おお!スラスラ言えて感動する。
ただのゴブリンだった時も滑舌の悪さで同胞に馬鹿にされたから発音練習は悪い事じゃなかったな。
よし、感謝の言葉をしてお別れをしようと冒険者に目を向けたら真剣な眼差しでこちらを見ている。
何事だと息を呑んだ。
「そうか名が無いのか。名前が無いなら私が決めちゃっていいか?」
「えっ?」
気の抜けたオレの声は辺りに反響することもなく消えていった。




