変身
「それは道具がいるねえ。和友を呼んでもいいかい?」
ぎくり、と体が硬くなった。
「前にも話したと思うけど、あの人とは長~い付き合いだし信用はできるよ。どうせ取らなきゃならないなら、さっさと取って楽になった方がいい」
ジネさんの言っていることはわかる。自分でもこんなものは早くとってしまいたいと思う。だけど。
ぼくは和友さんを避けていた。今のぼく――つまり六、七歳児体型のぼくでは、いざという時に敵わない。逃げられない――そう思うだけで体が震えた。やっと自由になったのに、また捕まったら、そんなことは考えたくないのに、そんなはずはないと思うのに、自分が人間の前に出られる気がしない。どんなにジネさんが信用できると断言しても、信用するな、と体が叫んでいる。
この首に着けられた輪を取りたい。自由になりたい。今すぐにでも。でもあの人に会いたくない。捕らわれたくない。もう二度と。
「ぼく――」
どう言っていいかわからない。息が苦しい。膝の上で硬く手を握った。
その手に、アンジェの手が重なった。
「手を握っててあげる。目をつむっていればいいよ」
勇気が出ますように。そんなアンジェの優しい気持ちが伝わってきて、ぼくは息を吸い込んだ。大きく息をする。できるような気がした。アンジェがいてくれたら。
ぼくは小さく頷いた。アンジェには助けられてばかりだ。
次の日、いつものように庭まで様子を見に来た和友さんに、ジネさんがサンルームの入り口でぼくのことを説明する間、ぼくは植物の間からじっと和友さんの様子を観察した。隣で手をつないでいてくれるアンジェがいなかったら逃げ出していたと思う。五十代くらいで、白髪交じりの髪は短くて、目じりには深いしわが刻まれている。
和友さんは僕たちがいるほうにちら、と目を向けてから手招きをした。
「トゥーマ、行こう」
アンジェが言って、ゆっくり足を進めた。手を引かれてぼくもゆっくり前に出る。心臓が嵐のように脈打っていて、胸から飛び出さないのが不思議なくらいだ。足はともすれば止まって、後ろ向きに駆けだしてしまいそうで、どうにか自分を進ませることができるのは繋いだ手からアンジェの自信と安心の感覚が伝わってきているから、それだけだ。
サンルームの出入り口の奥にぼくの姿を見た和友さんが驚いた顔をした。アンジェとジネさん以外の、人間の視線が自分に向けられているだけで怖くてたまらない。和友さんの視線が半分包帯を巻かれたぼくの顔から首に固定され、体が少し前かがみになって、白いものが交じった眉が寄った。そこに深く刻まれた溝に、激しい怒りを感じて立ち止まると、アンジェが握った手にぎゅっと力をこめた。
「和友さん、顔が怖くなってる」
アンジェに言われて、和友さんははっとしたように体を起こした。
「ああ、悪い悪い、ちょっと驚いて……いや、ひどいことをする奴がいるもんだ」
そう言って二歩下がった。自分から離れてくれたことに少しほっとした。
「首だしな。グラインダーっつーわけにはいかねえだろうし、手動か? 鉄筋カッターで切れるか? とりあえず取ってくるわ」
そう言って乗ってきた軽トラックで出て行く。
ぼくは力が抜けて、サンルームの長椅子に座り込んだ。ものすごく緊張していた。
和友さんは先端がコの字型になった重そうな工具を積んで、一〇分くらいで戻ってきた。
重そうな工具を見て体が固まる。
あんなもので殴られたら――。そんなことにはならない、そんな人じゃないはずだ。必死で自分に言い聞かせたけれど、体が震えた。
「家の中のほうがいいかもしれないよ。できるだけリラックスして、座っていたらいいさ。アンジェが隣にいれば気も楽だろうし。」
ジネさんが言う。
「そうだな……さっさと取っちまおう」
そう言うと、和友さんがぼくに手を差し出してきた。
「ほら」
大きな手に思わず身構えたけれど、和友さんはそのまま待っている。ぼくはゆっくり、本当にゆっくり手を伸ばして、そっと和友さんの手に触れた。
温かい。この人は、強くて、穏やかだ――。自分を偽ることのないまっすぐな気質。和友さんの手がぼくの手を包んで軽く握る。ぼくを見て頷いた。さっきまで感じていた恐怖が引いていく。
アンジェに引っ張られるようにして居間のソファに戻ると、ジネさんも和友さんもついてきた。ジネさんに鉄の輪を少し持ち上げるように頼んで、カッターを持ち上げる。金属で押さえつけられていた体がふっと軽くなった。
ぼくはゆっくり息をする。和友さんに悪意がないことはわかったけれど、黒い刃を見なくて済むように目をつむった。
ガチ、と刃が当たった音がしてぐっと力が込められた。そしてもう一度。
絶えず首のどこかしらに触れていた冷たさがなくなった。
「もういいぞ」
そう言われて目を開けると、アンジェが二つに切断された黒い鉄の輪を持って笑っていた。
「うわあ、これ、重い! 大変だったでしょ、こんなのつけてたらお風呂でも溺れそう」
アンジェの率直過ぎる言葉に、和友さんが噴き出して「ずいぶんな感想だが、そのとおりだな」と言い、ジネさんも笑った。
取れた鉄の輪と一緒に、心がすっと軽くなったのがわかる。耳慣れないかすれた声が聞こえて、ぼくは自分が一緒に笑ったことに気づいた。
がちがちに固まっていた体が、笑いと一緒に解けていくような感覚。重さからも硬さかも冷たさからも解放されて、ぐぐっと伸びをする。
「え?!」
アンジェが驚いたような顔をしてこっちを見た。
となりではジネさんも似たような顔をしている。
「おわ?!」
和友さんまでが素っ頓狂な声をだした。
「え? えええ? 何? トゥーマ!?」
目を丸くした確認アンジェに確認するように呼ばれて、ふと視線をおろすと、さっきまでアンジェに握られていた小さくて細くて頼りなかった両手は、アンジェの手よりも一回り大きい――記憶にある、地上に堕とされた時の自分の手の大きさになっていた。
「ええ?! 何!?」
自分も驚きの声が出た。立ち上がり、慌てて脱衣所の鏡に走る。はたしてそこに映ったのは、髪も瞳も真っ黒ではあったけれど、十三歳くらいの――地上に堕とされた時の自分の姿だった。
「育った……?」
ペタペタと自分の腕や顔に触れる。何がどうなったのかわからない。もと通りとまでは行かなくても、とにかく地上に堕とされたときと同じくないまでは大くなった。
ほっと息を吐く。
「ははっ」
また笑いが込み上げてきた。
さらに小さくて弱い姿になったことも罰なんだと思っていた。人間たちの憎悪の中で小さい姿で生きることが自分に課せられた罰なんだ、と。怯えてばかりいたけれど、そうじゃないんだ。怯えて小さくなっていたから、ぼくも小さくなっていたのかもしれない。隠れていられるように、できるだけ小さな姿になっていたのかもしれない。
ほっとしたと同時に、さっきのアンジェたちの反応を思い出した。
マズい。
そっと脱衣所から顔を出すと、居間から出ていたアンジェの顔がひょいっと引っ込んだ。ジネさんは大丈夫だと思うけど、何も知らないアンジェと和友さんはものすごく驚いたはずだ。
うまい言い訳なんて考えつくはずもなく、ぼくは初めてこの家に入った時と同じように、そっと足音を忍ばせて居間に入った。
今日も、ありがとうございます(*^^*)




