安堵
肩に手を乗せるように引っぱり上げられて、自分より小さいと思っていたはずの少女の身体が自分よりずっと大きいことに気がついた。
驚いていると、つかまれた手から一気に温かいものが流れ込んできた。ズキズキと刺すように痛んでいた背中の痛みがすっと引いていく。それと同時に伝わってきたのは悪意のない、心配する気持ちとほんの少しのいらだちだった。
「行くよ」
痛みから解放されてほっと安堵の息を吐く。体に力を入れることができるようになった。
「ゆっくり×××××」
そう言われて歩きだす。すぐに息があがった。背中の痛みは和らいではいたものの、ただでさえ重く感じていた体は鉛のようで、坂道は延々と終わりがないように感じられた。自分は完全に役立たずのお荷物状態で、途中からは足に力も入れられない有様になった。ほとんど担ぎ上げられるように連れて行かれる。
よっぽど重かったろうに、歩き続ける少女の心には曇りがなかった。それに悪態の一つも吐かない。
がんばれ、負けるな、もうちょっと。
がんばれ、負けるな、あと少し。
心の中でそればかりが繰り返されていた。
家らしきところにたどり着いた時には少女もくたくたで、二人して入口らしいドアの前に座り込んだ。少女の手が離れた途端、温かい流れが消えて刺すような背中の痛みが戻ってきた。この人間はどういうわけか癒しの力を持っているらしい。そしてどうにか自分を保っていられたのがこの少女のおかげらしいことに気づいた。
少女の手が離れると、もうどうこのままでいいからここで眠りたい、という思いと背中の痛み以外は何も感じられなくなった。
そのまま欲求に身を任せようとしていると少女が立ち上がり、こちらに手を伸ばした。
「中に入ろう。××××洗って××怪我を見せて」
家の中に入ると言われたのがわかって、思わず体が硬くなった。囚われていた自分にとって、ここはやっと出た外だったし、外なら、すぐに逃げられる――少女の表情から悪意がないのはわかったけれど、入りたくなかった。小さく首を振って拒否を示す。
「××、×××××××××××」
よくわからないけれど、中に入るように言われたのだと思ってもう一度、今度ははっきりと首を振る。
少女が首を傾げた。
「×××××××××? ××、×××××××××」
どうしても入らないといけないのだろうか。今の体力を考えると、無理やり引きずり込まれたら抗えない。建物の大きな窓からはたくさんの植物が見えている。他に何があるのかは見えない。
「×××入りたくないの?」
入りたくないと伝えたら、入らずに済むのだろうか。それとも、この少女も怒って叩いたり蹴ったり、ひどいことをするだろうか。そう考えていると少女が言葉を続けた。
「××、ここで洗う? ×××××××、×××××××××××冷たいよ?」
途中何を言われたのかはわからなかったけれど、入らなくてもいいと言っているのはわかったので頷く。
少女が先に部品のついた長いロープのようなものを持ってきたので思わず身をすくませたけれど、それは中に穴が開いていて、先についている部品を使って水を流すためのものだった。こちらの様子をうかがいながら、足先からゆっくり水をかけていく。
かなり冷たかったけれど、疲れ切っていたのでされるがままになっていると頭に手が触れた。押さえつけられた記憶がよみがえって体が震えたけれど、そっと触れられた指先からはまた温かいものが流れ込んできた。
少女が謝ったのがわかる。ただ心配しているのもわかった。
謝られるようなことじゃないと伝えたかったけれど、伝え方がわからないのでただ首を振った。この少女は危害を加えるような人間じゃない。さっきから伝わってくるのは優しさだけだ。そう気づいた途端目の奥がじんと熱くなった。
「×××流す××、上向いて?」
そう言われてどきりとした。さっき海岸で見た驚いた顔と、自分の顔が醜いことを思い出す。人間なんてどうでもいいはずなのに、この少女に怖い思いをさせたくない。そう思った。
少女はどうにかして上を向かせようと声をかけてきたけれど、やめておいた方がいいと思った。
少女が早口になる。何を言っているのかわからないけれど、諦めてはいないようだ。どうしたものかと思っていると服を脱ぐように言われたのがわかった。ぎょっとして思わず布を握りしめる。少女とはいえ、目の前にいるのは異性だ。
それともさっき悪意がないと思ったのは錯覚で、これからいろいろ調べられてまたひどい目に遭わされるのか――血の気が引いていく。
恐怖に顔をあげると、少女は首につけられた鉄の輪を指さしていた。外すように言われたらしいけれど、外せるものならとっくに外しているし、それよりも何よりも服は脱ぎたくない。首を振って服を握った手にできるだけ力をこめてみたけれど、か細い自分の指が何とも頼りなかった。
少女が息を吐いて何か言った。よくわからなかったけれど、服は脱がなくてもいいと言われたのはわかった。さっきの水をかけるものを持ち上げてこちらに見せるようにしていて、やはり悪意はないように見える。
「××××いい?」
また水をかけると言われたのがわかったので、頷く。少女があきらめたように小さく息を吐いた。手元に突き出した棒のような部分を握ると、今度はさっきよりずっといきおいよく水が迸り出た。冷たい水が体に当たって思わず声が漏れたけれど、我慢する。
抗おうにも、もう腕も上がらないほど疲れていた。
少女は水の量を増やして一気に洗うことにしたらしい。それでも顔は少しだけ水量を押さえて下から、背中の傷は手のひらにすくうようにそっと洗い流してくれた。絶えずこちらを心配している。
流し終えると大きなやわらかい布でくるまれた。顔と背中はそっと押さえるように、それ以外は力強く、服の上から拭かれている。時折触れる手から、また温かいものが流れてきて、少女の心には変わらず悪意がないことがわかる。この布で水分を取るのに邪魔だから、服を脱いでほしかったのだな――どうやらここは安全だ。ほっと息を吐くと、どっと疲れと睡魔が襲ってきて、ついに思考を放棄した。
温かいものに触れていた。優しく、やわらかく、温かい。
離したくなくて抱え込み、頬を寄せると、その温かいものがふんわりと広がって優しく頭を撫でてくれた。
もう大丈夫。ここは安全だ。怖くない。
次回は、アンジェ視点に戻ります。
少し書き溜めて整理してから続きを載せます。




