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【第五章】極限の疎開生活と、復興の食卓を支えた日々 —  進

 昭和10年(1935年に誕生した進。長兄・健次の出征と戦病死という大きな影の中、進は幼い弟である博〇を伴い、兄弟で激化する戦火を逃れることとなった。


 空襲が迫る姫路の市街地を離れ、進が弟の手をしっかりとしがみとらせて疎開したのは、母・せきの実家がある神崎郡長谷村川上(現・神河町)であった。そこはまさに昔話の世界そのままの光景が広がる場所であった。茅葺き(わらぶき)屋根の家に入れば、中央には温かい火を絶やさぬ囲炉裏があり、土間には煙を立ち上らせるかまど、風呂場には薪で沸かす五右衛門風呂が鎮座していた。電気の灯りはなく夜はランプの灯りで過ごし、山深くから引いた竹の樋(とい)を伝う冷たい川の水が生活を支えていた。蒸気機関車を降りた駅から何時間も急な山道を歩き続けてたどり着く過酷な環境ではあったが、この古き良き日本の佇まいを残す山村での暮らしが幼い兄弟の命を守り抜いた。


 戦後、姫路の街へ戻った進は、「姫路中央市場」の鮮魚・水産加工品を扱う卸売業者に勤務。高度経済成長期の市民の食卓へ新鮮な食材を届ける現場で情熱を傾け、やがて工場長として部下を率いる頼もしい柱へと成長していった。そして司書として図書館に勤務していた真知子と婚姻を結び、1960年代にY家の次代を担う長男・長女を授かったのである。


 戦後、復興を遂げた姫路の十二所前町のY邸。その家は小さな前庭と裏庭のある4DKの間取りであったが、そこは実に賑やかで温かな家族の城となった。家には祖父母となった梅太郎・せき夫妻、進・真知子夫妻と子ども、妹の和〇、そして戦時中の疎開の恩義に報いるために下宿させていたYN家の子息(弘〇、重〇)がともに暮らし、一時期は8人から9人もの大家族となった。限られた空間の中で肩を寄せ合い、食卓を囲んで笑い合う日々は、戦後の混乱期において何にも代えがたい活気と幸いに満ちあふれていたのである。

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