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【第三章】炎と鉄の職人 — 祖父・梅太郎
明治33年(1900年)4月1日、新世紀の幕開けとなる年の初春、梅太郎は梅次・せむ夫妻の長男として誕生した。
梅太郎は赤緑色弱であったため兵役招集を免れたが、自らの手で生きていくため鉄の技を磨く「鍛冶職人」の道を歩む。彼が挑んだのは戦の刀ではなく、庶民の暮らしや文化を支える「煎餅などの金型制作」であった。やがて独立し自らの工房を構えると、火花散る現場で弟子とともに寸分狂わぬ金型を叩き出した。
太平洋戦争のさなか、過酷な空襲や食糧難を乗り切るため、梅太郎の家族は妻・せきの実家であるYN家(神崎郡長谷村)を頼り、命をつなぐ疎開生活を送った。梅戦後の復興期、その恩義に報いるため、梅太郎はYN家の子供たち(義理の甥にあたる弘〇と重〇)を自宅に引き取り、下宿させて姫路市内の高校や職場へと通わせた。自らの子供たちに加えて甥たちも同居する家は、常に活気と温もりに満ちあふれた大家族となった。晩年には家計を助けるため大阪へ単身出稼ぎに出るなど、どこまでも家族や周囲のために身を粉にして働き続けた。
職人一筋に生き、日本のモノづくりと家族を愚直に支え続けた梅太郎は、昭和59年(1984年)1月5日、自宅にて83歳の生涯を閉じた。




