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【第二章】維新の荒波と法秩序への道 — 曽祖父・梅次

 万延元年に生まれ、幕末から明治への激動を肌で感じながら成長した梅次。亡兄・権次に代わりY家の家督を継いだ彼は、変革の嵐の中で一族の暮らしと矜持を守る道を探っていた。


 明治新政府が発足すると、四民平等や秩禄処分によって生活の糧を失った全国の士族(元武士)を救済すること、そして新国家の基盤となる警察や監獄制度を急速に立ち上げることが急務となった。政府がその要員として目をつけたのが、身に付けた武術の心得と厳格な規律を持ち合わせ、秩序に従順な元武士たちであった。彼らは「巡査」や「刑務官(看守)」として優先的に大量採用され、新時代の治安を担うこととなる。


 Y家が居を構えていた「十二所前町」は、姫路城の南側に位置し、古くから十二所神社が鎮座する歴史ある地域である。江戸時代には姫路藩の中級・下級武士の拝領邸(武家屋敷)が立ち並んでいた場所であった。拝領邸とは個人の所有地ではなく現在でいう社宅のような存在であったが、版籍奉還や廃藩置県を経てもY家が他郷へ移住せずこの地に住み続けられたという事実は、もともとこの十二所前町に拝領邸を構えていた名残と推測される。


 明治8年(1875年)頃から、姫路城内(現在の城見地区や中堀・外堀周辺)では近代的な監獄施設の整備が進められていた。これがのちの「神戸囚獄 姫路出張所(後の姫路監獄、現在の姫路少年刑務所)」である。


 十二所前町の自宅から城内の監獄までは、目と鼻の先。朝の光が城下を照らす頃、梅次は着流しから新政府の制服へと身を包み、慣れ親しんだ城下の道を歩いて通勤していた。かつての旧藩士たちのネットワークと武家の血統は、彼を地元監獄の「看守」という厳格な職務へと導いたのである。城下に法と秩序を打ち立てるその職責を果たしながら、梅次は誇り高く新時代を生きた。


 なお、Y家は姫路藩士の家系でありながら、維新後の記録に「士族」としての記載が残されていない。これは曽祖父(またはその父)が本家(長男)ではなく分家であったため、家督と士族身分を継承した本家筋のみが「士族」登録され、分家側は無禄・平民の扱いとなったためと考えられる。形の上では平民となっても、その胸中には脈々と武家の誇りと道徳観が受け継がれていた。


 梅次は慶応3年生まれのせむ(藤井茂武の長女)を妻に迎え、時代が激変する中で家庭を守り抜いた。厳格かつ公平に受刑者と向き合う梅次の姿は、城下の人々から深く信頼された。

激動の明治・大正・昭和を駆け抜けた梅次は、昭和15年(1940年)9月9日、満79歳でその生涯を閉じた。幕末に生まれ、Y家の基礎を確かに築き上げた人生であった。


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